夜風にのせて 〜惜別〜 11 - 15
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十一
「それでは撮ります」
その声に明とひかるは背筋を伸ばした。写真を撮られるのに慣れていないせいか、二人とも表情が硬い。
「せっかくの記念写真ですから、肩の力を抜いてもっと笑ってください」
あまりの緊張ぶりにカメラマンから言われる。ひかるはドレスの裾がきれいに見えるよう
整えたりして気を紛らわせた。
「椅子を御用意致しましょうか。その方がこのドレスの場合綺麗にうつりますよ」
カメラマンに言われ、ひかるは用意された椅子に腰掛けた。そしてドレスや髪の毛を整え
たりする。その姿を明はじっと見惚れていた。
「どうかしました?」
ひかるに言われ、明は我に返った。
「すみません。あまりにも綺麗なんでつい」
「もう、明さんたら、やめてくださいよ」
ひかるは顔を赤らめた。それは間違いなくいつものひかるだった。それに明は落ち着いた
のか、ひかるの肩にそっと手を置いた。一瞬ひかるの体が硬直する。
「いい記念写真にしましょうね」
明の言葉にひかるは頷くと、満面の笑みを浮かべた。
緊張などなくなり、いつもの二人に戻る。その姿は見ていて恥ずかしくなるほど初々しい
もので、周囲の人々も微笑ましく二人を見つめた。
「それでは撮りますよ。カメラのレンズを見てくださーい」
ひかるは今までにないくらい最高に幸せそうな笑みを浮かべた。
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十二
「写真できるの、待ち遠しいですね」
撮影を終えた二人は車に乗って、あの川を目指していた。
車中ではひかるの連れの男性の存在を忘れて、少々興奮気味に明が話す。ひかるはそれを
頷きながら聞いていたが、心ここにあらずという感じだった。
「着きましたよ」
運転手に言われ、明とひかるは車から降りた。
日も暮れ、薄暗い川べりの道には人影がなかった。
ひかるはドレスが汚れてしまうのも気にせず歩き始めた。
「寒いですね。なんかこうも寒いと本当に春が訪れるのが待ち遠しい」
「本当ですね。でもボクはひかるさんのマフラーを常に身につけていられるから、ずっと寒くても辛くないですよ」
そう言って笑う明をひかるは見つめる。
薄暗くても明が今どんな表情をしているのか、ひかるにははっきりと見えた。
ひかるは俯き、明の顔を見ないようにする。
「明さん、実は今日あなたに言わなければならないことがあります」
突然ひかるが悲しげに話し始めたので、明は笑うのを止めた。何故だか不安が襲う。
ひかるはなかなか言い出せず、黙っていた。
「どうかしたのですか?」
心配になって明は声をかけた。だがその途端、ひかるは泣き出してしまった。明は突然の
ことにあたふたと慌てる。
そこへひかるの連れである男性が現れた。ひかるはその男性の胸に飛び込む。
「明さん、今までひかるさんのことを大切にしてくれてありがとう。今日、あなたとひか
るさんが楽しそうに話す姿を見て本当に心からそう思いました」
男性はそう言うとひかるの様子をうかがった。ひかるは何とか泪を止めようと必死だった。
「どういうことですか。あなたはひかるさんの何なんですか?」
明はひかるを抱く男性を嫉妬まじりに見つめた。
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十三
「…彼は、婚約者です。明日式を挙げるんです」
ひかるは泣くのを止めて言った。大切なことは自分の口で明に伝えたかったからだ。
明は愕然としてそれを聞く。
「結婚したら彼の実家に行くことが決まっていて…。もう明さんと会うことはできなくな
るので、今日はお別れを言いにきました」
「うそだ! ひかるさん、ふざけないでください」
明はひかるに詰め寄った。だが男性によって阻まれてしまう。
「すでに決まっていたことです。あきらめてください」
男性は冷たく言い放った。だがそれでひかるへの想いを簡単にたつことなどできなかった。
明はひかると話そうと試みる。けれどもひかるによってその想いはたちきられた。
「さようなら、明さん。今まで楽しかった」
ひかるはそう言うと男性と共に車に乗りこんだ。
悄愴とする明を見捨て、車は無残にも走り出した。
明はその車を必死に追いかける。だが車はすぐに姿を消してしまった。
暗闇に明の叫び声が鳴り響いた。
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十四
数ヶ月後、明の自宅にあの駅前の写真館から連絡がきた。保管期間が過ぎると処分してし
まうので、写真を取りにくるようにと催促の連絡だった。
明はひかると別れてからそんなにも時間が経っていたのかと気付く。
初めはひかるに裏切られたという恨みや怒りがあったが、どんなに時が過ぎても、好きで
ある気持ちに変わりはなかった。だが写真を見れるほどの余裕はない。
明はしばらく考えこんだ。いつまでも未練がましく想い続けながらひかるの写真を持ち続
けるより、いっそ他人の手によって処分された方がいいのではないかと思ったからだ。
けれどもひかるを見たい気持ちが次第に強くなり、明は急いで写真館へと向かった。
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十五
「こちらです。中身のご確認をお願いします」
店員に言われ、明は深呼吸をすると分厚い台紙をゆっくりと開いた。
そこにはこれから別れが訪れるとは思えないほど、いつもの二人の姿があった。
久しぶりに見るひかるの姿に、明は泪が出そうになるのをこらえた。
代金はすでに支払われていたので、明はそれを大切に封筒にしまうとあの川へと目指した。
久しぶりに訪れた川べりの道は以前と変わらぬ風景だった。しかしひかると別れてから辛
くて行くことができなかった間に、青々とした緑や花たちが春の訪れを告げていた。
明は以前と同じ様に歩く。だがもう永遠にひかると歩くことはないのだろうと思うと悲し
かった。ひかると出会い、そして別れた場所でもあるこの道は、明にとって特別な存在だった。
明は切なげに空を見上げる。あんなに待ち遠しかった朝陽も、今では辛い記憶を思い出さ
せるだけとなった。だがひかるもこの太陽をどこかの空の下で見上げ、自分と同じ様に光
を浴びているのかと思うと、段々愛しさが増してきた。
「ひかるさん」
明は太陽にこの想いがひかるに届くよう祈った。
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