誘惑 第三部 11 - 15


(11)
「キミが好きだ。」
唐突に言われた言葉に、思わず息を飲んでヒカルはアキラの顔を見つめた。それが睨んでいる
ように、非難しているようにでも見えたのか、アキラはヒカルの視線に僅かにたじろいで、それでも
尚、続けた。
「ずっと、色々考えてて、でもわかったのは、どうしても譲れないのは、キミが好きだって事だけだっ
た。キミのした事が許せないとか、ボクを許して欲しいとか、でも、そんな事よりも、許せなくても、
許してもらえなくても、それでもキミが好きだって。」
ヒカルが顔を上げてアキラを見た。
「キミがボクの事を許せないんだとしても、それでキミがもうボクに愛想を尽かしたとしても、ボク
以外の誰かをボクよりも好きだと言っても、それでもボクは…」
射るように見つめるヒカルの視線がつらい、と言うように、一瞬アキラが視線を揺らす。だが必死
にその視線をヒカルに戻して、続ける。
「ボクはボクに自信がない。自分の事も全然わからない。信じられるものなんて何もないのか
もしれない。だけど、ボクがキミを好きだって事だけは信じられる。キミを好きだって言う気持ちが、
ボクの中で一番信じられるものだ。
キミが好きだ。ボクが好きなのはキミだけだ。ずっと、今も。それだけ、言いに来たんだ。」
少しでも動いたら、唇を僅かに動かすだけでも、アキラへの思いが溢れて、叫びだしてしまいそう
になる。だからヒカルはそれをぐっとこらえて、睨みつけるようにアキラを見ていた。
アキラの手がヒカルの方へそっと伸びる。けれどそれは触れる前に途中で躊躇するように止まる。
そしてヒカルを見つめていた視線をそらし、伸ばしかけた手をおろして拳をぎゅっと握る。
空気がピリピリと痛い。
「それだけ、言いたかったんだ。」
ヒカルがアキラを睨みあげた。
やっぱり、怒ってるんだね。そう言いたげな目でアキラがヒカルを見た。
けれどヒカルは応えない。応えずに無言でアキラを睨むばかりだった。


(12)
どれだけそうやって見つめあって――睨みあっていたろう。
ついにアキラがあきらめたようにゆっくりと目を伏せる。ヒカルはその長い睫毛が震えるさまに見惚
れていた。アキラが俯くと、黒髪がサラリと落ちてアキラの頬を隠す。
なんてキレイなんだろう、とヒカルは思った。
夜の街灯の明かりの下で彼の黒髪はいつもより更に深い影を落とし、白い顔が一層白く見える。
こいつはどうしてこんなにいつもいつも、誰よりもキレイで、オレは目を離せないんだろう。
「ゴメン…突然、押しかけて、勝手な気持ちを押し付けて。
でも、キミがもうボクを好きじゃなくても、それでもボクはキミが好きだよ。」
弾かれたようにヒカルが顔を上げると、アキラは寂しそうに微笑んでヒカルを見ていた。けれどヒカル
の視線にとらえられて僅かに口元が歪む。そんな顔を隠すように、アキラはくるりとヒカルに背を向け、
そのまま足を踏み出そうとした。
ダメだ。行ってしまう。このまま行ってしまう。イヤだ。そんなのはイヤだ。行くな。行かないでくれ。
「ま…てよ…」
震える声を、やっとの思いで絞りだした。ヒカルの呼びかけに、アキラが立ち止まった。
「…な…んだよ、おまえ…逃げんなよ。勝手な事ばっか言ってんなよ…」
「進…藤?」
「なに、自分の言いたい事ばっか言ってんだよ。
ふざけんなよ。おまえ、ちっとも変わってねぇじゃねぇか。人の話も聞けよ…!」
ヒカルは顔を上げて、アキラを睨みつけながら続けた。
「おまえはここに来るまでにずっと何言おうとか、どう言おうとか考えてたかも知れないけど、急に言わ
れたって、こっちは急に返事なんかできねぇよ。
それを勝手に決め付けんなよ。誰が…誰がおまえを嫌いだって言ったよ?
誰がおまえ以外に、おまえ以上に好きなヤツがいるって言ったよ?
譲れない気持ちがある、って言うんなら、オレにも聞けよ。」


