無題 第1部 11 - 15


(11)
あれ以来、しばらくは警戒からか、緒方に対する態度がぎこちなかったアキラに、
人がいない時を見計らって、声をかけた。
「なんだ、もしかしてあんな事を気にしてるのか?これだからお子様は困るんだなあ。」
そんな風にからかってやったら、真っ赤になって睨んできた。
「本気にした訳じゃないだろ?それともまたして欲しいのか?ん?」
軽く顎にかけた手を、アキラはパシッと音を立ててはねのけた。
「もうっ!いい加減にして下さいよ!緒方さん!!しても良い冗談とそうじゃない
のがありますよっ!」
「ハハハ、悪かったよ、おこちゃまには刺激が強すぎたよな。続きはカノジョでも出来た
時に教えてもらえ。もしよかったらその時にオレがまた教えてやっても良いぞ」
「緒方さんみたいな不真面目な人に、何にも教えてなんか欲しくありません!」
そんな風に笑い話にして、お互いにあれはただの冗談だったと済ませる言ができたのだ。
それからは、今までと変わらずに接する事が出来た。
そう、今までと何も変わりはしない。
変わった事と言えば。
何かの拍子にふと、アキラの顔が目に浮かぶ。
きょとんとして目を丸くしているアキラ。
涙を浮かべて睨み付けているアキラ。
真っ赤になってムキになっているアキラ。
そして、妖しい笑みを浮かべて誘うように近づいてくるアキラ。
いや、あれは違う。あれはアキラではない。
どちらにしても―いや、どちらにしても、気のせいだ。
アキラが気にかかるのは、純真な坊やにつまらない悪戯を仕掛けてしまったのを気にかけて
いるだけだ。それだけだ。それ以上の事は何も無い。


(12)
「何だか上の空だったわね」
ベッドサイドのテーブルに手を伸ばし、煙草に火をつけていると、傍らにいた女が
そう言った。
「誰の事、考えてたの?」
火をつけたばかりの煙草を横から取り、緒方の胸をつついて、こんな事を言った。
「…まさか、この間のあのキレイな子じゃないでしょうね?やーよォ、ロリコンなんて。」
確かにあまり身が入らなかったのは事実だが、ロリコンとは聞き捨てならない。
一体誰の事を言っているつもりなんだ?
「ホラ、この間精次のマンションに行った時にいた子、おかっぱ頭の、中学生くらい?
いくらキレイな子だからって、まさか中学生に手ぇ出だしてなんかいないでしょうね?」
煙草を取り返そうとした手が、一瞬、止まる。が、その狼狽を隠そうとしてか不機嫌な
口調で緒方は応えた。
「―あの時か、オマエな、あの後、腫れて大変だったんだぞ。この暴力女が。」
「殴られるような事するからいけないんでしょ。それより、誰よ、あの子」
「アキラの事か?バカバカしい、あいつは男だぞ。名人の息子だよ。」
「男の子!?ほんとォ?最近の男の子ってあんなのもありなのぉ…?
ふーん、美少女じゃなくって美少年だったんだぁ…でも、ふーん…」
内心の狼狽を知ってか知らずか、女が緒方の顔を覗き込むように見る。
「アヤシイなぁ、男の子だからって安心なんかできないなぁ…アブナイ気持ちに
なんかなったりしないでしょうね?」
「ふふっ。でも、あんな子なら、年下も悪くないわねぇぇ。うん、キレイな男の子って
のもイイかもしれないなぁ。おねーさんが色々教えてあげるわよぉ、って。
うーん、でもやっぱりもうちょっと育った方があたしとしては好みかなあ。」
勝手に言ってろ、と女をこづいて、ベッドを抜けてバスルームに向かった。


(13)
もうちょっと育った方がいい、だと?馬鹿な女だ。
今の―14才のアキラの貴重さがわからんとは…何も知らない無垢な瞳、これから成長
していくエネルギーを内に秘めた、だが、まだ未成熟な肢体…
と、思いかけて頭を振る。一体、俺は今何を考えていたんだ?
そもそも、だ。最中にアキラの事を考えていなかったか、だって?馬鹿馬鹿しい。
あいつが女に見えた事なんて無い。そもそもガキになんか興味はない。だいたい、女は
いくらでもいる。あんな子供に欲情するなんてこと、あるはずが無い。
いや、無いとも言い切れなくは無いが、しかしあれは―あのキスは、魔が差しただけだ。
意味なんて無い。そうだ、小生意気な事を言う子供をからかってやっただけだ。
振り切るように熱いシャワーを頭から浴びていると、横からするりと女が入ってきた。
「ふふっ」
女は腕を緒方の首に絡め、唇を重ねてくる。
けれど、ねっとりと絡み付くような女の唇の感触は、それとは全く違ったアキラの唇を思い
起こさせた。
―アキラの唇は、こんなではなかった。
ぽってりと肉感的な女の唇と違う、口紅や香水の味のしない素のままの唇は、そのまま
アキラの味がした。白くぬめる女の首筋から胸元に舌を這わせながら、緒方は一度だけ
触れたアキラの肌を思い出す。皮膚のすぐ下に筋肉の動きが感じられる肌は、はりが
ありなめらかで、成熟した女の肌とはまるで違った。
「ああっ…ん、」
白い豊かな乳房を弄びながら緒方は思う。少年の小さな胸の突起を舌で転がしたら、
一体、どんな声をあげるのだろう。白い脇腹を指で撫でたら、どんな反応をするだろう。
少年の身体は、きっと、細くしなやかで、よくしなる若枝のように敏感に反応するに違い
ない。そしてその腰は細く引き締まり、完璧なラインを描いているはずだ。
―ア キ ラ……!!
立ち込める湯気の中で、抱いているのが誰なのか、誰の名を呼んでいるのか、わから
ぬまま、緒方は突き上げてくる衝動を腕の中の肉体にぶつけていた。
耳に届く喘ぎ声が、緒方には何処か遠くの世界の事のように感じられた。


