クチナハ 〜平安陰陽師賀茂明淫妖物語〜 10 - 14
(10)
「あれ、光、まだ内裏に居たのですか」
涼しげな声に振り返ると、女のようにたおやかな容貌の友人が
きらきらと傾きかけた日差しに長い黒髪を輝かせてこちらに向かってきた。
「佐為。指導碁終わったのかよ」
「ええ、先刻。帝のもとに、訪ねて参られた御方がありまして。
光は、ここで立っているということは・・・明殿と待ち合わせですか」
「あぁ、そのはずなんだけど。・・・遅ェなぁ」
「一度様子を見に行っては?」
「う・・・ん、でも・・・オレ、外で待ってるって言って返事も聞かないで
出てきちまったんだ。賀茂にとっては迷惑だったかも・・・」
頭を掻きながら語尾を小さくして俯く光に、佐為は微笑んだ。
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「明殿は口下手ですが、友人が待ちぼうけを食うのを分かっていて
放っておくような方ではありませんよ。明殿が何も言われなかったのなら、
じきに出て来られるでしょう」
「そうかなぁ。オレ最近賀茂に呆れられてるかもしんねェっていうか、
・・・さっきだって、オレ何かよくわかんねェけど賀茂のこと怒らせちゃって、」
「光。・・・気持ちを表すのが苦手な明殿とがさつな光では、誤解が生まれることも
あるでしょうが・・・光がいつでもしっかりと明殿を信じてあげることが出来れば、
きっとずーっと一緒にいられるはずですよ」
「がさつなオレってなんだよ。でも、・・・そうかなぁ」
「そうですよ。明殿は誰より光を身近に思っていますよ。私と二人で会う時にも、
明殿はいつも嬉しそうに光のことを話しています」
「あ、そうなの?そうなのか、じゃあ・・・そうなのかもな。へへっ」
少し照れ臭そうに頭を掻きながら顔を綻ばせる光を見て、佐為が目を細める。
光はじっとしていられないといった様子で足踏みしながら、
首を伸ばして明が来るはずの方向を見た。
そこへ一人の小者が駆け寄ってきた。
「検非違使の近衛殿ですね」
「え?あぁ、うん、オレだけど。何?」
「賀茂様からのおことづけを申し上げます。今日はご都合の不便なるに因り、
牛車で邸に戻られるとのこと。近衛殿には、申し訳ないがそのままお帰り
いただきたいと。・・・確かにお伝え致しました」
朗々と述べ上げると、小者はさっさと踵を返して行ってしまった。
「光・・・」
佐為がそっと光の背中に声を掛ける。
「ウン、オレ・・・もう帰る。今日はありがとな、佐為」
肩を落として振り返らずに帰っていく光の後ろ姿を、佐為は痛ましい表情で見送った。
急に日が翳った気がする。
ふと通り過ぎたぬめるような冷気に、花のかんばせを持つ碁打ちは
ぞくりと背筋を震わせた。
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あれから数日経った。
未明、明は自邸の暗い室内でおぞましい責め苦と闘っていた。
「くっ!ハァッ、ハァッ・・・!ぐぅぅ・・・っ!」
一晩中の攻防に身悶える明の体からは装束が自然と乱れ解け、
今や半裸に近い状態となっていた。
身体の節々が痛む。
堅い床の上で長時間転げ回ったため、痣になっているのだろう。
だがそんな痛みは問題ではない。
いま明を悩ませているのは、苦痛をも凌駕して身体の芯から己を蕩かすような、
遣る瀬無い快楽だった。
――強情なひとだ。痩せ我慢はおよしなさい。疾うの昔に限界は超えているはず・・・
「ぐっ、黙れ・・・!」
幾度となく噛み締めた唇は既に破れて血の味がする。
男は、人語を語れども既に人の形を成していなかった。
黒っぽく長くうねる巨大な影となって明の全身に絡みつき、
堅い床と白い膚の上をズルズルと移動していた。
その形状は、例えるなら蛇――クチナハの如きものだ。
それは影のように実体無きものと目には見えながら触れれば確かな質感があり、
頭部と思しき部分には酸漿の如き二つの赤い目と先の割れた長い舌がある。
その点も蛇に似ている。
普通の蛇と異なるのは、その尾部がどうやら己の意志によって
自在に膨張硬化させうるらしいという点である。
膨張時のそれは人間の男の巨大な陽物に似ている。
