クリスマス小アキラ 11 - 15
(11)
強打した腰が痛いのです。
「クソっ、オレとしたことが……!」
緒方さんは壁に頭を打ち付けたくなりました。スマートさを、そして常に完璧さを
身上としている緒方さんですが、何が悲しくて屋根で滑って転んで尻餅をつかなければ
ならなかったのでしょう。アキラくんへのプレゼントを車まで取りに行き、そのまま
家に帰りたい気持ちでいっぱいになりました。
しかし、つい落としてしまったビニール袋がアキラくんに気づかれなかったかどうかが、
緒方さんの最大の気がかりになっています。
アキラくんはまだまだ本気でサンタクロースの存在を信じています。いつかは
真実を知る時はくるでしょうが、できるだけそれが先の事であればいいと思うのです。
冷え切った長い廊下を歩いて居間の襖をこっそりと開けると、コタツに入った
ままの父の手を懸命に引っ張るアキラくんがいました。
「アキラくん?」
緒方さんがついアキラくんに声をかけると、緒方さんに気づいたアキラくんは
父の手をあっさり振り切って大変大変と駆け寄ってきます。
「どうしたの?」
「あのね、さっきね、おうちにサンタさんが来たの!」
両手を挙げて突進してくるアキラくんを緒方さんが抱き上げると、アキラくんは
興奮した声で『さっき屋根にサンタさんが降りてきたんだよ』と教えてくれました。
「へえ、それは気づかなかったなあ」
「ね、聞いたよねおとうさん!」
「ああ、ドシンってすごかったな」
父は、みかんをむく手を止めて頷きます。珍しく笑っているように見えるのは
緒方さんの気のせいではないようでした。
(12)
アキラくんは緒方さんの首に抱き着いて悶絶しています。
「見にいってみる?」
「うん!」
緒方さんはアキラくんのくしゃくしゃになった髪を手で梳いてあげて、いつもの
見慣れたおかっぱを再現しました。アキラくんにはおかっぱが似合います。
毎年お正月には袴を着るアキラくんですが、それがまたよく似合っていて、近所の
人にも可愛いと評判です。『かわいいんじゃなくて、かっこいいんだよ!』といつも
訂正を促すアキラくんもやっぱり可愛くて仕方がないのでした。
アキラくんを抱っこしたままアキラくんのお部屋に行くと、当然ながらサンタ
さんはいませんでした。
「サンタさんいないね……」
緒方さんが呟くと、アキラくんはしゅんと肩を落としました。そのまま切なくなった
のか、緒方さんに抱き着いたままぐずり始めてしまいます。
「眠くなっちゃったかな?」
アキラくんはイヤイヤと首を振りますが、無理もありません。アキラくんは緒方さん
が遊びに来た時からお昼寝もせずにずっとはしゃいでいたのです。
「今日はおがたくんと寝るの……」
緒方さんは笑ってしまいました。
今日のアキラくんはいつも以上に甘えたがりのようです。
「ハイハイ、王子様」
そして、緒方さんはいつもと同じようにアキラくんのほっぺたをナデナデして
微笑みました。
「――アキラくんが寝てる間に、きっとサンタさんは来てくれるよ」
(13)
顔や肩を小さな手でぺしぺし叩かれて、緒方さんはようやく目を覚ましました。
「サンタさんが来たの〜!」
ぺたんと座っているアキラくんの足元には包みが二つ置いてあります。緒方
さんは眼鏡をかけて起き上がると、アキラくんの背中に半纏をかけてあげました。
「開けてみたら?」
「おがたくんも見たい〜?」
「見たい見たい」
「じゃあ見せてあげるね」
アキラくんは両手で豪快に包み紙を破くと、『きゃ〜!』と叫びました。
「うさぎちゃーん!」
どうやら、父が選んだ息子へのプレゼントはウサギ柄のマフラーと帽子と手袋の
セットのようです。緒方さんがアキラくんの首にマフラーを巻いてあげると、
アキラくんは自分で帽子と手袋をつけました。
帽子は前後が逆になっていましたが、アキラくんは満足げににこにこ笑っています。
「ハハハ。かわいいね」
「でしょー」
「もう一つのは何だろう?」
緒方さんが指をさすと、アキラくんは慌てて箱に駆け寄り、手袋のままで包み紙を
破りました。包みは相当重そうで、アキラくんは箱を持ちあげるのにも苦労しています。
