失楽園 10 - 12
(10)
「――進藤」
コツコツとスリガラスのドアをノックされ、ヒカルはシャワーコックを締めた。ゆらゆらと緒方の
影が見える。白と青が鮮やかだった。
「すまんが、うっかりしていて下着とズボンも洗濯機に入れてしまった。とりあえず乾燥させるが、
それまでの間――」
緒方の影がユラユラと動く。ヒカルは苦笑してドアに背を向けた。
「いいよ。仕方ないや」
「オレのを履くか? 少し刺激的かもしれんが」
「バ………ッ!」
「ハハハ、冗談だ」
笑いながら、緒方の影が消える。ヒカルは頭を2・3度振って水滴を飛ばし、タオルを腰に巻いて
バスルームを出た。ドアの左横にある真っ白な棚にタオルと緒方のバスローブが几帳面に畳んで置いて
あるのを発見し、ヒカルは一度も着たことがなかったバスローブを纏った。
「手の長さが……足りないや」
明らかに緒方のそれはヒカルの華奢な体躯には大きく、袖口からは爪の先も見えない。くるりと振り
向いて、壁に備え付けてある全身が映るほど大きな鏡に映してみると、肩は落ち、丈も中途半端で
なんとも不格好だ。
「すげー似合わね〜!」
ヒカルは鏡の中の自分を指差して爆笑し、クスクス笑いながら脱衣所を後にした。
(11)
緒方はヒカルをバスルームまでは案内したが、その後はどこかへ消えてしまっていた。ヒカルはバス
ローブの袖をブラブラさせたまま、緒方の姿を探す。
「おがたせんせえ〜」
リビングとキッチンを覗き込みながら素通りし、廊下をペタペタと歩いていく。
下着を洗濯されてしまい何も身に付けていないため、歩くたびに微妙な部分が布地に擦れる。ヒカルは
極力そこを意識しないように気をつけながら緒方を探した。
「どこ行ったんだよ、緒方先生」
ヒカルは唇を尖らせて次の部屋のドアを開ける。自分を放って外出されていても困るのだ。ヒカルは
家で洗濯をしたことがなく、乾燥機の使い方もさっぱり判らない。どうにかして服を乾かしたとしても、
制服のズボンはヨレヨレだろうし、何より緒方に無断で帰るのも気が引けた。
「あっ」
何回目かのハズレ――緒方のマンションには収納がたくさんあった――のあと、ヒカルは足を速めた。
シャワーを浴びる前には閉じていたドアが現在は開いている。
「ねぇねぇ緒方先生、見てくれよこれ〜!」
ヒカルは笑いながら開かれたドアの前で仁王立ちになった。緒方のバスローブがいかに自分に似合わない
か、笑いながら両手を胸の前でブラブラさせる。
緒方は無言だった。そして、その横にアキラの姿を認め、ヒカルは慌ててはだけたバスローブの襟を正し
た。アキラがあの日何度も舐め、吸い付いた胸だ。それをその相手に曝すことに激しい羞恥を感じたのだ。
(12)
その行動をどう取ったのか、アキラはすぅっと顔の色を無くし、静かに緒方に向き直る。
「緒方さん。………これはどういうことですか」
「どういうことですか、とはどういうことだ?」
涼しい顔で煙草を咥える緒方は、顔色一つ変えない。
「進藤をこんなところに連れてきて――、何をするつもりだったんですか」
緒方を非難しているとしか思えないアキラのものの言い方に、ようやくヒカルはこのシチュエーションが
アキラに誤解されているということを気づいた。
――塔矢は、オレが緒方先生とそういうことをすると思ってる…?
「おい塔矢――」
何をバカなことを言ってるんだ。ヒカルはそう笑って否定しようとした。アキラの考えていることは突飛が
なさすぎる。緒方はアキラと関係してはいるが、自分とはそのような関係にはならないのだ。
「何を、ね」
緒方は一瞬自嘲めいた笑みを口許に刷いた。ヒカルが見たこともないような大きなベッドの上に咥えていた
煙草を放り投げると、緒方はヒカルの右手首を掴み、ベッドの上に引き倒す。
「うわっ」
スプリングが軋んで、ヒカルの細い肢体は何度かバウンドする。咄嗟に起き上がろうとすると、緒方が
両手と両足を容易く拘束した。鍛えているのだろう、いくらもがいてもその両手はビクともしなかった。
「……キミは下世話なことに、オレが進藤とセックスすると想像してオレのマンションまで乗り込ん
で来たわけか。オレが鍵を渡しても一度も自分から足を運ぼうとしなかった、ここまで」
緒方はそう吐き捨てると、立ち竦むアキラを睨み付けた。
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