Pastorale 11 - 15
(11)
突然ヘンな音が響いて、ぴたっと二人の動きが止まる。アキラがヒカルの顔をまじまじと見つめ、
ヒカルは居心地悪く目を逸らそうとする。その様子に、ぷっとアキラが吹き出し、それから声をたて
て笑い出した。
「うるせえ!笑うな、チクショウ!」
「だって、ハハハ、色気のない奴だな、ハハ、」
「ああ、クソッ、もう笑うなってば!しょーがねーだろ!もう昼なんだから!!」
「全く、キミと来たら、」
笑いながらアキラは身体を起こす。
「クク、キミは、そうか、ボクよりもお昼ご飯の方がいいんだ?」
「んな事言ってねーだろ!なんだよ、オマエはじゃあ腹減ってねーのかよ!!」
「いや、ボクも言われてみればお腹空いてきたかもしれない。」
ムッとした顔でアキラを睨み上げているヒカルに、アキラは微笑みかける。
「そう言えば、お昼はどうするんだい?」
「持ってきてる。」
と、まだ頬を膨らせたまま、リュックを指し示す。
道理で、いつもよりも中身が詰まってて重そうに見えたわけだ。
「じゃあ、とりあえず、戻ろうか。」
と、アキラは、先ほどまでヒカルが座っていた場所に座り、オールを手に取る。
「え、おい、待てよ、塔矢。」
「大丈夫だよ、ボクだってボートくらい漕げる。」
でも、と、不服そうな顔をするヒカルにアキラはにやっと笑いかけた。
「空腹で腹の虫が鳴ってるようなキミに力仕事させられないだろ?」
ぐっと言葉に詰まってしまったヒカルを笑ってやってから、アキラは軽く振り返り、そして器用
にボートの向きをかえてから、ボート乗り場に向かって漕ぎ始めた。
(12)
売店のさきは、湖の上にテラスのように張り出していて、白い椅子とテーブルがあってテーブル
には日除けのパラソルまで立っている。
行きはヒカルにお任せだったけれど、帰りは自分が漕いできたから、ちょっと疲れたし、空腹感も
強くなった気がする。
椅子に座って、さあ、お昼だ、キミの持ってきた昼御飯はなんだい?と言うようにヒカルを見上げ
ると、ヒカルが何かに気付いたように動きを止め、ちょいちょいとアキラを手招きして、耳元でこう
言った。
「あのさ、アレ、飲むだろ?」
「もちろん、キミもそのつもりで買ったんだろう?」
「そしたらさ、えと、ここってちょいやばくねぇ?」
と、周りを見回す。
ここに着いた時には誰もいなかったのに、戻ってきたら数組の観光客が来ていた。
「確かにそうかも。」
普段はあまり気にしていないが、一応は二人とも未成年だ。それに、中年女性数人のグループ
が、さっきから胡散臭げにこちらを見ている。
「もしかして、さっきの見られてたかな。」
「いや、それは無いと思うけど、」
とヒカルはさっきまで自分たちがいた方向を見る。そこは湖の中の浮島の陰になっていて、多分、
このボート乗り場からは見えなかったはずだ。
「いや、普通に考えるとオレ達って高校生に見えるじゃん?ガッコサボってこんなとこ遊びに来て、
とか思われてんじゃねぇかな。んなおばちゃんたちの前じゃ、」
確かにアルコールなんか飲めないだろう、とアキラが納得しかけた所に、
「いちゃつくわけにも行かないじゃん。折角オマエとこんな所に来てんのに。」
「進藤っ!キミは!!」
ニヤニヤ笑いながらヒカルが言うので、つい、声を荒げてしまって、慌てて口を押さえた。
先程のご婦人方のこちらを見る目が、更に険しくなったような気がした。
そんなアキラを見てヒカルがぷっと笑って、アキラの手をとって、「行こうぜ、塔矢。」と歩き出した。
(13)
「おっ、」
湖畔からちょっと山に入りかけた道で、ヒカルが一本の樹を見て目を輝かせた。
「なーなー、こーゆー樹、見ると、登りたくなんねぇ?」
言いながらヒカルは樹の幹に手をかけ、上を見上げる。
「こーゆー枝がいっぱい出てる樹ってさ、登りやすいんだよね、うん、よっし、」
と、いきなり手をかけてヒカルはリュックを置いてぴょいと枝に手をかけ、木に登りだしてしまった。
アキラが呆気に取られてる間に、ヒカルはぐんぐん上まで上がって行く。
「わー、すげー見晴らし良い!」
頭上でヒカルの声がする。見上げるとヒカルがアキラを手招きして、言った。
「オマエも来いよ。すげーキレイだぜ。」
そんな事言われたって、どうしろと。と言うか、どうやってそこまで行けって言うんだ。