(13)
「キライだよ、おまえなんか。
おまえみたいに自分勝手な奴、大っ嫌いだよ。
いっつも自分の気持ちばっかで、人の話なんか聞いちゃいなくって、聞こうともしないで。
人を人とも思わないで、自分が好きじゃない奴だったらキズつこうが何だろうがヘイキで、おまえ
みたいに薄情で陰険で根性悪の人でなし、見たことがねぇよ。
嫌いだよ。大っ嫌いだよ。こんなヤな奴、他にいねぇって思うよ。それなのに、」
言葉を飲み込んで、一歩アキラに向かって足を踏み出し、睨みつけながら言った。
「それでおまえはどうするんだよ?オレが好きだって、それが何だって言うんだよ?
言うだけ言って、それでおしまいかよ?それでおまえは気が済むのかよ?それだけでいいのかよ?
本当はどうしたいんだよ?本当の事を、本当にしたい事を言えよ…!」
「キミはっ!ボクがどんな…」
ヒカルにつられたように荒げかけてしまった声を飲み込み、それから恐る恐る、小さな声で問う。
「キミは…進藤…キミに、もう一度触れてもいいのか…?」
「訊くなよ!!」
ヒカルがアキラに近づき、にじみより、くっと顎をひいて上目遣いに睨みあげ、掠れた声で言い返す。
「…んな事訊くなよ…!イヤだって言ったらやめんのか?それでやめられんのか?
オレがイヤだろうと何だろうと、それでもしたいって、オレが欲しいって…」
震える白い指がヒカルに伸びて、ヒカルは言葉の続きを失う。冷たい指先が頬に触れ、そこから体中
に電流が走ったように感じる。その指がヒカルの頬を包み込み、白い顔が近づいてくる。視界が歪ん
で、近づいてくる顔がどんな表情をしているのか、よく見えない。見えないから、ヒカルはぎゅっと目を
つぶった。


(14)
唇に、温かく柔らかいものがそっと押し当てられたと思うと、次の瞬間にはさっと逃げた。
目を開けると、怯えたような戸惑ったような泣きそうな真っ黒な目がオレを見ている。
欲しかったのはこれだ。ずっとずっと、忘れられなかったのはこの目だ。この唇だ。
欲しかったのはオレだ。オレの方だ。
離れていこうとする唇をヒカルが追い、捕らえる。
そうしてヒカルの腕がアキラの身体を抱きしめ、ヒカルの唇が強くアキラの唇を吸い上げる。
それから二人は、長い間の飢えを癒すように、貪るように互いの唇を求め合った。
「バカヤロウ…どうしてわかんないんだよ。おまえ、バカだ。
こんなにバカでヤな奴なのに、それでもオレはおまえが好きなんだ。
好きなのはおまえだけなんだ。こんなバカ、どうしてこんなに好きになっちまったんだ。」
「…ごめん、ごめん、進藤……」
腕の中にいるアキラを確かめるように抱きしめながら、ヒカルが言う。
「塔矢、おまえ、痩せた。」
「うん。」
「オレの、せい…?」
「…ボクが、バカだからだよ。」
キミは何も悪くない、と耳元で囁く声が聞こえたような気がした。


(15)
ヒカルの身体を、体温を、確かめるように抱きしめながら、アキラが言った。
「…ずっと、キミに触れたかった。
会いたくて、会いたくて、会えない時もずっとキミの事ばかり考えてた。
だからさっき、キミの家で、キミを見て、」
そこまで言うと言葉を切って、もう一度ヒカルにキスした。
「キミのお母さんがそこにいるのに、キミを抱きしめて、キスしたくて、たまらなかった。」
「オレもだ。」
「キミがボクの事を怒ってるだろうと思って、もうボクを嫌いになったかもしれないと思って、恐くて、
でも、それでもキミが欲しくて、キミに触れたくて、どうしようもなかった。でも…」
「そうすれば良かったんだ。そうしたらすぐにわかったのに。
こうして抱き合えば、すぐにわかる事だったのに。」
「…さすがに、キミのお母さんの目の前では出来ないよ。ボクにも自制心ってもんがある。」
アキラが小さく笑いながら、言った。
「自制心なんてクソ食らえ。」
ヒカルが小さく吐き捨てるように言った。
「どうせ、いつかはバレるんだ。それが今日か、明日か、明後日か、ずっと先か、
それだけの違いだ。」
「進藤…」
「だって、オレはおまえ以外なんて考えられない。おまえが好きだ。ずっと好きだ。
誰よりも、いつまでも、ずっとずっと、おまえが好きだ。
オレの一番大事な気持ちだ。それを人にどうこうなんて言わせない。」
そう言って、もう一度唇を重ね合わせた。



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