Tonight 11 - 15
(11)
「すごい着方だな。」
風呂から上がったヒカルを見てアキラは吹き出した。
「だって浴衣なんて着たことないし、大体なんでパジャマとかじゃなくて浴衣なんだよ?」
「ごめん、洗濯したのが今なくて。……直してあげようか?」
「い、いらねえよ!これでいいの、オレは。」
何だか気恥ずかしくてぶっきらぼうに言うと、アキラはクスクスとおかしそうに笑った。
なんだか調子が狂う。こんな風に優しすぎる塔矢は。
「あの、そう言えばさ、塔矢先生やおばさんは?」
突然気付いて、アキラに尋ねた。確か、北斗杯には帰ってくるって言っていたような気がしたけど。
「ああ、出かけたよ。」
「出かけた?こんな時間に?」
「ああ、そういう意味じゃなくて、今度は台湾に行くんだって。」
「え、ええっ!?」
びっくりしてヒカルの声が思わず大きくなる。
「だって、中国から帰ってきたばっかなんだろ?それなのにまた海外?」
「うん、中国で台湾の事を聞いてきたらしくて、
検討室には来てたらしいね。揚海さんから聞いた。」
「来てたらしいって顔も見てないのか?」
「ああ。今日帰ってきたら母の置手紙があって、まるで『買い物に行ってきます』みたいな感じで、
『台湾に行ってきます』って。さすがに夜電話があったけどね。」
「………おまえんちって、放任主義なんだなあ……」
「放任主義というか、そうだね、父はきっと新しい世界に夢中で、母は父が一番の人だからね。
これだけ育った息子の事なんか、放っておいても大丈夫だと思ってるんだろう。
実際、大丈夫だしね。」
笑いながらそう言うと、アキラは「それじゃボクもお風呂に入ってくるよ」と言って部屋を出て行った。
(12)
「進藤、まだ寝てなかったのか?」
風呂から上がってきたアキラがヒカルに声をかけた。
合宿の時に寝たのと同じ部屋に今度は一つだけ布団が用意されていたからそこに寝ろと言うことなの
だろうと思ったけれど、なんとなくまだ寝る気にならなくて、ぼうっとしたままアキラが上がってくるのを
待っていた。
たたんだままの布団に寄りかかるようにして座っていたヒカルはアキラを見上げて言った。
「あのさ、塔矢、オレ、」
「なに?」
真っ直ぐ見つめられると何と言っていいかわからなくなる。
「おまえ………」
けれどそれ以上続ける先がわからなくて小さく頭を振って視線を落とした。
そんなヒカルの様子にアキラは小さく微笑んで、静かにヒカルの正面に座った。
ヒカルは少しだけ顔を上げてアキラを見て言う。
「おまえさ、寂しく、ない?」
「寂しい?なぜ?」
「だって…こんな広い家に一人でさ……」
「そうだね……はじめの頃は、静か過ぎて居心地が悪いような気もしたけれど……
一人もすぐに慣れたし。」
だから寂しいと思ったことは無いよ。そんな風にアキラは言った。
そしてヒカルを見て、静かな、優しい声で尋ねた。
(13)
「キミは……寂しいのか……?」
ヒカルははっと顔を上げてアキラを見る。なぜわかるんだろう。
けれどその問いには答えることができなくて、ヒカルはゆっくりと俯いて、別の言葉を口にする。
「おまえさ、何で何も聞かねぇの?」
「何を?」
「どうしていきなり来たのかとか、」
「聞いて欲しいのか?なら、どうして?」
「……わかんねぇ。」
ヒカルの返答にアキラはクスッと笑って、「そんな事だろうと思ってさ。」と言った。
「言いたければ言えばいいし、言いたくないなら何も言わなくてもいい。
キミの好きなようにすればいいさ。」
そうしてアキラは時計を見て、ああもうこんな時間か、と小さく呟き、それからヒカルに向かってこんな
事を言った。
「一人で寝るのが寂しいならボクの部屋で一緒に寝るか?」
「え……」
アキラの言い出した事に驚いて、ヒカルは顔を上げてアキラを見た。
「どうする?」
アキラは立ち上がりヒカルを見下ろして尋ねる。
「……うん。」
言われた場所に運んできた布団を敷いていたら、アキラが押入れから自分の布団を出して隣に少し
離して並べた。そうして二つ布団を敷いてしまったら、もうする事は何もなくなってしまった。仕方なく
ヒカルがのそのそと布団に潜り込んだら、アキラがすぐに「消すよ。」といって電気を消してしまった。
(14)
障子越しに外の明かりがうっすら射して、部屋は真っ暗にはならない。
なぜ来たのだと言われて答えることができなかった。
ここに着くまではあんなに、必死だったのに。絶対に言わなきゃいけないことがあると思ってたのに。
オレは一体何をしてるんだろう。
「塔矢……」
そっと呼びかけてみたけれど答えはなかった。
一体何をしに来たんだろう。何を言いたかったんだろう。
絶対に、言わなきゃいけない事があると思ってたのに、だってなんだか、走ってこの家について、塔矢
の顔を見たら、そんなのどうでもいいような気がしてしまったんだ。
ああ、もしかしたら。
会いたかっただけなのかもしれない。あの穏やかな顔をもう一度見たかっただけなのかもしれない。
「塔矢……」
もう一度呼びかけてみる。
「寝ちゃったのか……?」
それでも答えがはない。本当にもう寝ちゃったんだろうか。それなら。
どんな顔して寝てるんだろう。
ちょっとだけ。ちょっとだけ見てみたい。
部屋は真っ暗じゃないから。
塔矢の顔を今日最後の見納めに見ておきたい。
そう思って身体を起こしかけたら、突然、はっきりとした声が聞こえた。
「なんだ?進藤。」
「塔矢…!」
びっくりして声の方を見ると、さっきまで静かに仰向けに横たわっていたはずの塔矢が目を開けて
こっちを見ていた。
(15)
目を離さないまま、塔矢が動く。
同じようにオレもゆっくりと身体を起こした。
薄闇の中に塔矢がいる。
目を大きく見開いて、瞬き一つしないで、見たことも無いような表情で、じっとオレを見ている塔矢。
これは、誰なんだろう。
本当に塔矢なんだろうか。
ふと、オレは塔矢のことを、もしかしたら何も知らないのかもしれない、と言う思いが、よみがえってきた。
だってこんな塔矢は知らない。こんなのは、オレの知ってる塔矢じゃない。
でも、もしかしたら。
今、塔矢も同じように感じているのかもしれないと、そんな事を思った。
塔矢は何も言わない。
オレも何も言わない。
空気が、さっきまでとは変わってしまったような気がする。
息も潜めてじっと、互いに見合ったまま、身が震えるほどの緊張に耐えていた。
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