Linkage 101 - 105
(101)
「……わざわざアキラ君が気にする事じゃないだろ。それより早く服を着てくれ。オレが正気を保っている間にな」
膝の上に置いた下着を取り上げると、アキラの目の前でこれみよがしに振ってみせる。
アキラはすかさずそれを取り上げると、ソファから立ち上がり、そそくさと服を身につけ始めた。
(オレは……トイレでも行くか……)
緒方は部屋を出るため立ち上がろうとした瞬間、アキラの鋭い声が飛ぶ。
「待って!」
ハイネックニットの裾を慌ただしくズボンの中に押し込み、ベルトを締めると、アキラはきつい眼差しで
中腰の緒方を睨んだ。
「そこに座っていてください」
毅然とした口調でソファを指差すアキラの指示に従い、緒方は不承不承腰を下ろす。
「……何か用か?」
アキラの意図するところが全くわからない緒方は、自分を凝視するアキラを困惑しながら見上げた。
(最後までしなかったにしろ、あれだけの辱めを受けたんだ。怒って当然だな。まあ、煮るなり焼くなり
アキラ君のお望みのままにしてくれ。むしろそれこそ望むところだ……)
投げ遣りにフンと鼻を鳴らして自嘲する緒方に、アキラは意外そうな表情を浮かべる。
「『フン』って……どうかしたんですか?」
小首を傾げつつ、緒方の横に腰掛ける。
「それはこっちのセリフだ。一体何をするつもりなんだ?」
妙にピリピリした様子でそう尋ねる緒方に、アキラはクスッと笑った。
その笑顔に、普段のアキラが見せる小学生らしいあどけなさはない。
これまでに見たこともない毒気を秘めた妖艶な表情に、緒方は思わず息を呑んだ。
「……仕返し……かな?」
言い終わらないうちに、緒方のベルトに手を掛けたアキラは、苦もなく留め金を外してベルトを引き抜くと、
スラックスのファスナーを勢いよく下ろす。
「なッ…何を考えてるんだッ!?」
スラックスの前を開け、中に手を差し入れようとするアキラの手首を緒方は慌てて掴んだ。
(102)
「『仕返し』って、まさかアキラ君……?」
「……ボクは男なのに、あんなことされたから……。悔しくて……」
先程とは打って変わり、子供っぽくふてくされて唇を噛み締めるアキラに、緒方は内心安堵する。
「……悔しいと、こういう仕返しをしたくなるのか?オレがアキラ君にしたことを今度はアキラ君が
オレに対してすれば、それが仕返しになると……?」
アキラは決まり悪そうに頷いた。
「……他に方法が思いつかないし……」
掴んでいたアキラの手首を離してやると、緒方はスラックスのファスナーを上げ、肘でアキラの脇腹を
軽く小突いた。
「男だろ?オレの顔でも身体でも殴ってみろよ。暴力が嫌なら罵声を浴びせるとか……。幾らでも方法はあるぞ」
「……緒方さんにそんなこと…ボクには……」
項垂れるアキラを横目に緒方は込み上げてくる笑いを必死で堪える。
(暴力と暴言は無理でも、こういう同害復讐なら問題ないわけか。『目には目を』も結構だが……アキラ君は
オレが止めなかったら、どこまでするつもりだったんだ?)