クチナハはそれで明の後門を犯す。
クチナハの体表から絶えず分泌される粘液に触れた箇所から、
明の全身がジクジクと狂いそうに疼く。
堪え切れず明が精を放つと、先の割れた頭部が待ちかねたように絡みついて
美味だ、美味だと残らず舐め取る。
それをずっと繰り返していた。
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確かに己は、この相手には勝てないのだろう。
この数日間、明が今までに得た陰陽師としての知識と経験を総動員して
あらゆる手段を講じたが、クチナハを撃退することは叶わなかった。
しかし、だからと云って導かれるままこの快楽に身を委ねてしまったら
己はどうなってしまうのか。
水を例えに用いるなら、今までに明が光との交合によって得てきた快楽とは、
互いに山の清水を手に掬い取って飲ませあい、喉を潤すようなものだった。
微笑みあい、労わりあい、水の旨さと共に相手の優しさを確かめられる。
翻って、いま己の肉体に与えられる快楽はまるで滝だ。
人のわざを超えて流れ落つる瀑布だ。
絶え間なく、容赦なく、抵抗の意思すら押し流す勢いで己の魂を穿ってゆく。
いっときでも理性を手放したら忽ちに精神がばらばらに壊れてしまいそうで、
身も心もこのおぞましい存在が与える快楽に支配されてしまいそうで、
怖ろしかった。
――じきに、夜が明ける。
――私が再び貴方の中に籠もらねばならなくなる前に、
――今一度この喉を潤したいものだ。貴方の精で・・・
「ほざけっ・・・!」
日中は力が弱るのか、クチナハは明の後門から中に入り込んで大人しくしている。
どういう仕組みであんな長く巨きなモノが己の体内に収まるのか
明には分からなかったが、
もとより人間界の常識の範疇では測り切れない存在が妖しというものだろう。
クチナハが活動を休んでいる日中に、明は辛うじて食事を摂り、身を清め、
内部の汚れを押し出すように排泄し、疲れ切って眠る。
ただし日中だからと云って完全に活動を休止するというわけでもないらしく、
明が他の陰陽師のもとへ救援を求めようとしたり一歩でも外へ出ようとしたりすると、
忽ち内部で暴れ出すので対処のしようがない。
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こんな時、一緒に暮らしている相手がいたら。
そうしたら、こんな己の姿を見て心配してくれるのだろうか。
用もない時はうるさいくらい訪ねて来るくせに、この数日間に限って光が来ない。
この前光が待っているのを知りながら先に一人で帰ってしまったことで、
機嫌を損ねてしまったのかもしれない。
己の膚から出た汗と、クチナハの体表から分泌される淫液とが交じり合う。
その上をクチナハの長い身が這い回る感触に、膚の表面から蕩けていきそうだった。
後門の内部では、巨大に膨れ上がったモノが
身を捩らせながら文字通り生き物の如く動いている。
濡れそぼった己のモノの脇を時折クチナハの身がズルリとかすめる。
先の割れた舌で胸の突起をチロチロと刺激される。
朦朧とした意識の中、かつて己のために利用し、
己の勝手で手放してしまった物言わぬ家族を明は思い出した。
あいつが今ここにいてくれたなら、会話も出来ない存在だったとしても
きっとこんなに心細い気持ちにはならない――
後悔とも愛惜ともつかぬ気持ちが込み上げてとめどなく涙を流しながら、
一際強く奥を突かれ、明は失神した。
その陰茎から放たれたものをクチナハの影は首を擡げてチロチロと旨そうに舐め、
やがてズルリズルリと白い膚の上を這いながら明の後門の中へと隠れていった。
失神したはずの明の身体が無意識のうちにその刺激にピクンッと跳ね上がり、
再びがっくりと力を失った。
その様子を蔀戸の隙間からそっと窺う一つの影があった。
緑がかった体色を持つ丸っこい一羽の小鳥である。
小鳥は心配そうにその場で二、三度くるくると円を描いて飛ぶと、
高く翔けあがり、秋の明け方の涼やかな大気の中を内裏の方角目指して飛んでいった。
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