裏階段 ヒカル編 106 - 110


(106)
「緒方さん!?」
進藤を乗せて閉まったエレベーターの扉を見遣って、アキラが非難混じりの声と視線で
オレに振り返った。
状況からオレが彼に対して何か手酷い事をしたと感じたのだろう。
そんなアキラに、進藤が先生の病室でsaiに関する話をしていたと説明した。
「十中八九、進藤とsaiは知り合いだ!アイツは知らばっくれているが、先生に聞けば
ハッキリするさ」
もちろん、先生が進藤の共犯者でなければ、だったが。
オレはいつになく興奮気味な口調になっていて、それを隠せなかった。
今までアキラの前ではさしてsaiに強い関心を払っていないという態度を見せて
進藤に関しても一歩引いた視点で眺めていたつもりだったはずなのだが、
とにかくその時はsaiの尻尾を掴む事にやっきになっていた。
アキラと共に病室へ戻り、確信を持って先生に詰め寄った。
「先生、進藤なんですね!saiとの対局を持ちかけたのは!」
だが先生は、しばらくこちらを黙って見つめた後、期待していたものと違う返答を返して来た。


(107)
「…いいや、違う」
「先生!?」
sai自身がネットで対局を申し込んできたものであり、進藤は関係ないというのが答えだった。
そしてやはりsaiがどこの誰なのかは聞いていないと言う。
呆然とするオレから先生は窓の外の景色へ視線を外した。
先生は正直な人だ。虚偽を口にするのに自然にそういう仕種になったのがわかる。
「どうやら2人共昨日の対局を見たようだな。塔矢行洋として恥ずかしくない碁だっただろう、
…saiにはその上をいかれたが」
先生は昨日の充実した一戦を思い出し穏やかな笑顔を見せる。何度も自分自身で吟味し、
「悔いなし」と結論づけたのだろう。
そうだ。saiは先生を上回った。
だからこそ先生はsaiに敬意を払い、saiに関しての情報に口を噤んでいる。
きっとそうsaiに望まれたのだろう。
「アキラくん、君からも聞いてくれ!キミだってsaiの正体を知りたいはずだ!」
進藤を問いつめたそのままの口調でオレはアキラをせかした。
そんなオレに対するアキラの返答も、想像しなかったものだった。
「お父さんが知らないというならもうこれ以上聞いてもムダでしょう?緒方さん…」
アキラもまた、そっけなくそう答え、オレから顔を背ける。
アキラもあの対局の事で先生に何か問い正しにここへ来た、それは間違いないはずだった。
それが土壇場になって、親子で口を閉ざす。
オレには合点がいかなかった。


(108)
「…くそッ、進藤にも先生にもシラを切られてはおしまいだ…、ここまでか」
大きくため息をつくとドカリと部屋のソファーに腰を下ろした。
これ以上はない不満を露にアキラと先生を眺める。
何とも言えない気まずい空気が流れた。
その時ドアが開いて夫人が入って来た。
「あら、アキラさん、緒方さんも。進藤くんは帰ったの?さっき進藤くんが来ていたのよ」
何も知らない夫人の明るい笑顔の報告に張り詰めていた空気が抜けて行く。
その進藤にこちらは振り回されているのだ。
いっそ夫人に進藤の話を尋ねようかとも思った。もしくは、夫人の前でもう一度先生に面会謝絶の
札のことなどを問いただせば、先生もウソを通し切れなくなるかもしれない。
そうオレは身構え、口を開きかけた。

「お母さん、…ちょっと売店に行きたいから、一緒に来て」
ふいにアキラが母親に呼び掛け、その腕に軽く手を添え引く。
「え?でも…」
「お腹空いているんだ、ボク。お母さんもお茶につき合って」
怪訝そうな顔をする母親と共にアキラは部屋から出て行った。偶然なのかオレの態度を察したのか、
アキラの意図はよくわからなかった。
ただもう少し先生と2人だけで話をしたかったのも確かだった。


(109)
アキラの行動に先生も一瞬困惑したような表情になったが、改めて何か覚悟したように
オレと向き合った。
やけに落ち着いた穏やかな先生の瞳からは、決してsaiを渡さないと言う決意が見て取れた。
オレは小さくため息をつき、眼鏡を外し、先生を見つめた。
「…そんなにsaiが大事ですか…」
こちら側の決意もまた伝わったのか、先生が慎重に言葉を選ぶようにして言葉を返した。
「そうじゃない。私はただ事実を話しているだけだよ」
そして硬く組んでいた腕をほどくと、先生はその自分の両の手の平を見つめた。
「…機会があったら、君もsaiと戦ってみるがいい。そうすればわかる。自分の位置が、
自分が何をすべきなのかが見えて来る」
そう言いながら先生はうっとりとしたように視線を遠くに投げかけ、saiとの戦いを、
交わりを振り返る。
この先、一生先生はこの表情を繰り返し周囲の者に見せることだろう。
そこにはオレの存在はない。こんなに近くに居ながら、これだけの時間を重ねながら
すべてそれらは無意味だったと思い知る。
怒りに代わって悲しみのような思いが染み出るのを押さえ切れないまま
立ち上がって先生に近付き、手を延ばした。
先生の肩に手を置いた。
一瞬先生が少し驚いたようにオレを見るが、何も言わず、動きもしなかった。
指に力を入れて、強く掴んだ。
布を通して先生の体温と、年をとっても衰えのない筋肉の感触を感じた。


(110)
言葉はなくとも、伝わっていると思っていた。
今までどんな気持ちでオレが先生を追ってきたか、こうして直接触れる事がなくても
精神の奥深い場所で触れあっていると錯覚していた。
互いの存在が互いを刺激し、高めあっているのだと早合点していた。

あの時、先生の肉体がどんなに激しい熱を放っていたかオレは覚えている。
息が出来なくなる程オレの中で先生が膨れ上がり、突き上がって
オレの内部を満たした時の充実感を、オレは忘れた事はなかった。
もう二度と同じかたちではそれを受け取れないだろう。それはわかっていた。
だが違うかたちで、あの時と同様の興奮と到達感を、先生から与えられ、そして
先生に与えられると思っていた。
一生をかけて、何度でも――。

「…よくわかりました」
オレは身を屈め、顔を寄せた。



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