敗着─交錯─ 11 - 15


(11)
「うん…」
目を閉じて体重を預けてきた。耳朶を噛み石鹸の付いていないところを舐めていく。
「さっきしたばかりで、もう欲しがるのか‥‥?」
わざと意地の悪い言葉で囁く。
「うん‥‥欲しい‥‥」
顔を羞恥で真っ赤にさせながら、体を這わせている腕を掴み、自分の股間に持っていこうとする。
「駄目だ‥‥自分でしてみせろ‥‥」
耳朶まで赤くなった。
「やり方を知らないとは言わせないぞ‥‥」
震える手で自分の陰茎を握ると、遠慮がちに扱き始めた。
「ん…う…」
最初はそっと握っていたのが、だんだんと力が篭ってくる。
「‥‥気分出てきたじゃないか‥‥」
そっと息を吹きかけると体を捩る。
「はっ…はっ…」
小さく息を切らせ、一生懸命に扱いている。
(オレがいること分かってるのか?)
と訊きたくなるほど没頭していた。
それじゃこっちも――
身体を抱きとめながら、後ろを指で突ついた。
「あっ」
体をビクリと跳ねさせ、小さく声をあげた。
「だめ緒方せんせい‥‥」


(12)
動きを止めた進藤が振り返って恐る恐る言った。
「…何が駄目なんだ?お前はそっちをしていればいいだろう」
「だって、」
摩っていた指を粘膜に挿入し入口を広げた。
「…あっ」
股間から手を離し浴室の壁に手をつく。
「コラ…誰が止めて良いと言った、続けろ」
ムッとした顔で睨み腕を掴んで指を抜こうとしたが、あきらめるとまた扱き始めた。
「緒方せんせ…これ、やだよ…」
目には涙が浮かんでいた。
指の数を二本に増やし、中を刺激し続ける。
「く‥‥う、」
子犬のような声を出し、異物を挿入され動かされる感覚に耐えている。膝は笑ってきていた。
泡にまみれたしなやかな肉体が腕の中で飛び跳ね悶える。
その感覚は密着した皮膚を通して、時折、自分にもゾクリとするような快感を与えた。
「先生のも…、硬くなってる」
「ああ…」
動かしていた手が速くなり、一瞬止まったかと思うと壁に白い飛沫が飛び散った。
ぐったりと後ろに凭れ掛かってくると、ハァ、ハァ、と胸を上下させている。
その身体を壁に押しやり、指を抜いて一気に貫いた。
「待って緒方せんせ‥‥っ!」
泡が流れ込んでいる分、いつもより楽に進藤の中に入ることができた。
濡れた黒い髪の毛がうなじに貼りつき泡を滴らせ、その泡が背骨をつたいクレバスに流れ込んでいる。
ダラダラと流れる泡が足元のタイルに溜まり、足が滑りそうになっているのを堪え踏ん張って腰を動かす。
濡れた腰を掴んで我を忘れて中を掻き回した。
「せんせ、もっと、‥‥もっと、もっと‥‥!」
壁に手をついた格好の進藤が一人前の口をきいている。
「‥‥っ!」
奥まで突き上げ手に力を込め中で放出した。
進藤の内腿が小さく痙攣し、すっと力を失った。


(13)
「おい…っ」
腕の中で崩れた身体を慌てて受け止めた。
さすがに中に入ったままなのは申し訳ないのでずるりと引き抜くと、注意深く抱きかかえ床に寝かせる。
「…進藤?」
身体をひっくり返し腕枕をして頬をぴたぴたと叩いた。目をつむったまま寝ているようだった。腕はだらりと垂れ下がりタイルに着いている。
小さくため息をついた。
自分と進藤の体に付いた石鹸を手早くシャワーで洗い流し、脱衣所へ抱きかかえて出ると、バランスをとりながら片手でバスタオルを取った。
(女より面倒くさいなコイツは…)
横たわらせた身体に付いた雫をタオルで丁寧に拭き取っていると、内腿の付け根に精液が零れているのが見えた。
(‥‥‥。子供が大人の真似をしたがるからだ…自業自得だ)
そう言い訳し、意識を失っている進藤をベッドへ運んでいった。

