pocket size 11 - 15


(11)
「アキラたん。いつまでもその格好じゃいけないよな。アキラたんに合いそうな服が
今ないんだけど、とりあえずこれを被って我慢しててくれるかい」
「あ、はい。お気を遣わせてしまってすみません」
アキラたんは俺の差し出した薄手の白いハンカチをふわっと身にまとい、ふんふんと
匂いを嗅いで嬉しそうにきゅっと顎の辺りで閉じあわせ、微笑んだ。
「石鹸の、いい匂いがします・・・!」
「そうか、良かった」
本当に良かった。ちゃんと洗ってあるハンカチがあって・・・と内心胸を撫で下ろす。

時計を見るともう夕方の6時だった。
「もうこんな時間か。アキラたん家では何時くらいに夕飯食うの?」
「父やボクの仕事の都合にもよりますけど、だいたい7時くらいまでには。でも今日は
お昼をしっかりいただいてしまったので、夜はあまり入らないかも・・・」
ハンカチの上から小さな手でお腹をさすりつつ、小首を傾げてアキラたんが言う。
その手がちさーいのにちゃんと五本の細い指を備えていて、一本一本の指にはちゃんと
小さな関節とピンク色の小さな爪が揃っていて、それらが精巧な作り物のように器用に
滑らかに動いていることに、俺はなんとなくだけど凄く感動してしまった。
「そっか、アキラたんはもうプロなんだよな。俺より年下だけど、ちゃんと働いてるんだ。
今日の夕飯は・・・一人暮らしでロクなもんがないんだけど、冷やし中華なんかどうかな。
冷やし中華に豆板醤とマヨネーズかけて食うの今ハマッてて結構オススメなんだけどさ、
アキラたんは米のゴハンのほうがいいのかな」
「冷やし中華、大好きです!辛いのも。マヨネーズは、ボクは結構です」
「あ、じゃあ冷やし中華と、あと豆腐があるから豆腐と、食後にスイカ食お。
退屈だろうけどここに座って少し待っててくれるかな。今仕度するから」
「はい!」
アキラたんは元気良くお返事して、座布団代わりの折りたたんだハンドタオルの上に
ぽふっと座り込んだ。


(12)
冷蔵庫を覗いてため息をつく。
普段コンビニ弁当とレトルト中心の食生活なので、本当にロクなものが入っていない。
今夜はなんとか凌げそうだが、明日になったら野菜とか色々買って来たほうがいいな。
掃除もしないとな。アキラたんに埃っぽい空気を吸わせるわけにはいかない。
普段だったら面倒臭いけど、アキラたんのためだと思うとなんかヤル気が出るな。

当然のことながらアキラたんに合う食器はないので、小さいお猪口を丼代わりにする
ことにした。冷やし中華と豆腐をアキラたん用に小さく切ってそれぞれ美的センスの
能う限り綺麗に盛りつけ、箸の代わりに爪楊枝二本を添える。先が尖っていて危ない
ような気がしたので先端を少し丸く削っておく。
(よしっ!あとは麦茶を淹れて・・・と)
冷蔵庫から麦茶のペットボトルを取り出している時、机のほうからか細い悲鳴が聞こえた
気がした。

「・・・アキラたん?どうした!?」
慌てて様子を見に行くと、白い布がちょうちょのようにひらひら跳ね回っては
ふわりふわりと翻っている。アキラたんが机の上をとてとて走り回りながら、
身に巻きつけていた白いハンカチを闘牛士のように振り回しているのだ。
「アキラたん?アキラたん、どうしたんだ危ないよ!落ち着いて!」
「やっ、嫌だ・・・っ!来ないで!あっ」
アキラたんがぺちんと転び、ハンカチがふわりと机の外に舞った。
その時俺は漸く、アキラたんのパニックの原因を悟った。
「うっ・・・!」
すぐには立ち上がれず両手両膝をついてお尻を突き出した格好のアキラたんに、
ヴ〜ン・・・と迫り来る怪しい影。――蚊だ。
ちさーくなってしまったアキラたんに翅を広げて襲い掛かる蚊がやけに大きく見えて、
その対比が妙にエロティックに感じた。


(13)
蚊は無遠慮にもアキラたんの可憐なお尻に留まると、その肌理細やかな白い皮膚の表面に
今にも口針を突き立て吸血しようとした。
「やっ・・・やーぁぁ・・・っ!」
アキラたんが細い悲鳴を上げると同時に、俺は「アキラたんごめんっ」と断り
ぺちっとそのお尻を叩いて、アキラたんを襲っていた蚊をツブした。

