断点 11 - 14
(11)
「うっ…」
こらえようと思ってたのにこらえきれずに嗚咽が漏れ、涙が滲む。
多分、出せそうな分は全部掻き出して(後で風呂で洗うとかしないと結局はダメなのかもしれ
ないけど)、オレはぐちゃぐちゃの顔で塔矢を見上げた。
「なんで、なんで、こんな事、するんだよ…?なんでこんな事したんだよ…?」
「要らないんだよ。」
冷たい声が返ってきた。
「…いらない?」
いきなり言った塔矢の言葉の意味がわからなくて、聞き返した。
「ボクがキミに求めるのは碁のライバルだ。共に切磋琢磨し、それぞれの碁を高めて行く為
の―それ以上でも以下でもない。ライバルとしてのキミ以外は――要らない。
ましてやつまらない劣情なんかに囚われてまともに検討もできないような奴は――そんな奴
は要らない。ボクには要らない。要らないんだよ。」
ショックだ、なんてもんじゃない。呆然として、オレは何も言えなかった。
何も言い返せなかった。
要らない。
その言葉だけがぐるぐるとオレの頭の中で回りだした。
呆然としているオレに追い討ちをかけるように塔矢は言った。
「キミがどんな目でボクを見ていたか、気付かなかったとでも思うのか?」
見透かされていた。かっと頬が熱くなった。それを見て塔矢は嘲るような笑みを浮かべた。
気付かれていた。そして、切り捨てられた。多分その想いの――罰のように、逆に辱められた。
そして、ゆっくりと、優しささえ浮かべた声で、審判が下される。
「キミが…ボクにしたかったのはこういう事だろう?違うか?」
オレは思わず下を向いてぶんぶんと首を振った。
違う、そんなんじゃない、そんな事、考えてない――って、言うように。
でもそれはウソだ。塔矢の言う通りだ。だから、だからオレはこんな目にあっても当然なのか?
でも、それでも、それでもオレは――
(12)
オレが何も言えないでいると塔矢はすっと立ち上がった。
「さっさと服を着て帰れ。」
冷たい声でそう言うと、部屋から出て行こうとした。
「塔矢、」
それでも未練がましくオレは塔矢を呼んだ。オレの呼び声なんか聞こえてないみたいに足を止
めない塔矢の背中に、ぶつけるように叫んだ。
「塔矢!!」
「いい加減にしろっ!!」
やっと振り返った顔ははっきりと怒っていた。でもさっきみたいな無表情よりはよっぽどましだ。
だってオレは――怒った塔矢はやっぱり塔矢らしくて、一番キレイだ、なんて、ちょっとだけ思っ
ちゃったんだ。だってオレが一番よく知ってる塔矢はこんな風に、「進藤!」って、オレに歯をむ
き出すように迫ってくる塔矢だったから。
「バカか、キミは。」
そう言って塔矢はオレに向かって歩いてきたと思ったらそのままオレを通り過ぎた。
「塔矢っ!」
思わず掴んだ腕はあっさり振り払われた。塔矢はかがみ込んで床に落ちていたオレの服をぐ
しゃっと寄せ集めると、それを掴んでオレの顔に投げつけた。
「さっさと帰れ。そんな顔をボクに見せるな。」
そして一瞬オレを睨み付けた後、今度は逆にオレの腕を掴んで強引に立たせ、そのまま引き
ずり出そうとした。
「今すぐに服を着ないんなら、そのまま外に放り出してやる。」
「やっ、やだっ!やめて、やめて、塔矢…!」
塔矢は苛立ちを抑え切れない、といった目でオレを睨んで、それから乱暴にオレを床に叩きつ
けた。
(13)
塔矢の視線にせかされるように、でもゆっくりとしか動けなくて、のろのろと下着とズボンをはいた。
靴下が片一方だけ脱げてたみたいで、それも拾って、はいた。
身体に力が入らなくて、あちこちがズキズキと痛くて、立ち上がるのも辛かったけど、やっとの思
いで服を着て立ち上がったオレに、塔矢は無情に声をかけた。
「ゴミ箱はそこ。」
言われた通りに、オレは自分の出したゴミをそこに片付ける。
そうすると、オレが転がっていたあたりが、血や他のもので畳が汚れていて、それを見てオレは慌
ててそこをティッシュで拭いた。拭いたくらいでキレイにはならなかったけど、それ以上どうしようも
なくて、オレは困ったように塔矢を見た。
「後始末をしたら帰れと、言わなかったか?」
塔矢の冷たい言葉にオレは今更のように目を見開いてあいつを見て、でも、何も言えなくて、何も
できなくて、痛む身体をこらえながら、転がってたリュックを拾い上げて塔矢に背を向けた。
そうして、よろよろとゆっくり歩いて、部屋の戸に手をかけたオレの背に向かって、塔矢が言った。
「案内しなくても、玄関がどっちだったかくらいわかってるだろ。」
なんて冷たい声。冷たい言い方。
「さっさとボクの前から消えてくれ。」
オレはよろよろと塔矢の部屋を出て、壁を伝い歩きしながら玄関まで行って、スニーカーを履いた。
俯いたら、涙がみっともなくぼろぼろと落ちてきた。大声で泣き出してしまいたかったけど、必死に
こらえた。やっと靴を履き終わって、振り向いても、塔矢はそこにはいなかった。
(14)
どうやって家に帰ったかもよくわからなかった。
ただ、混乱していた。
家に帰って、風呂に入って、その晩は疲労のままに眠りについた。
身体を起こそうとした時に襲った痛みが、昨日の記憶を引き出した。
―いやだっ!やめて、塔矢…っ!
身体を引き裂く痛み。耐えがたい苦痛。
冷ややかに見下ろす目。嘲るような冷たい笑み。
投げかけられた言葉。
「そんなものは要らないんだよ、進藤。」
どうして。
どうしてあんな事になったんだ。何があって、一体。
混乱して訳がわからなかった。
ただ、体中が痛くて、悔しくて、悲しくて、オレは泣いた。
あの時、最初にあの家に着いたとき、玄関で出迎えてくれた、オレを見て優しく笑ってくれたのは、
あれは一体誰だったんだろう。
そして、オレを強引に犯して、冷たい声で帰れと言い放った、あれは一体誰だったんだろう。
本当に塔矢だったのか?
どっちも、本当に塔矢だったのか?
塔矢に似た別人じゃなかったのか?
体に残る痛みさえなければ、全てを夢だった事に、怖い夢を見た、それだけの事にできたのに。
昨日の事が現実だったなんて、思いたくなかった。
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