結局その日も進藤を泊まらせることになった。
イッた後に気を遣ってしまったのを起こすのは、なんとなく気がひけた。
最初の頃こそ家にはどう言ってきているのかを、年上らしく気遣ったりもした。
しかし最近は、お互いのプライベートには口を出さないことが暗黙の了解になっていた。

ふと、進藤がいつも持っているリュックが目に入った。
外ポケットには丸められた新聞が無造作に押し込まれている。
何の気なしに取り出し広げ、見出しを読んだ。
「―――、」
そこには塔矢アキラが連勝を続ける記事が、大きく掲載されていた。日付を見ると今週の号だ。
進藤との行為の直後に、いきなりアキラの名前を活字で突きつけられることには少なからず動揺した。
それよりも――。
(偶然だろう‥‥)
偶然、アキラの記事が載っていただけだ。
その時は自分にそう言い聞かせた。


(14)
「どうも、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
碁石を集め碁笥に滑り込ませる。
夕刻の碁会所。
窓際の席に座ったアキラは常連客を相手に指導碁を打っていた。
「それにしてもアキラ先生。このまま連勝記録更新ですかな?」
「こればかりはボク一人で決められることではありませんので…」
「いや、そうでしたな。これはまた…」
世間話に適当に相槌を打ってはいるものの、頭の中は進藤のことで一杯だった。
緒方も来るこの碁会所に、彼が来ることはないだろう。
(‥‥‥)
胸の奥がチクリと痛んだ。
あとは――

それとなく、窓の方を向く。
すっかり暗くなった外の風景をバックにして、室内の照明と自分の顔が映っていた。
充分に暗くなったな――。よし、
碁盤と碁笥をきちんと揃え、椅子を立った。
「お先に失礼します」
「ハーイお疲れ様っ、気をつけて帰ってねー」
アキラが出て行くと、ほどなくして自動ドアが開いた。
「アリャ、若先生はもう帰っちまったのか!」
「いらっしゃい井上さん。少し来るのが遅かったわね」
「参ったなあ…。ここんとこずっとだよ」
ブツブツ言いながら受付を離れるのを見ていた広瀬が近寄ってきて、ふと漏らした。
「井上さん、あの人夜しか来れないから。当分はムリでしょ、アキラ先生の指導碁」
「? どういうこと?広瀬さん」
「最近ね、ずっとだよ。アキラ先生は」
「なにが?」
「暗くなるとね、帰るんだ」
「……?」
あまりにも当たり前なことを言われたようで、市河はキョトンとして首をかしげた。


(15)
「ハア…」
建物を見上げ、ため息をついた。
(今日もいないな…)
自分が部屋を借りているビルのその部屋の窓は、今日も明かりが点いていなかった。
しばらくその場にたたずんでから、とぼとぼと来た道を引き返す。
最初の頃はわざわざ部屋まで行き、鍵を開けて中を確認していた。
それも空しくなったので止め、こうして窓の明かりを見に来ることが日課となっている。
(二人きりで話しをしたい…)
足取りは重かった。

地下鉄の入口を降りて、ホームに滑り込んできた電車に乗る。
「扉閉まりまーす、ご注意ください」
(イタッ…)
夕方のラッシュが続いていた。
満員電車にアキラはまだ慣れてはいなかった。人込みの中で自分の鞄の角が足に当たる。
以前は碁会所から自宅までは、緒方が車で頻繁に送ってくれていた。
自宅に帰る前に彼のマンションに寄って行くことも度々あった。
だけどそれももう無くなった。
緒方とは、同じ空間にいるだけでその存在すらが鬱陶しかった。

その緒方だが――。
少し気になることがあった。
最近の緒方は以前の彼とは違っている。
彼はどちらかというと夜遊び好きで、特に手合いに差し障りがなければ夜は繁華街で飲んでいた。もしくは――。
彼のマンションに通っていた頃、偶然緒方が機嫌の悪い時に居合せ、成り行きで愛車の首都高カーチェイスに同乗する羽目になった。これでもかという程吐いた。
その緒方が、以前にはあった毒気が抜けてきているように見える。
一時は緒方と関係していた自分だ。彼に夜遊びをしている気配が感じられなかった。
(――まっすぐマンションに帰っている?)
アキラはそこに引っ掛っていた。



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