「あっ・・・、・・・はぁ・・・っ」
お尻への衝撃に振り向いて、助かったことを知ったアキラたんがほぉっと息をつきながら
うつぶせに横たわった。
「ありがとうございます・・・」
「いや、怖い思いをさせちゃってゴメン。俺がもっと気をつけてればよかったね」
今のアキラたんにとっては、蚊だって凄い大きさなんだよな・・・そりゃ怖いよな。
こんな小さい体で普通サイズの人間と同じように刺されたらどうなるかわからないし、
明日は蚊取り線香も買ってきたほうがいいな。
「はー・・・」
アキラたんはまだ興奮冷めやらぬ涙目で息を整えている。
蚊を潰した指を見てみると結構な量の血がついていた。昼寝中に刺された俺の血だろう。
ちらっと目をやるとアキラたんのお尻にも同じだけの量の血がついている。
全裸で涙目のアキラたんの白いお尻から太ももにかけて、こびりついた赤い血・・・
あらぬ方向へ意識が飛びそうになる。
頭を振って慌てて打ち消す。
いかんいかん。
「アキラたん、メシの支度が出来たんだ。もう入る?」
「あ、はいっ」
アキラたんのお尻にこびりついた血をなるべく無造作にティッシュで拭き取って、
落ちたハンカチをもう一度しっかり体に巻きつけさせて、アキラたんと俺は
大きさがちょっと違う二人分の食器で一緒にゴハンにした。


(14)
ちさーいアキラたんが俺のアパートに来てから数日経った。
「ただいまー、アキラたん」
バイトから帰って玄関のドアを開けると、部屋のほうからアキラたんのちさーい声が
聞こえた。小さすぎて何と言っているか聞き取れないが、「お帰りなさい」と言って
くれていることを俺はこれまでの経験から知っていた。

部屋に入るとフローリングの定位置にちょこんと座ってアキラたんが俺を待っていた。
「英治さん、お帰りなさい」
「ただいま。このまま机に行く?」
アキラたんが来たばかりの頃に二人で話し合った結果、アキラたんの居場所は基本的に
俺の留守中は床の上、俺がいる時は机の上ということになっていた。
前者の理由は、この間の蚊事件の反省を活かし、俺の留守中にアキラたんがうっかり
机から落ちてしまったりする危険を避けるため。
後者の理由は、俺が万が一にもアキラたんを踏んだり蹴ったりしてしまわないよう配慮
してのことだ。
「はい。・・・あ、すみません。その前にお手洗い・・・」
「そう?じゃ、」
とアキラたんを抱き上げるため手を伸ばすと、アキラたんは少しむっとした顔でピョンと
一歩後ろに飛び退いた。
「一人で、行けます」
「そう?じゃ、済んだらまた呼んで」
「はい。行ってきます」
澄ました顔で挨拶をして、アキラたんはすたすたとフローリングの上を歩き出した。
すたすたすたすたすたすたすたすたすたすたすたすた
「・・・・・・」
俺なら数歩で届く距離がアキラたんにとっては遠い。
だが、自分の力で出来ることは極力自分で、というのがアキラたんの流儀なのだ。
その誇り高くも可憐な遅々とした歩みを、俺は少々もどかしい思いで見守るのであった。


(15)
「英治さん、すみません。お願いします」
トイレを済ませたアキラたんが、部屋に戻って来て言った。
フローリングの上にあったアキラたんの私物を机の上に移す作業をしていた俺は、
アキラたんに伴われてトイレへ移動した。
廊下に続くドアもトイレのドアも常時開けっぱなしで固定してあるのは、ドアの影に
アキラたんがいるのに気づかないで開けてしまったりする危険を防ぐためだ。

アキラたんのトイレコーナーは普通の人間用のトイレの一角に設けられている。
楕円形の青い石鹸皿にティッシュを敷き、一回用を足すごとにティッシュを取り替える
仕組みだ。俺の留守中は使用済みティッシュを別に設置したちさーいビニール袋に入れて
おいてもらうが、こうして俺がいる時は一回一回トイレに流す。
「準備はいい?」
「お願いします」
丸めたティッシュを手にしたアキラたんが神妙な面持ちで頷く。
両手で抱え上げて便器の上まで連れて行ってやると、アキラたんは海に白い花束を投げる
ように便器の水の中に白いティッシュを捨てる。
俺が水を流し、アキラたんが手を洗う。
「ありがとうございました・・・!」
アキラたんが漸くホッとしたような顔で微笑む。
サイズが違うだけでトイレも一苦労だ。アキラたんのトイレの後始末なら俺は喜んで
やれるし、実際そのほうが何かと効率がいいはずなのだが、トイレの後のゴミ捨ても
石鹸皿の掃除も、アキラたんは「そんなことを人様にお任せするわけにはいきません」と
頑として譲らなかった。
もっと割り切って俺を利用してくれてもいいのに、とも思うが、ちさーくなっても
無闇に人に頼ることを良しとしないアキラたんの誇りは大事にしてやりたいと思う。



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