無題 第2部 11 - 15


(11)
のんびりと、芦原は家路を歩いた。
最初はやつれ方にびっくりしたけれど、ちゃんと食事もしたし、ずいぶん落ち着いたみたいで、
安心した。それにしても、見舞いに行ったはずなのに、気がついたら恋愛相談になっていたの
はなぜなんだろう?
この間もそんな事を聞いてきたし、アキラも、もうそんな年頃なんだな。
囲碁ばっかりで、女の子の事なんて眼中にないって感じだったけど。
どんな娘なのかな。あのアキラに、告白するなんて、勇気のある子だ、きっと。
うまくいくと良いけどな。
アイツも囲碁以外にもいろんな世界があるって、そろそろ知っても良い頃だ。
でも、アイツもウブだよな。好きだって言われたくらいであんなにうろたえるなんてさ…
いいよな、オレにもあんな頃があったよな…
ちぇ、オレも彼女欲しいなあ…どっかにいい娘いないかなあ…


(12)
「続きを教えてやる」
あの人はそう言った。
「これが"キス"。それから…」
キスして、抱き合って、身体に触れて、それからその先に何があるかくらいは知っている。
それなら、あれが、"セックス"なのかな。男同士でもそう言うんだろうか。
それじゃあ、ボクは強姦されたって事?男のボクが、男にヤられちゃったって事?
それでショック受けて、熱出して寝込んで、手合いまで休んで…ハハッ、情けないな。
その上…その上、ボクはカンジてた。キスされて、触れられて、気持ち良くて何度も射精した。
…それじゃ、あれは"強姦"じゃあなかったのかな?イヤだとは思ったけど、痛かったり苦しかった
りしたけど、でも気持ち良かったのは事実なんだし。
でも、だからといってボクがそうしたかった訳じゃない。して欲しいと思った訳じゃない。
「素直になれ」って?芦原さん?
それじゃあ素直になって、気持ち良かったからまたして下さい、って言えばいいのかな?
でも、それならボクは何がイヤだったのかな。何にあんなに泣いたんだろう?
強引だったから?乱暴だったから?痛くて苦しかったから?
ボクは男なのに、女みたいに扱われて、無理矢理ヤられたから?
でもあの時はそんな事考えてもいなかったんだけど。
わからない。
わからないや。あの人が何を考えてるのかなんて。ボクがどうしたいかなんて。
「深く考えるな」
それにはボクも賛成するよ、芦原さん。考えたくない。考えたってどうにもならない。
でも…当分、あの人の顔は見たくない。


(13)
それから、何事もなかったかのような日々が戻ってきた。
次の手合いにはちゃんと行く事ができたし、いつも通りに対局できた。(当然、勝った。)
芦原さんが連絡したのか、母が帰ってきた。具合が悪くなったのなら、なぜすぐに連絡しなかった
のかと責められた。思いつかなかったんだ、と誤魔化したけど。
(父の一番弟子に強姦されて、そのショックで寝込みました、なんて言えるはずがない。)
それから、母を説得して、ボクはアパートを借りる事にした。
みんながいる筈の家に独りでいるのは余計に寂しいから、と言って。もしまた今度みたいに病気
になったらすぐ連絡するし、おとうさんやおかあさんが日本に帰ってきた時は、その時には家に戻る
から、とも、言った。母は最初は随分反対したけれど、結局父の「アキラももう一人前なんだから」
の鶴の一声で決まった。
そうして、母は父のもとへ戻り、ボクは一人暮らしを始めた。
イベントはできるだけ断った。大手合いの日は棋院に行き、それ以外の日は学校へ行く。
時には父の門下生の研究会に行く。ただ、来る予定の人は事前に確認し、あの人とは顔を会わせ
ないようにした。始めの頃は父の碁会所もボクは避けていたけれど、芦原さんに連れていかれて、
最近はあの人もそこには来ていなかったのだと聞いた。
ボクは少しほっとした。
そんな風に、何事もない日々を過ごして、ゆっくりと、時間が経てば、忘れられると思ってた。


(14)
でも、そんなのはウソだ。
痛みや痣は消えてしまっても、ボクの身体は覚えている。
忘れてはいない。あの時の苦痛と、快感を。あの人の言葉を。
そして、それを聞いた時にボクの脳裏に浮かんだ人物を。
なぜ、あの時に彼の顔が浮かんだのか?
確かにボクは彼に会った時から、ずっと彼に囚われていたのかもしれない。
けれどそれは、その感情は、そういったものとは全然別のものの筈だった。
それなのに、なぜあの時、ボクが呼んだのは彼の名前だったのだろう?
考えても答など出てこない。それが何なのか、ボクにはわからない。

いっそ、ボクをさらっていってしまって欲しい。
あの、嵐のような、圧倒的な快楽の波の中に飲まれてしまえば、何も考えずに済む。
好きだとか嫌いだとか、何と呼べばいいのかわからないこの感情を、自分の中でもてあまして
不安にならずに済む。それなのになぜ、あの人はあれ以来ボクに近寄ろうともしない。
ずるい。卑怯だ。
ボクの気持ちなど構いもせず、強引にあんな真似をしておいて、一言の弁解も謝罪もなく、
ボクを混乱させたまま放っておいて。

それでも、あの人は順当に勝ち進み、また一つタイトルの挑戦権を得た。
そして進藤もまた、順当に白星を重ねているようだった。


(15)
若手プロが集まるイベントに駆り出されたアキラはそこで久しぶりにヒカルに会うことになった。
そのイベントにもできれば行きたくはなかったが、若手の中でも今やトップの位置にいるアキラ
を抜きにしては始まらない、と言われ、断りきれなかった。
参加棋士の中に進藤ヒカルの名を聞いた時、アキラは胸がざわつくのを感じた。もう随分と彼に
は会っていないような気がする。会いたいような、会いたくないような、どちらともつかない気持ち
が、少しだけアキラを苛つかせた。彼もまた、アキラにとって"わからない"人間の一人だった。
当日、早めに会場につき、関係者と他愛のない話をしている時に、ヒカルはやってきた。
ヒカルは多分院生仲間だったと思われる他の棋士数人と、うるさいくらいに喋りながら入ってきた。
入口は随分遠いのに、賑やかなヒカルの声に、アキラの身体が先に反応して振り向いてしまい、
後からその声の主に気付いて、なぜだか慌てて元に戻った。
「おや、進藤プロ達ですな。相変わらず賑やかだ。ああしてると、やんちゃな中学生にしか見え
ないのに、あれで大した碁を打つからね、彼は。塔矢先生も負けてられないんじゃないですか?」
そんな風に話し掛けてくる相手に、アキラは上の空で返事をした。



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