追憶 11 - 12
(11)
子供の浅墓な考えなのかもしれない。
ボクは何もわかっていないのかもしれない。
それでもボクは思ってしまう。
ボクがキミを好きで何が悪い?と。
ボクはキミが好きで、キミもボクが好きで、ボクたちは男同士だけど愛し合っていて、それのどこが悪い?
何を恥ずべき事がある?男だろうと女だろうと、そんな事、どうでもいい事じゃないか。
もしも詫びる事があるとすればたった一つ両親に、彼らの血を引く子孫を残してやれない事。それだけだ。
ボクが生きていくために必要な事。
碁を打ちつづけること。キミと共にある事。
必要なのはたった二つ。それだけあればいい。それ以外には何も要らない。
それさえあれば、ボクは生きていける。
逆に、それが無ければきっとボクはボクでいられない。
例えばもしもボクが碁を失ったら?
けれどボクの頭の中にはいつも十九路の世界があって、例えどんな状況におかれても、ボクがそれを思
わずにいる事はできないし、誰もそれを奪う事はできない。例え実際の盤や石が無くてもボクはボクの頭
さえあればボクは打つ事ができる。
ではもしもボクが彼を失ったら?
(12)
あまり考えたくは無いことだけれど、それでもいつか確実に別れはやって来るのだろう。
彼の意思によって。ボクの意思によって。
または個人の意思では抗いがたい状況によって。
それとも、彼かボクかの寿命によって。
彼を失ってしまったらボクはどうなるだろう。
きっと、どうもならない。
キミがボクの隣からいなくなってしまったら。
多分、ボクは泣いて、キミなしで、独りでなんか生きていけないって、泣いて、何もできずに、動く事もでき
ずに立ち止まって、うずくまって、でもいつかまた、時がきたらボクは立ち上がり、また歩き始める。
そうしてボクはまた一人になって生きていく。
キミが愛した、キミが憑かれた白と黒の石を手に、例えキミがいなくてもボクは生き続ける。
それでも。
ああ、それでもきっと、打つたびに、ボクはキミを思い出してしまうだろう。
キミならば、もしも相手がキミだったなら、ボクの今の一手にどう応えただろう、とか。
ああ、そういえばいつかキミがこんな風に打ってた、とか、キミだったらきっとこう打つだろうな、とか。
そして盤の向こうに誰もいない時にはキミとの一局を頭に描き、盤上に並べ、ボクはキミを思い出すだろう。
つまり結局は、ボクがボクである限り、ボクは常にキミと共にあり、キミから離れる事はできない。
キミと碁と、その二つと共にある事。
きっとそれはボクにとって「生きる」という事と同義だ。
ボクがこの世にあり、ボクがボクとして生きているという事は、それは即ち碁を打つことであり、キミと共に
あることだ。
どんな事が起きようと、何がどう変わろうと、きっとそれだけは変わらない。
ボクがボクである限り。
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