月明星稀 11 - 15


(11)
「……ごめん。」
小さな声と共に、ヒカルを抱きしめていた腕が緩む。
「済まなかった、無理強いをして。」
アキラの身体が離れていって、吹いた隙間風に、ヒカルは小さく身を震わせた。
縋るように見上げたヒカルに小さく微笑みかけて、アキラはすっと立ち上がった。
「もう、出かけなければ。」
そして小さく首を傾けてヒカルに問う。
「君は?」
「俺…」
今日は非番で、何の用事もない。
昨日は、もしもアキラに用事がないのなら、一日ここで碁でも打ちながらゆっくりと過ごそうと思って
いたのに。彼が用があると言うのならば仕方がない。帰ろうか。
そう思って腰を浮かせかけながら、次にヒカルは思いとどまって、もう一度アキラを見上げた。
「俺、ここで、待ってていい?」
え、と言うように、アキラが振り向いてヒカルを見た。
「考えたいんだ。」
すっと、アキラの顔が強張った気がした。
「考えて、ちゃんと答えを出したいから、だからここでおまえを待ってていい?」
僅かに目を見開いて、じっと見つめるアキラの視線を、ヒカルは真っ直ぐに見返す。
黒い瞳の奥で、何かが揺れ惑っているようにも見えたが、かれはふっと目を伏せ、静かな声で言った。
「…ありがとう。嬉しいよ。」


(12)
こうしてここで彼の帰りを待っていると、あの頃に戻ったかのような錯覚を感じる。
あの頃の彼を思い、そしてまた、昨夜の、今朝の彼を思う。
引き寄せられて、彼の腕の中に抱かれて、熱い想いを囁かれて、彼の溢れる情熱が恐ろしいと思った。
恐ろしい?なぜ?
だってあの時のアキラは、あの頃の俺は。

―――ほんの少しでも僕を好き?

ふと、僅かに怯えたような色を含んだ、彼の声が蘇ってきた。
馬鹿野郎。
今更、そんな事を聞くな。
俺が、何度おまえを好きだと言ったと思ってる。

我知らず、一筋の涙がつっとヒカルの頬を伝った。

おまえを好きだって、だから一緒にいたいって、離れたくないって、そう言ったじゃないか。
駄目だって言ったのはおまえじゃないか。
おまえを好きだから、だからおまえが欲しいって、それなのに嫌だって言い張ったのはおまえじゃないか。


(13)
辺りが夕闇につつまれてきたのを感じて、ヒカルは立ち上がり、灯りをともす。
庭から虫の声が聞こえる。夕風の涼しさに誘われたように、まだ薄明かりの残る外に出ると、西の空には
一番星がまたたいていた。
以前にもこうしてここに座って、今日と同じように、あの時は冬枯れた庭を眺めていた事があった。
夜空に瞬く星々は美しくて、佐為のいない世も、それでもまた美しいのだと、静かな安らいだ心地で星を
見上げていた。
あの時彼は何と言ったろう。
彼が想い人を語った時の、熱い眼差しが、寂しげな声音が、何だかとても哀しくて、彼が、自分以外の人
をあんなにも切なく語るのが寂しくて、辛くて、それが何かもわからずに俺は泣いていた。

俺は、馬鹿だ。
俺も、あいつも、大馬鹿だ。
どうしてあの時にちゃんと気付かなかったんだろう。
だって俺は淋しいと思った。俺の前で他の人のことなんか言わないで欲しいと思った。俺だけを見ていて
欲しいと思った。その事の意味に、どうして気付かなかったんだろう。

東の空を仰いでも、まだ月は見えない。
今日は十六夜。月が昇るのはもう少し後だろう。屋敷の主はまだ帰らない。けれど、月が昇る頃にはきっと
帰ってくると、ヒカルは何の根拠もなく信じていた。

遠くで、ギイィと、門の軋む音がした。
どくん、と、心臓が、大きく脈打ったのを感じた。
草を踏み分けて、彼がここに戻ってくるのを感じていた。
たまらずにヒカルは立ち上がり、廊下を走り、彼の元へと急いだ。


(14)
「アキラ……!」
彼の名を呼びながら、ヒカルはそのままアキラに抱きついた。不意打ちをかけられて、一瞬よろめき
かけたアキラは、それでも何とか体勢を整えてヒカルを受け止める。
「……ヒカル?」
「俺、おまえを好きだって、言った。」
アキラにしがみ付いたまま、ヒカルは続ける。
「言ったじゃないか、好きだって。何度も。」
ぎゅっと彼の衣を掴んで、彼の肩に顔を埋めたまま、ヒカルは言い募る。
「……あの時だって。
俺は好きだって言ったじゃないか。
…好きだから、だからおまえが欲しいって。
言われて怒ったのはおまえだ。
聞いてないのはおまえじゃないか。」
そしてばっと顔を上げて、アキラの顔を正面から見た。薄茶色の瞳の縁に、今にも零れ落ちんばかり
の涙が光って、アキラは返す言葉もなく、小さく首を振った。
「俺、何度も言った。
おまえが好きだって。おまえと一緒にいたいって。
その度に、おまえは駄目だって。
俺が何を言っても、いっつもおまえは駄目だって、そればっかり。
それなのにおまえが俺を好きだなんて…おまえが好きなのが俺だなんて、
思うわけ、無いじゃないか。」
「それは……それは、だって、君が無茶な事ばかり言うから。」


(15)
無茶だって?好きだから一緒にいたいって言うのが、どこが無茶なんだ。
好きなくせに好きじゃないふりをずっとしてたおまえの方が、よっぽど無茶じゃないか。
そのくせ、俺が好きだって言ったら、あんなに怒って、俺を乱暴に扱ったくせに。
「馬鹿野郎…!」
ぎっと彼の髪を握って引っ張ると、アキラが痛みに顔をしかめて、ヒカルを見た。
「無茶苦茶なのはおまえの方だ。無理ばっかしてるのはおまえの方だ。
ホントに、ホントにおまえが俺を好きだって言うんなら、」
アキラが目を見開いてヒカルを見た。
「本当にって、まだそんな事を言うのか?君は。」
真っ直ぐに見つめる鋭い眼差しに、心臓を鷲掴みにされた。
受け止めきれずにヒカルの眼差しが揺れる。
怒ったようにヒカルを見つめていたアキラは、不意にヒカルの身体を抱きしめた。
「ヒカル……」
熱い声で己の名を囁かれて、熱い腕で抱きしめられて、体全体で彼を感じて、ヒカルは目が眩む思いがした。
ずっとこの腕が欲しかった。この眼差しを自分のものにしたかった。
向けられる優しい目が、けれど本当は自分のものではないのだと思っていて、ずっと苦しかった。見た事も
無い彼の想い人を、心の底ではずっと羨んでいた。妬んでいた。
「本当に…?本当に俺を好き?ずっとおまえが想っていた人って、本当に俺だったの?」
「君以外にいる筈が無い。ずっと、君が好きだった。」
「だって、」
「ずっと、ずっと、もう思い出せないくらい前から、君が好きだった。君だけが好きだった。だから、」
アキラの手がそっと、ヒカルの柔らかな髪を撫でる。その優しい手が嬉しくてヒカルは仰のいたまま目を閉じる。
そして落ちてきたアキラの静かなくちづけを、ヒカルはそっと受け入れた。



TOPページ先頭 表示数を保持: ■

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル