光明 11 - 13
(11)
「・・・そうだな。それしかないんだろうな・・・。
今まで引き留めてすまなかった。もう帰るよ ありがとう。」
アキラは飲み終えたコーヒー缶をゴミ箱に捨て、ヒカルの顔を見ないで背を向けた。
そして そのまま最寄の駅の方へ歩き出すアキラの後姿をヒカルは何も言わず目で追った。
だんだん自分から遠ざかるアキラを見て、自分は はたしてアキラの悩みに少しでも
力になれたのだろうかという気持ちが強くなり激しく心が揺れた。
雪明りのせいかアキラの姿が白く霞み、そのまま闇に消え入りそうな風情が いつかの佐為の姿と
重なりヒカルの胸の動悸が高まった。
たまらなくなり「塔矢っ!!」とヒカルは叫びアキラの元へ走って駆け寄り、アキラの左肩を強引につかみ
自分の方へ向かせた。
その瞬間 アキラの唇は風が撫でるようにヒカルの唇の上を掠めた。
ヒカルは何が起きたのか分からなく あっけにとられてアキラの目を見ると
いつもの矢のように鋭い光を放つ瞳に戻っていた。
「・・・どうした進藤?」
「いや・・あの・・・今 オレの、その くっつ唇にっ・・・。」と
どもるヒカルに対しアキラは無表情で「・・気のせいだろう。」と涼しい目で答えた。
そして左肩をつかむヒカルの手を ゆっくり外しながら「用がないなら帰るよ。」と言って足早に その場を離れた。
アキラの姿が自分の視野から消えるまでヒカルは ただ呆然と立ち尽くしていた。
自分の身に何が起きたのか訳が分からなくヒカルは戸惑っていたが しばらくして だんだん猛烈に腹が立ってきた。
「なっ、なんなんだよアイツはっ!? ついさっきまで今にも泣きそうな顔していたくせに
いきなり元に戻って最後のあの冷めた態度は いったい何なんだよ! 訳が分からねぇよっ!!」と
感情に任せて言葉を吐き出したが深夜の町に自分の声がただ虚しく響くだけだった。
(12)
「だいたいアイツは こっちの都合に関係なく、いきなり現れるんだよなっ!」
ヒカルはブツブツ言いながら家に帰り玄関のドアを閉めた。
ドアの音に気付いた母親が玄関に顔を出した。
「あらヒカル随分遅かったわね。もう紅白 終わっちゃうわよ。」
「オレ今日もう寝たいから いいや。」と言いながらヒカルは階段を上がり自分の部屋に入った。
「珍しいわねぇ。いつもなら2・3時まで起きているのに。」
母親は怪訝な顔をしながら居間の方へ戻っていった。
自分の部屋に戻ったヒカルは床にコンビニ袋を置き、寝巻き用のジャージに着替えると
ベッドの上に腰をかけてゴロンと仰向けになった。
買ってきたジュースやお菓子を食べる気は、完全に失せていた。
時々 自分の唇に指を当てて「オレの気のせいかな?」と呟いた。
塔矢が同じ男である自分にキスをしたのが到底信じられなかった。
「やっぱりオレの気のせいだよな。そうだ、そうだよ。」
ヒカルは そう思うことにした。
そして部屋の電気を消してベッドの中に入って目をつむり頭から布団を被った。
でも しばらくするとアキラの姿が頭にチラつきはじめた。
雪明りに照らされている中、矢のように射抜くような透明感のあるアキラの瞳がヒカルの脳裏に
鮮やかに何度も蘇っては消えていった。
一見いつも通りのアキラに戻っていたようだったが、
ヒカルはアキラの目の奥底に微かに憂いを帯びた影が潜んでいるのを見たような気がした。
「・・・・・眠れねぇ・・・。」
ヒカルは軽く溜息をついた。
(13)
電車の座席に座り振動に揺られながらアキラは寺院で会った僧侶の言葉を思い出していた。
『この世に偶然はなく その人間に必要だからこそ必然に物事は起こる』という言葉が
アキラの心に印象深く残った。
では進藤ヒカルとは偶然でなく自分にとって避ける事の出来ない出会いだったのだろうか。
正直 アキラには分からなかった。
碁会所で対局する時、ヒカルは時々 光を放つような強力な一手を打つ事がある。
その一手ごとに自分が確実に より高みへと引き上げられる感覚を体感する事が度々あった。
またアキラの悩みに対してヒカルは難なく明確な助言をしてくれる大事な存在でもある。
自分の人生にヒカルの存在は欠かす事が出来ないとアキラは強く自覚している。
ヒカルに対する評価を考えている最中、アキラの胸に熱く込み上げてくる感情が瞬間貫いた。
ヒカルに肩をつかまれた時、アキラは その同じ感情に一瞬支配されてヒカルにキスをした。
なぜそんな事をしたのかアキラ自身 分からなかった。
アキラは自分にとってヒカルは生涯のライバルであり それ以上の感情は持ち合わせていないつもりだった。
それに自分は、一般男性と変わらなく女性を性の対象としていると思っている。
努力して築き上げた自分を今さら変えるつもりは毛頭もない。
ヒカルにキスをした時の感情を認めてしまったら、たちまち身も心もそれに支配されてしまい、
二度と後戻り出来ないような予感がした。
常識や理性で割り切れないその感情が恋である事をアキラは まだ気付いていない。
自分の心が全く分からなってきてイライラし、落ち着こうとするが なす術もなく
アキラは大きく息を吸い込みゆっくりと吐いた。
電車の暖房が冷え切った体に心地よく、やがて軽い眠気が訪れた。
体が欲するその要求にアキラは素直に従い身を委ねた。体だけでも休めたいと思った。
やがてアキラは小さな寝息を たて始めた。
除夜の鐘が深夜に響き渡る中、また新たに雪が降り始めた。
それは まるで人の心に宿る煩悩の炎を鎮めるかのようにも見える。
時は人それぞれの思惑を一切顧みる事なく、刻一刻と新しい年へと走り出した。
《完》
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