「んしょ、んしょ」
アキラくんは頑張っていますが、緒方さんはただその様子を笑って眺めている
だけで手伝ってはくれませんでした。
(14)
アキラくんは首を傾げて繰り返しました。今日は大晦日です。いつもは自宅で
家族と過ごすアキラくんですが、今年は芦原さんが初日の出がよく見えるという
穴場を見つけてきたので、塔矢門下全員での年越しです。
「アキラくんは対局料とかで中学生の割に稼いでいるから、欲しいものがあっても
すぐ買えるでしょ。お年玉もたくさんもらってると思うしさ」
アキラくんの隣でお湯に浸かっている芦原さんはウンウンと頷きました。
「お金をもらうようになったら、純粋に何かをもらって嬉しいという気持ちが
しぼんでいくような気がするんだよね」
芦原さんは、案外ロマンチストのようです。アキラくんはぶくぶくと湯船に
沈んでいった芦原さんを眺めながら考え込みました。
「お年玉は貯金してましたから、自由に使った覚えはありませんけど――、
小さい頃、クリスマスにもらったものはすごく嬉しかったですよ」
「中身を聞いていい?」
芦原さんは珍しく真剣な顔になっています。いるのかどうかさえ怪しい彼女に
プレゼントのセンスが悪いとでも詰られたのでしょうか。
「碁盤と碁石です。オモチャみたいに小さいものでしたが、ちゃんと足も碁笥も
ついてるものでした。ボク専用っていうのがとにかく嬉しくて」
「誰からもらったの? 塔矢先生?」
アキラくんはしばらく考えました。
――やっぱり、アキラくんのちっちゃな手にぴったりだね。
幼かった頃、箱から出したばかりの碁石を指に挟んで見せたアキラくんを見る
緒方さんの満足そうな顔と優しげな声は、アキラくんの記憶に今でも鮮明に残っています。
「それは――」
アキラくんはふと口を噤みました。緒方さんが大股で近付いてきたのです。
「芦原! オマエ本当にここが『初日の出絶好のスポット』って聞いたのか?」
「ちゃんと雑誌で見ましたよ〜。景色が美しい宿100選」
「どうも不思議な気がして、さっきフロントで聞いたんだが、ここからは日の出は
見えないということだ。日の入りは確かに美しいそうだが」
(15)
「オマエ……」
緒方さんは湯船に入ってくると、芦原さんの頭を掴んでお湯の中へ沈めます。
「アキラくん、30秒数えてくれ」
思わず言いなりになって30秒をカウントしたアキラくんでしたが、30秒
経っても手を放さない緒方さんに慌てて芦原さんを救出してあげました。
「いいじゃないですか。みんなで温泉なんて久しぶりで、スゴク楽しいです」
「キミがそう言うのなら別に構わんが――」
緒方さんは溜息を吐くと、眼鏡を外して湯船の縁に置きました。その隣で
芦原さんはゴホゴホと咳込んでいます。顔をお湯に浸けられたときに水を飲んで
しまったのでしょう。
「ひどいですよ緒方さん。折角アキラくんと真剣な話してたのに」
「ふうん。どんな話してたんだ?」
緒方さんはアキラくんと芦原さんの間にちゃっかりと腰を落ち着かせました。
「内緒です。緒方さんは馬鹿にするに決まってる。って、やめてくださいよ〜」
無言で手を伸ばしてきた緒方さんから逃れて、芦原さんは湯船から出ていって
しまいました。上がり湯もそこそこに浴場から出ていってしまおうとします。
「アキラくん、なんの話してたの?」
「緒方さんには内緒なんですってば。――芦原さん!」
アキラくんは出口のドアを開けようとしている芦原さんを呼び止めました。
――アキラくんが寝てる間に、きっとサンタさんは来てくれるよ。
かつて夢見心地で聞いた優しい声は今も隣にいる緒方さんのものでした。
素敵な贈り物に囲まれて目覚めた朝に傍にいてくれたのも。
そんな泣きたくなるほどの幸せな思い出は、時折アキラくんを微笑ませているのです。
アキラくんは隣で不機嫌な顔になってしまった緒方さんにちらりと視線を走らせ
ました。そして口を開きます。
「さっきの話ですけど、やっぱりあれは、サンタさんからの贈り物だと思います」
終わり
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