平安幻想秘聞録・第二章 11 - 13
(11)
「えっ、何で?」
「進藤、その話、僕も聞きたいな」
話を逸らされたような気持ちもしたが、明もそれ以上春の君について
の話を続けようとしないので、仕方なく、ヒカルは頷いた。
「相手は男性でしたね?その方はどんな色の衣を召されていましたか?」
「どんなって、オレンジ、じゃ通じないか、えっと、橙色だったよ」
「橙・・・濃い橙色ですか?」
「うん」
明と佐為が顔を見合わせる。
それが黄丹なら、東宮にのみ許された袍色だ。そして、東宮は春宮と
も書く。先程、明の話に出て来た春の君、その人だ。まだ帝に男の御子
がいないこともあり、今の東宮には帝の弟君が立っていた。年の頃も、
二十歳前で、ヒカルの話と合う。
「どうやら、春の君が見た幻というのは、光のようですね」
「えっ?」
「春の君は、その幻に恋煩いのご様子だ。妖しの仕業か呪ではないかと、
帝から直々に陰陽寮にご相談があったんだ」
内密の話のはずが、当の東宮が大騒ぎをしたこともあって、既に内裏
中に話が広まってるらしい。
「春の君がおっしゃった幻の容姿が進藤そっくりだったから、もしやと
は思っていたけれど」
「な、何で、恋煩いなんだよ。オレは男だってば。それに、ちょっと話
をしただけなのに」
ヒカルにしてみれば何とも納得しがたい話だが、ここ平安の世では、
どこぞの姫君はたいそう美人らしいという噂話だけで、恋文が飛び交う
のは当たり前。琴でも和歌でも人より秀でるものがあれば、とりあえず
求婚の文を送っておくという、手練れというか節操なしもいるくらいだ。
それに比べれば、相手の男はヒカルを間近で垣間見た上に、言葉まで
交わしている。それで充分に恋愛が成り立つ要素があるのだ。もちろん、
男同士だからというのは、おおっぴらにできないだけで、禁忌でも何で
もない。
(12)
「名を明かさなかったのは、賢い判断でしたね。それでも、光の容姿は
目立ちます。近衛の屋敷に、問い合わせの一つや二つ、あったかも知れ
ません」
行方不明のはずの息子の姿が内裏に現れたと知らされて、近衛の両親
はさぞ驚き、胸を痛めているに違いない。大内裏を騒がせたとお咎めが
あることはないだろうが。
だが、佐為はそれを口にはしなかった。ヒカルは近衛の家族のことを
気にしていた。自分が姿を出して、ぬか喜びをさせては申し訳ないと。
優しいヒカルを気に病ませるのは、酷なことだった。
「もちろん、私のところに東宮の使者が参られても、知らぬ存ぜぬで通
すつもりですよ、明殿」
「えぇ、その方がよろしいでしょう」
明に頷き返して、佐為がヒカルに向き直った。
「佐為・・・」
「光は何も心配をすることはありませんよ。たぶん、春の君にしても、
一時の気の迷いでしょうから、しばらく放っておけば、口の端にも乗ら
なくなりますよ」
「そう、だよな」
「えぇ。それに、東宮さまには、既に三人のお后もおられるのですから、
光まで望むというのは、贅沢というものです(笑)
半分、冗談のような口振りで佐為が話の向きを変える。
「后って奥さんが三人も!」
「身分の高い貴族には当たり前のことですよ」
出生率は男子の方が僅かばかりに多いにも関わらず、捻れた遺伝子の
せいか男の赤子は弱く、生まれてすぐに亡くなる者も絶えない。また、
戦や労役で命を落とすのも八割方が男だ。元服を迎える頃には、自然と
男女の比率は少なからず逆転していた。
(13)
「まだどの女御さまにも男の御子がいないため、正室となる方は決まっ
ていないけれど。お三人とも名家の姫君だよ」
「名家?」
「えぇ、お一人は座間長房さまの姪御、もうお一人は芹澤基直さまのご
息女、そしてもう一方は、藤原、藤原行洋さまのお血筋」
座間、芹澤、藤原。いずれも劣らずの名門の家柄だ。帝に男君が生ま
れても、その御子が皇太子として立つのはもっと先。それまでは余程の
ことがない限り、今の東宮が時の権力に一番近い位置にいる。いつでも
帝とその周りには、権力に縋ろうとする輩がひしめきあっている。四人
めの后がねを用意して、虎視眈々と狙っている者もいるのだ。
「東宮、帝の弟君とは言っても、婚家の権力・財力が物を言うのは他の
貴族と何の変わりもありません。幻を相手にするくらいなら、うちの娘
のところに通ってくれと、三人のお舅殿にせっつかれるのがオチと言う
ものですよ」
軽やかに微笑む佐為に、半分以上意味が分からないまでも、そういう
もんなのかと、ヒカルは納得してしまった。とりあえず、気にせず放っ
ておけってことだよな。笑顔の戻ったヒカルに、佐為がでは一局打ちま
しょうかと声をかけた。
嫌な、予感がする・・・。
ほっとした表情を見せたヒカルに、明は自分が感じている不安を口に
することができなかった。
第二章・終
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