ウツクシキコト 11 - 15
(11)
いつもなら、塔矢とキスしているだけで、体が熱くなってくるんだけど、今日はそんな感じじゃない。
加賀としてる感じ。
塔矢の舌が、俺の口の中で暴れてる。
息が苦しくなる。むちゃくちゃで、リズムが読めなくて、息継ぎのタイミングがわからない。だから、苦しくなる。
塔矢の手が性急に動き、俺の服をはいでいく。
酸欠でぼんやりしながら、後ろ洗ってないのに、このままやっちゃうのかな…って、他人事のように考えていた。
俺の唇を貪りながら、塔矢はベルトをカチャカチャ言わせてたけど、今日はがっちりしたバックルの奴だから、片手間では外せないようで、塔矢が顔を離した。
チュパって、音がしたのはせめてものご愛嬌。
俺は呼吸を整えながら、目でコンドームを探した。
塔矢は、上半身起こして、バックルと格闘している。
滑稽だよな。
別れた途端、塔矢は俺を乱暴に扱うんだ。
でも、そのほうが気持ちは楽かもしんない。
「塔矢」
俺は自分から、腰を浮かしてジーンズが脱がしやすいように塔矢を助けながら、声をかけた。
「コンドーム、そこの財布に入ってるから」
もう、いいよね。もう取り繕う必要もないよね。
「コンドーム?」
「俺、後ろ準備してないからさ。使ったほうがいいよ」
俺は畳の上に仰向けになってねからさ、逆光になって塔矢の表情はわからなかった。
「君は、そんなものを…財布に入れて持ち歩いてたのか」
うん、まあ…そういうこと。
塔矢とはね、一回しかコンドーム使ってない。
他の連中とやるときは、大丈夫だとは思うけど、病気もらってさ、塔矢に移すわけいかないじゃん。
だから、いつもゴム使ってた。
いまは、なんつーかね、ついたら悪いし。
「君は…いいのか……」
塔矢が低い声を聞かせる。
「いいって?」
「僕は、君を強姦しようとしてるんだ」
「え、そうなの?」
なんか、塔矢って時々突拍子もないことを口にして、俺を驚かせる。
(12)
強姦ねえ。
いままで散々やってきたことだし、それに俺、別に嫌じゃないし。
俺がきょとんとしている隙に、塔矢は俺の上から体を起こした。そのまま立ちあがり、リビングへと歩いていく。
その肩を落とした後姿が、あまりに寂しげで俺もつられて体を起こした。
服を直して立ちあがり、後を追うと、ガチャンと玄関のほうから、ドアの閉まる音がした。
椅子の背に、塔矢のジャケットを見つけなかったら、それ以上後は追わなかったと思う。
でも、俺は知ってるから。
塔矢がジャケットに財布を入れるのが習慣だって。
俺はジャケットを掴むと、慌てて塔矢の後を追った。
近所迷惑を顧みず、エレベータホールまで一気に走ったけど、間に合わなかった。
おそらく塔矢を乗せているだろう箱は、もう二階下にいる。
俺は、不思議なぐらい焦っていた。
いま、ここで塔矢に会わないと、後悔しそうに思えて、非常階段を前その力で駆け下りた。
「塔矢!」
エントランスで叫んだ。
返事どころか姿もない。
緩やかなスロープから通りに出て、また叫ぶ。
「塔矢!!」
塔矢は車道を横断しようとしていた。
「塔矢!」
まるで酔っ払いみたいに、足元がふらふらしている。
かなり心臓が苦しかったけど、もう少しだと、自分に発破をかけて、また走る。
そのときだった。
向こうから、大型トラックが姿を現したのは。
「塔矢――――――――!」
何がどうなったのかは、わからない。
ただ、全身に感じた衝撃と、植えこみに突き飛ばされたまま、呆然と俺を見つめている塔矢の白い顔が、印象的だった。
「ヒカル?」
こういうときだけ名前呼ぶのは、反則だよな。
――――ヒカル
俺の脳に直接語りかけた、あいつのことを思い出す。
――――――――ヒカル……
2年間、俺の中にいた奴。
いつまでも、ずっと一緒にいられると思っていたのに……。
突然姿を消した……佐為。
ヒカル!
佐為、俺……もう一度おまえに会いたいよ。
(13)
全身の骨が軋んでいるんじゃないかってぐらい、どこもかしこも痛い痛いと悲鳴をあげていた。
二日酔いの朝だって、こんなにひどかなかったと誰かに文句を言いたくなるぐらい、頭痛がする。
耳元では、蚊だか蜂だかが100万匹は集まってわんわん騒ぎ立ててるみたいに煩い。
胸の上にはなにか重いものが乗っかっていて、身動きどころか呼吸もままならない。
自分がどこにいるのか確かめたくて、必死になって瞼を開けようとしているんだけど、まるで針と糸で縫いとめられているみたいに、ぴくりとも動かない。
俺、一体どうしちゃったんだろ?
ただただ痛む身体を持て余し、暗闇の中でぶっ倒れている。
暑くもなければ、寒くもない。
ただ、身体が痛いだけだ。
ただ、頭が痛いだけだ。
俺、もしかして死んじゃったのかな?