返事もできずにいるアキラに、ヒカルが追い討ちをかける。
「……もしかして塔矢って木登りとかした事ない?」
実はそうなのだ。
大体、ちっちゃい時からずっと囲碁漬けだったから、外遊びなんかほとんどした事がない。
せいぜい、幼稚園や小学校で義務としてやらされていた、くらいの感覚しかない。
泥遊びをしたり、鬼ごっこをしたり、ボール遊びをしたり。他の子供たちは楽しそうに外を駆け回って
いたけれど、アキラにとってはそんなもの、どこが面白いんだろう、という感じだった。
でも。
ヒカルができるのに、自分ができない事があるというのが悔しい。
悔しいから「した事ない」なんて認められない。そんな考え方は馬鹿馬鹿しいし、返事をしないことで、
ヒカルにも自分が木登りなんかできない事はもうわかってしまっているのだろうが。
「大丈夫。この樹なら誰でも登れるから。」
頭上から温かい声が降ってくる。
「ホラ、来いよ。」
(14)
まず最初にその枝に掴まって、その瘤になってるところに足をかけるだろ。そうそう、そしたら、もう片っ
ぽの足を引き上げて一番下の枝まで上がって……
と逐一指南されながら、やっとこさっとこで、アキラはヒカルのいる枝まで辿り着いた。
ヒカルはぶらぶらと足を揺らしながら枝に座っていて、アキラが来ると、アキラが座れる幅だけ、枝先
にずれた。その様子に、アキラは既に、進藤はよく怖くないな、などと思いながら、おっかなびっくり、
幹に掴まりながら、ヒカルの横に座る。
「ホラ、きれいだろ。」
そう言われて眼下を見下ろすと、木々の枝の間から、湖面が広がっているのが見える。
高い所から下を見下ろすのは何て気持ちがいいんだろう。
こんな光景を見たことがなかった。
「高いとこに登りたがるのはバカだって言うけどさ、気持ちいいだろ。」
確かにその通りだ。
「うん、とても。」
ヒカルとここに来なかったら、木登りなんて一生しなかったかもしれない。そうしたら、こんな感覚も、
一生知らなかったわけだ。それだけでも、今日ここに来た甲斐があるような気がして、アキラはとても
幸せな気分になった。
だが、
「あー、リュック置いてこなきゃここでメシ食っても良かったよなー。」
と言うヒカルには、さすがにアキラは同意しかねた。
確かに見晴らしはいいけれど、気持ちはいいけれど、落ち着かなさ過ぎる。
それにやっぱりちょっと怖い気もするし。そんな事、ヒカルには口が裂けたって言えないけど。
(15)
「あ!あそこ!あそこらへんどう?」
ヒカルの指差した方をみると、そこは道からすこし外れているけれど、林が途切れて、草地が広がっ
ている。
「ベンチとか、休憩所みたいの、あんま無さそうだし、あそこでメシくおーぜ。」
ぐるっと辺りを見回して、再確認してヒカルが言う。
「うん、決まり。じゃ、腹も減ったし、降りよう。ホラ、塔矢、行けよ。」
登れたんだから降りれるだろ、おまえが先に行かないとオレが降りれないんだよ、と後ろ(上)からつ
つかれながら、アキラは枝を降り始めた。
こっちは初めてなんだからそんなにせっつくな、バカ、と内心文句を言いながら、アキラはへっぴり腰
で恐々と降りて行く。やっと地面に辿り着いてアキラは、ふうぅっと思いっきり息をついてしまった。
その後ろからぴょん、と最後の枝を飛び降りたヒカルが、
「ど?木登り初体験のご感想は?」
と、得意満面で言う。
アキラと付き合い始めて苦節何年(ってほどでもないけど)、ここまでアキラに優位に立てたことが
あっただろうか。それだけでもここまで来た甲斐があったかもしれない、とヒカルは思った。
そうか、やっぱ塔矢に勝とうと思ったらアウトドア系だよな。そうだ、今度遊園地とか行ってみよう。
コイツってジェットコースターとか平気なタイプかな。でも悲鳴とかあげられないで目ぇつぶって必死
にしがみ付いてるタイプだよな、きっと。う〜ん、楽しそう。どこに行こう。
そうだよ、碁会所ばっかりじゃなくって、コイツが行ったこと無さそうなとこ、連れまわしてみよう。
うん、決まりだ。
「進藤?」
怪訝そうに声をかけられて、ヒカルははっと我に返った。
ヒカルのにやけた顔を横目で見て、アキラは思う。
どうせ、今度はコイツに何をさせてやろうか、とか考えてたんだろう。いいけどね。滅多に無い経験を
してみるのもいい事だし、今度はどこに連れて行ってくれるのか、楽しみにしてるよ。
|