白と黒の宴4 11 - 15
(11)
高永夏と対戦出来るかもしれないという期待にもう他に何も思考に入らないという様子だった。
騒ぎの元になった自覚とか、社やアキラに対し一言わびを入れる気もこれっぽっちもないらしい。
ここまで来るともう社も怒りを通り越してしまった。
「ったく、アイツ…、なんや知らんが並みの気合いやないで。…まあええわ、アイツの
勢いにオレらもノッたろうやないか」
そんな社の言葉にアキラは少し救われた気がした。
この大会の行く末に、ヒカルが自分から遠く手の届かない存在になってしまうかのような
漠然とした不安を抱いていたが、自分だけが置いて行かれるわけにはいかない。
「…ああ!明日の中国戦、全力でいくぞ」
ヒカルが消えたドアを見据えてアキラはそう答えた。
そのまま自分の部屋に進み、ドアを開く。
ふと、アキラは社が自分のすぐ背後について来ているのに気付いた。
ドアを開けて振り返るアキラを、社は黙って見つめている。
「…何だ…?」
鼻先でドアを閉めるのもはばかられてアキラもそのまま黙って社を見つめる。
「…お前…」
半分怒っているような、下唇を突き出した表情で社は鋭い目でアキラを睨んでいる。
「?」とアキラが戸惑って困ったように社を見返す。
すると社も自分の顔つきに気付いて慌てたようにパンッと自分の頬を叩いた。
(12)
「…悪い、この顔はガキの頃からのクセや。」
『お前の顔見るだけで今打った手が良いか悪いかすぐわかるで。ポーカーフェイスで
打たなあかん』と碁会所の年長者に注意されて直させられたものだった。
ただ、強く矯正されるまでもなく周囲の者達に勝てるようになるうちに次第に
社の表情はあまり表に出なくなった。
焦りが表情に出るほど追い詰められる事がなくなったからだ。関心の持てない
相手の前では無表情だが、本来社はそれなりに喜怒哀楽の感情表現が豊かな人間だった。
特に今日は大人達に囲まれ、アキラへの感情を悟られないよう振る舞って居た部分はあった。
「何やったっけ、えーっと…」
改めてアキラと向き合って社は急に少し緊張し始めた。
「ああ、そうや」
話そうとした内容を思い出し、軽くせき払いして真顔になる。
「…なんやお前、ひどく動揺しとるみたいやな。」
「ボクが?」
「進藤の視界に他の奴が入り込んだからって…そうピリピリするな。」
アキラは驚いた表情になり、唇を結ぶとドアを閉めようとした。すると社も焦って
そのドアを片手で掴んで止めた。
「き、気イ悪うせんといてや。…別に怒らすつもりやないんや。ただ、オレ、…、」
少し口籠って社はアキラを見つめる。
「…本気で明日がんばるから、それだけ言いたかったんや…」
(13)
そう言ってアキラに笑いかけようとして、社の視線がアキラの唇で止まった。
捕らえられたようにそこから目を離せなくなった。
もう一度そこに触れたい。そうしたら気分が落ち着いて深く眠る事ができる、
そんな気がしたのだ。
しばらくその状態で言葉もなく2人は見つめ合った。
するとアキラは小さく溜め息をつき、社が押さえるドアをそのままにして部屋の中に
入っていった。
「塔…」
社は一瞬躊躇した。自分が考えている事が伝わってしまったのかどうかはわからないが、
取りあえずアキラが自分を部屋に入る事を許可したように思えた。
社は周囲を見回し人目がないと確かめて中に入り、ドアを閉める。
心音が高まる。
アキラは入ってすぐの壁にもたれ掛かって腕組みをして社を睨んでいた。
それを見て社は急激に勢いで部屋に入ってしまった事を後悔した。
(だがしかし…入ってしまったモンはしょうがない。ええい、もうヤケクソや…!)
アキラの表情にはやはり今朝までの余裕がないように見えた。コンビニへ2人で出掛けた時の
あの聡明さが今はすっかり消えてしまっている。それが社には歯がゆかった。
社は恐る恐る手を伸ばしてアキラの肩にそっと置いた。
アキラに逃げる気配はなかった。受けて立つような強がるような視線を向けて来る。
ごくりと息を飲み、慎重にもう片方の手も伸ばしてアキラの両肩を抱き、正面に立った。
(14)
自分を見るアキラの視線は厳しいままだったが、完璧に自分を拒絶してはいないようだった。
社は少しホッとし、落ち着きを取り戻した。
塔矢邸でヒカルが出て行った後に2人きりになった時、社はアキラにキスをしようとしたが
できなかった。
もうアキラにそうした手出しは一切しないつもりだった。
だが、北斗杯の会場のホテルに入ってから、どうも進藤の様子がおかしくて、―それは
合宿の時点からそうだったのだが、北斗杯の予選を戦った時のようなあの大らかに
碁を打つ事を楽しんでいた進藤とは別人に感じた。
そんな進藤にすっかりアキラも引きずられてしまっている。
「…やっぱり何や、おまえら変やで。」
こうして部屋に易々自分を入れる事自体がおかしい、と社は暗に示していた。
「…君には関係ない。」
アキラは視線を床に落とす。社はムッとし、思いきってぐいと顔をアキラに近付けた。
一瞬小さく肩を竦め、顎を引いてアキラは拒否の意志を示した。だが、塔矢邸でのあの
氷のように冷ややかな表情ではなかった。
社はアキラの肩を引き寄せてさらに顔を近付ける。
ほぼ2人の唇が触れるか触れないかの距離に寄る。
「…社!」
ようやくアキラがそう低く叫ぶと、社も低く答える。
「嫌やったら、殴ったらええ…!」
(15)
そういう態度とは裏腹に頭の中では社は迷っていた。
別にアキラに自分を誘ったつもりはないかもしれない。
だがここまで彼が危うげでなければ、ヒカルとの間に自分が漬け込む隙を与えなければ
自分だってこんな事はしないと考える。
理屈抜きで押さえ切れない感情も存在する。
その一方でここで焦っては、せっかく振り切ろうとした思いをまた抱える事になる。
(…オレはいったい、何をしようとしとるんや…!)
いろんなものが頭の中を駆け巡り社が激しく混乱し葛藤していたその時だった。
「…明日…勝つんだろうな…」
間近な場所でアキラの唇が動き、温かい呼気が社の頬に触れた。
アキラのその言葉は、それが条件でその先を許すという提示を社に与えた。
社の思考が真っ白になった。
「…ああ…!」
次の瞬間社はアキラの唇に自分の唇を重ねていた。
ゆっくりと温かく柔らかな肉感が互いの意識に奔り、社はそのまま深く押し付けた。
片手を肩から外してアキラの顎を持ち上げ、アキラの閉じたままの唇を吸う。
溜め込んだものを吐き出すように社は夢中になってアキラの唇を貪る。
なぜアキラがキスを許したのかを考える余裕は社にはなかった。
そんな事はもうどうでも良かった。
ひたすらにアキラの唇の感触を味わった。
|