なんで?
なんで死んじゃったのかな?…………
しばらく考えた。
頭が割れそうに痛かった。それでも、我慢して考えた。
真っ暗闇の中に、ふっと白い面影が浮かんだ。
切れ長の瞳を限界まで見開き、引きつっていた白い顔……。
―――――塔矢。
心の中に、その大事な名前がすっと浮かんだ。
少しだけ、頭痛がおさまったみたい。
塔矢は、いっつも俺のこと、我侭だ、自分勝手だって文句を言うけどさ。
自分だって相当なもんだよ。
いつだって、俺のこと振りまわしてさ。囲碁のことしか頭になくて……。
そう思ってたら、いきなり「好きだ」なんて言ってきてさ。
あんな精錬潔白そうな顔してさ、コクったその日にキスまでしやがったんだぜ、あいつは。
塔矢アキラ若先生は!
ずっと一緒にいてくれるって俺を騙くらかしといて。
…………やっぱり俺をひとりにしたくせに。
俺をひとりにしておいても自分は平気なくせに、ひとりが嫌な俺が他の人に懐くと不実だとか言って責めたてる。
(14)
それでも、大切だと思ってたんだけどな……。
届かなかったみたいだ。
でもまあ、それでもいいや。
どんなに一緒にいたって、どんなに大切に思ったって、分かり合えない事はある。
自分の気持ちだって、ちゃんとわからないのにね。
人の気持ちまで理解しようなんて、所詮不可能なわけで………。
でもよかった。
塔矢が轢かれなくて―――。
咄嗟に塔矢の身体を突き飛ばしてたけど、あいつ大丈夫だったかな?
怪我なんてしてないかな?
つつじの植えこみがクッション代わりになってりゃいいけど。
ほら、あいつ運動神経悪そうじゃん。
前、そんなこと言ったら、失礼だって例の如く青筋立てて怒ってたけど。
なんだかほっとしたら……、意識が遠くなってきた。
頭痛は気にならなくなってきたけど、やっぱ身体は痛いまんまで、それならこのまま意識を飛ばしたほうが楽でいいな……なんて、暢気なこと考えてたときだった。
いきなり、腰の辺りにスンゲー痛みが走った。
息が詰まった。
そうでなくても身体中痛いのに、なんなんだって慌てていると、今度はわき腹の辺りに痛みが走った。
それは強烈過ぎて、俺は生理的な涙をぽろぽろ零しながら、手足を丸めて身体を反転し痛みがきたほうに背中を向けた。
その背中に続けざまに衝撃が加えられる。
(ああ、俺、いまボコにされてる。二、三人に蹴り飛ばされている)
薄れていく意識の中で、ぼんやりとそんなことを考えていた。
これで完全に死ねるかも……。
(15)
そう思ったとき、髪の毛を鷲掴みにされ、上半身を引き起こされた。
ぱちぱちと頬を叩かれる。
なにか、耳元で喚いているけど、なにを言っているのか、わからない。
起きろと命令されたような気がした。
別に素直に従うつもりじゃないけど、このままでは痛くて自分が損だから、もう一度だけ瞼を上げる努力をした。
さっきよりは少し回復してんのかな。
薄ぼんやりとした光を感じた。
大きく肩で息をつき、力を掻き集める。
眩しいほどの光が、俺の眼を射る。
二重、三重にぶれちゃいるけど、険しい顔つきの男が、目の前で怒鳴っている。
俺はその男がなにを怒鳴っているのか、てんでわかんなくってさ、小さく頭を左右に振ってみた。掴みしめられた髪が、きしきしと攣れて痛んだ。
男がまた怒鳴る。
もうやめてくれよ。折角頭痛がおさまったっていうのに、またぶり返すじゃないか。
また、瞼が重くなる。
今度こそ、もうダメだと思ったとき、鋭い制止の声がかかった。
「おやめなさい!」
俺はすぐには信じられなかった。
でも、俺が間違うはずがない。
だって、そうだろ?
だって、2年もの間、俺の頭の中に直接響いた声なんだ。
「見たところ、まだ子供ではないか。放しておやり」
俺は、最後の力を振り絞って、両目を開いた。
扇子で口元を隠した男が、少し高いところから、俺を見下ろしている。
間違いない。
懐かしい姿に、俺の目に幕がかかる。
ダメだ、ダメだ、ダメだ!
泣いてる場合じゃないんだ。
泣いてたら……、佐為の姿がぼやけちゃう。
でも、涙を拭おうにも腕が動かない。
………佐為
俺は呟いた。声になったかどうかはわかんないけど、嬉しくて嬉しくて、懐かしい姿に呼びかけた。
――――――――佐為
髪を掴んでいた手が離れた。下に叩きつけられたとき、頬にじゃりっとした感触があった。
湿った土の匂いがする。
そんなことを考えながら、俺はゆっくりと意識を手放していった。
でも意識を失う最後り瞬間まで、佐為から目を逸らす事はなかった。
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