(14)
飯でも食いに行かないか、と、いつもの碁会所でアキラに声をかけたら、なぜか芦原まで
ついてきた。
「どこ行きましょうか?最近食べてないから寿司が良いなあ。」
誘ってもいないのに図々しい奴だ。
その上、軽くビールを飲んだだけのくせに、どうでも良いような事をべらべら喋りやがって。
「アキラくん、キミは緒方さんみたいな大人になっちゃダメだよ。
この間なんてねぇ、ほっぺたに引っかき傷つくってさ、絶対女の人にやられたんだよ。」
「いい加減にしろ、芦原。お前がもてないからってひがむんじゃない。」
「ひがんでる訳じゃないですよ。ボクはね、曲がりなりにも先輩として、アキラくんには
こんな不誠実な人間にはなって欲しくないなあ、と。」
「『先輩』じゃなくて『友達』なんだろ。
それにもててない事にはかわりないんだろ、え?羨ましいなら素直に言え。
なんなら一人二人わけてやってもいいぞ。」
「聞いたかい?アキラくん、この言い方。
だいたいね、緒方さんこそ、女はいくらでもいるなんて言ってるけど、本気で好きな女
なんていないくせに」
「いいんだよ、そんなの。恋だの愛だの、いちいちやってられるか、鬱陶しい。」
「緒方さんねえ、あなたはそれでいいかもしれないけど、そんな事、こんな純真な青少年
の前で言わないで下さいよ、ねぇ、アキラくん。」
くすくす笑いながら二人の遣り取りを聞いていたアキラが純真そうな顔で、しかし、心持ち
からかうような声で言う。
「でも、じゃあ芦原さんは誰か真剣に好きなひとがいるんですか?」
「いや、今誰かいるってわけじゃなくてね、一般論として…」
「おい、芦原、お前、情けなくないか?アキラくんにまでからかわれて。」
笑いながら、緒方が空いたグラスにビールを注ぐ。
「緒方さん、車なんでしょ、飲み過ぎですよ。」
そういって緒方のグラスを横取りして口をつける。
「どうせ、オレなんてアキラくんにとっては『お友達』ですからね。」
と、拗ねたような口振りで言う。
「ねぇ、芦原さん、」
そこへ、ふいに真面目な顔になって、アキラが問うた。
「誰かを好きになるとか、恋するって、どんな気持ちなんですか?」


(15)
「えぇ?」
目を白黒させて芦原が言う。
「いや、そんな突然マジに聞かれるても…」
と、誤魔化そうとしても、小さく首をかしげて答を待っているアキラにはとても逆らえ
ない。当然のように知らんふりを決め込んでいる緒方を、ずるいですよ、と睨みつけ、
しどろもどろになりながら、芦原はこたえた。
「そうだなあ…んー、例えば、いつもいつもその人の事が気にかかってしょうがない
とか、誰といてもその人の事を考えちゃってるとか、ふっと、その人の顔が浮かんで
きちゃうとか、そんなだと、もう恋してるっていうか、惚れちゃってるって感じ、かなあ?」
ねえ、緒方さん、と弱りきって緒方の方を見ると、てっきりからかわれると思ったのに、
妙に真面目な、不機嫌そうな顔で眉を寄せている。
芦原の視線に気付くと緒方は、ふん、と鼻を鳴らし、グラスに残っていたビールを一気
に呷った。
「馬鹿馬鹿しい。お子様の恋愛談義になんか、つきあってられるか。帰るぞ。」
タン、と音を立てて空になったグラスを置き、立ち上がった。

子供の戯言、と言い捨てながらも、緒方は芦原の言葉が気にかかった。
馬鹿馬鹿しい。そんな筈が無い。「恋」だと?
ただ…そう、ただ少し、気にかかるだけだ。



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