うたかた 10 - 11
(10)
加賀がすり下ろしたりんごを持って部屋に戻ると、ヒカルは上体を起こして窓の外を見ていた。
濡れた服はとうに脱がせていたため、布団から白い肩と胸があらわになっていて一瞬ぎくりとする。
「…ちゃんと寝とけ。まだ熱下がってねえんだからな。」
りんごの皿をテーブルに置きながら、あくまで平静を装って声をかけたが、ヒカルは何の反応も示さなかった。
(何を見てるんだ…?)
視線の先を追っても、夜の闇と雨で何も見えない。
「…かが」
「なんだ?」
「加賀は、大切な人を失ったら…どうやって立ち直る?」
不意にヒカルが熱にうなされて言ったことばがよみがえる。
「……それ、サイってやつのことか?」
何気なく言おうとしたのに、予想外に自分の声が嫉妬を含んでいて驚いた。
佐為の名前にヒカルの大きな瞳が更に大きく見開かれる。
「…なんで…」
「いや…、お前がさっき寝言で言ってたから…」
言い終わらないうちに、ヒカルが泣き出しそうな表情になった。
「おい、泣くなよ…。」
加賀がベッドに腰掛けると、ヒカルは顔をそらして唇をかみしめた。
「泣いて…ないっ…」
瞳にいっぱい涙を溜めて、布団を固く握りしめるヒカルの拳を優しく解いてやると、ヒカルは堪えきれず加賀の肩口に額を押しつけて涙をこぼした。
(サイってやつ、死んだのか…?)
事情はさっぱりわからなかったが、ヒカルがサイをとても好きだったということと、サイが今ヒカルの傍にいないらしいということはわかった。
(…こいつをこんなに悲しませやがって…。)
加賀は、顔も知らないその相手に苛立ちを覚えた。
ヒカルの肩がふるえている。声を殺して泣く姿は痛々しかった。
────腕が、ヒカルを抱きしめたがっているのがわかった。
(…だめだ。)
今ヒカルの素肌に触れてしまったら、きっともう自分を押さえられない。
肩がヒカルの涙で熱く濡れてゆく。
テーブルの上のりんごは、すっかり色が変わってしまっていた。
(11)
部屋の中はとても静かだった。
雨が屋根をたたく湿った音と、時計が秒針を刻む乾いた音が、やけに大きく聞こえる。
ヒカルの涙もいつしか止まっていたが、離れるタイミングを逃して加賀の肩に頭を乗せたままだった。
「………」
「………」
沈黙に耐えかねて加賀が口を開きかけたとき────
「はっ…くしゅ!!」
ほぼ裸で布団から身体を出したままだったヒカルの盛大なくしゃみに一気に緊張が解けて、思わず笑うと、ヒカルもつられて赤い瞳のまま笑った。
「加賀」
「なんだ?」
さっきよりもずいぶん明るくなった表情で、ヒカルが加賀を呼んだ。
「オレ、今日加賀に会えてよかったよ。」
「…何言ってんだ、お前。」
照れ隠しに加賀が無愛想に言うと、ヒカルは微笑んで続けた。
「今朝からずっとへこんでたんだ、オレ。自分がすげー弱いってことに改めて気付いちゃってさ。」
少しはオトナになったと思ってたんだけど、と小さく呟いて、ヒカルは溜息をついた。
「でも久しぶりに加賀に会ったら…何て言ったらいいのかな。懐かしいのと嬉しいのと安心したのが一緒になって、寂しいのがちょっと小さくなった。」
「…そうか。」
「加賀ってやっぱりイイヤツだな!いつも助けてくれるし。」
無邪気に笑顔を向けるヒカルに、加賀は罪悪感を感じていた。
(────オレがお前に良くするのは、純粋な親切心からじゃねぇ…。)
たまらなかった。
ヒカルの前でイイヤツを演じていながら、頭の中でやましいことを考えている自分も、そんな自分をすっかり信じきっているヒカルの笑顔を見るのも。
もう、たまらなかった。
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