身代わり 10
(10)
幽玄の間に入った瞬間、天野は妙な雰囲気だと思った。
互いを見つめ合う行洋とヒカルに、胸がざわめく。そしてそれは検討が始まると、ますます
大きくなっていった。
「……進藤初段、この一手の意図は?」
何度めかの質問である。だがやはりヒカルが口を開くことはない。
当たりまえだ。十五目の差を自らに課して打ったなど、言えるわけがない。
「進藤初段……」
誰もが焦れているのに、行洋ただ一人がすべてを心得ているというように腕を組んでいる。
そして質問を寄せ付けない空気をかもしだしていた。
にっちもさっちも行かない状態だ。
(塔矢先生までなんで黙っているんだろう。進藤くんのことを見下げたのかな?)
この一局を見れば、そう思わざるを得ない。
だがそうではないと、天野の長年の勘が告げている。
塔矢行洋は決して、ヒカルの評価を下げていない。
検討は早々に切り上げられた。誰もがすっきりしない顔をしている。
天野は退室しようとしている行洋を呼び止めた。
「塔矢先生、進藤くんと打ってどう思われましたか?」
「……進藤くんを待っていたのは、アキラだけではない。わたしもまた、彼を待っていた。
そのことがよくわかった。次は……」
誰の目も気にせず、二人だけで打ちたい。そんなふうに思う自分に行洋はわずかに驚く。
(不思議な少年だ。碁だけでなく、その気迫も、なにもかもが)
言葉を切ったまま、行洋は立ち去ってしまった。残された天野は首をかしげていた。
行洋の言葉はまるで謎かけのようだった。
(塔矢先生が待つほどの棋士なのか? 進藤くんは……)
手に持つ今日の対局の棋譜を見た。ひどい碁である。ここまでひどいのは過去にない。
それなのに行洋はなにかを確信したようだ。
天野は頭をかいた。しょせん自分は棋士ではない。わからないのも仕方がない。
「なんか進藤くんは、この先どうなっていくのか見当もつかないねぇ……」
だからこそ、ヒカルの碁は未知数と言えるかもしれないと、天野はふと思った。
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