日記 100 - 102


(100)
 緒方の唇が、ヒカルの額に触れた。そのまま、瞼、頬と続けて口付けされた。そして、
最後に唇に……。緒方のキスは煙草の味がした。頬に添えられた大きな手。温かい。
 緒方に触れられると、不思議と心が落ち着いた。だが、その手がヒカルの首筋を通って
パジャマのボタンを外そうとしたとき、全身が震えた。怖かった。逃げたいと、思った。
昨日のことが、蘇る。怖い、怖い、怖い。それなのに、身体が竦んで動かなかった。
怖くても我慢しなければ……それに、今逃げたら、緒方にまで去られてしまう。
――――――先生…オレを見捨てないで…一人はイヤだ…
何故、そんなことを考えたのかはわからない。ただ、一人になりたくなかった。
 ヒカルは堅く目を閉じて、緒方の次の行動を待った。

 いくら待っても、緒方はヒカルに触れようとしなかった。恐る恐る目を開けた。痛ましげに
自分を見つめる緒方と視線がぶつかった。その哀しそうな目を見た瞬間、ヒカルは、酷く
自分が恥ずかしくなった。その視線を受け止めることが出来なくて、俯いてしまった。
自分は、彼を利用しようとした。一人が怖かったから、身体でつなぎ止めようとした。
そして…緒方の気持ちを踏みにじった……!
――――――オレ、知ってた…!?先生の気持ち…ホントは、知っていたんだ…きっと…
心のどこかで感じていたのに、知らないふりして甘えていた。緒方が優しかったから…
居心地が良かったから…今のままが楽しかったから…
「ゴメンなさい…ゴメンなさい…」
「どうして、謝るんだ?」
怖くて当たり前だと、緒方はヒカルを柔らかく抱きしめた。違うと言いたかったが、涙で
声が詰まって言えなかった。


(101)
 翌日、ヒカルを送っていった。いつもなら、助手席ではしゃいでいるであろうヒカルは、
今はただ流れる景色をぼんやりと見ているだけだった。緒方の愛車を見る度に、乗せて
欲しいとせがんでいたが、機会がなくてそのままになってしまっていた。漸く乗せてやる
ことが出来たのに……。
 「……先生…ここでいいよ…」
駅の近くでヒカルは言った。彼の自宅まではまだ距離がある。
「家まで送るよ。」
ヒカルは静かに首を振った。歩いて帰りたいのだと言う。緒方は黙って、車を歩道に寄せた。


 「先生…ありがとう…」
「……今度、ドライブに連れていってくれよな?」
ヒカルが静かに笑った。壊れてしまいそうだった。ここで下ろしてしまったことを後悔した。
 ヒカルは緒方に頭を下げると、すぐに車から離れた。緒方は、ヒカルの華奢な後ろ姿が、
人混みに紛れてしまうまで目で追い続けた。


 こんな風に自分を頼るヒカルが、何故、アキラを怖れるのか…。理由は、わかっている。
本当に好きだから………。
『アキラは見捨てない……蔑んだりもしない……』
分かり切っていることだ。だが、ヒカルにはそれがわからないのだ。何を言っても、今の
ヒカルには通じない。辛い。ヒカルにアキラほど愛されていないことが…。そして、
それ以上にヒカルが傷ついていることが…辛かった。


(102)
 だるい…。歩くごとに身体が引き裂かれるようだった。
 無理せず、緒方に甘えた方が良かっただろうか?ヒカルはすぐにその考えを否定した。
守られた居心地のいい場所。温かい腕の中。あれ以上緒方の側にいたら、離れることが
出来なくなりそうだった。緒方は、きっと際限なく自分を甘えさせてくれただろう。
でも、もう、出来ない。緒方の気持ちを知ってしまったから。

 たった一人で取り残されたような気分だった。ほんの二日前まで、ヒカルの世界は
キラキラと輝いていた。見る物全てが、明るく美しい色彩で飾られていた。それが今は、
モノクロに閉ざされている。どんなに美しい物を見ても、心が動かない。
 ヒカルは、息を切らせてその場にしゃがんだ。夏休み。至る所に人が溢れていた。人待ち顔で、
座り込んでいる者も少なくない。ヒカルが顔を伏せて座っていても、気にする者はいない。
ヒカルは安心した。彼らが自分を隠してくれているような気がした。
 目を閉じて鮮やかな魚を思い浮かべる。それから、清楚なリンドウの花。ヒカルにとって
いま美しいと思える物はこの二つだけだった。



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