真っ直ぐな性格だけに、もし自分がアキラを止めず、逆に挑発でもしようものなら……。
数分前に見せたアキラの妖艶な表情を思い浮かべ、緒方は思わず真顔で考え込んだ。
(オレが勝手に惑わされたのか?それとも、アキラ君が故意にオレを挑発……?まあ……アキラ君がオレを
好きなようにするには10年早いがな……)
(103)
俯くアキラの端正な横顔を隠す黒髪をそっと掻き上げ、緒方は冗談とも本気ともつかぬ口調で呟いた。
「……本音を言えば、アキラ君の『仕返し』とやらに、オレはどこか期待している部分もあるかもな……」
「じゃあ、ボクの好きなようにさせてくれればいいじゃないですか!」
開き直ったのか、再び緒方のスラックスに手を掛けるアキラを、緒方は笑いながら制する。
「ハハハ!ヤケを起こすなよ」
膨れっ面で睨みつけてくるアキラの頬を軽く叩くと、緒方は笑顔を一変させた。
「頼むから今日はもう帰ってくれ。オレがまたおかしなことをしでかさないうちにな……」
厳しい表情で自分を見据える緒方に、アキラは何も言い返せない。
ただ不安そうに緒方の瞳を凝視するだけだった。
緒方は小さな溜息をつくと、アキラの頬を撫でながら、穏やかに語りかける。
「キツイ言い方をして済まなかったな。別にアキラ君に対して怒ってるわけじゃない。自分に腹が立って、思わずな……。
いい歳をして大人気ないと思だろ?」
返答に窮するアキラに苦笑すると、緒方はベルトを手に立ち上がった。
「悪いがそこで待っていてくれ。すぐ戻るから」
足早に部屋を去る緒方の後ろ姿が見えなくなると、アキラはジャケットを羽織り、ソファに座り直した。
目の前のテーブルに置かれた緒方の眼鏡を何気なく手に取ると、窓の外の薄暮に包まれた空に向けてそれをかざしてみる。
レンズ越しのぼんやりとした世界をしばらく見つめていたアキラだったが、ふと、ズボンのポケットからハンカチを取り出した。
「……緒方さん、昔からずっとこの眼鏡だなぁ……」
どこか嬉しそうにそう呟きながら、やや汚れの目立つレンズを丁寧に拭くと、眼鏡を元の場所に戻した。
ハンカチをポケットにしまい、床に置かれたランドセルを膝に載せてその上に両肘を付くと、アキラは緒方が戻るまで
テーブルの上の物言わぬ眼鏡をじっと見つめ続けていた。
(104)
「待たせて悪かった」
背後からの緒方の声に、アキラはソファに腰掛けたまま振り返った。
ちょうど目線の高さと一致する緒方の股間部分に視線が集中してしまい、アキラは微かに頬を赤らめる。
部屋を出る時には緒方の手の中にあったベルトがきちんと締めてあり、スラックスの不自然な隆起も
跡形もなく消え去っていた。
「……妙な質問は勘弁してくれよ……」
緒方は苦笑しながら、ばつが悪そうに肩をすくめた。
アキラはクスクス笑いながら頷くと、ランドセルを背負って立ち上がった。
テーブルの上の眼鏡を取ると、緒方に手渡す。
「レンズ……拭いてくれただろ?」
「あっ……わかっちゃいましたか?」
「こんなにキレイじゃなかったはずだ。すぐにわかるさ。ありがとうな、アキラ君」
そう言って眼鏡を掛けると、緒方は感謝の意を込めてアキラの肩を優しく叩く。
アキラは照れ臭そうに笑ったが、一転、表情を曇らせた。
「緒方さん……あの……」
「どうした?」
何か言い出すのを躊躇している様子のアキラを緒方は不思議そうに見つめる。
「何か言いたいことがあるんだろ?言っていいんだぞ」
「…あの……昨日の薬、貰えませんか?」
緒方は思わず耳を疑った。
「……気は確かか!?昨日、あんなことになったんだぞ?」
(105)
呆気にとられる緒方を真剣な面持ちで見つめながら、アキラはゆっくりと口を開いた。
「……それはわかってます。でも、ああなったっていうことは、ボクにも効き目がちゃんと出るって事でしょ?
量を間違えなければ、ボクも緒方さんみたいに寝付けるかなって……」
アキラには幼少時から接している以上、その性格は緒方も熟知している。
丁々発止の論議の末にくたびれ果てて折れるような愚を犯すより、早めに白旗を振っておいた方が賢明であることは
わかっていた。
「……だろうな」
早々に降参の意思表示をすると、緒方は腕組みをして考え込んだ。
(確かに昨日は量を間違えた。オレの半分じゃ少なすぎか。そうなると、昨日の1.5倍程度が妥当かもしれんな……)
アキラに薬を渡すということは、即ち緒方自身の薬の量を減らすことになる。
小野に次回分の薬を増量させるにしても、増量を怪しまれないだけの理由が必要だった。
緒方とすれば、自分を経由して他人が薬を服用している事実を小野に知られることだけは避けたかった。
違法な薬物であることを承知で取引している以上、小野とは面識のない第三者の存在を表沙汰にしても、
事を煩雑にするだけであることは容易に想像できる。
もし、その事態を嫌った小野から薬の供給を断られた上に、第三者と自分との関係まで詮索されることになれば、
それこそ緒方とアキラ双方にとって最悪のシナリオになってしまう。
(これまでの服用量では効果が出にくくなったとでも理由を付けて、不自然にならない程度に次回以降の量を
増やしてもらうとするか……。足りなくなるようならオレはまた酒で……)
|