平安幻想異聞録-異聞- 110
(110)
「待てよ」
腰をあげたヒカルの手を加賀がつかんで引き止める。
左手首。
痛みにヒカルが息をつめた。
その痛みに歪んだヒカルの顔を、加賀が見上げてのたまう。
「感心感心。怪我をしても左手ってな。おまえ、利き腕右手だったよな。利き腕は
武士の命だ。それだけは死ぬ気で守れって、オレが教えたもんな」
ヒカルは、その言葉に思い出した。
あの時、なぜ、自分が右腕ではなく、左腕に噛みついたのか。
無意識に、そちらを選んだのはなぜなのか。
『どんなにいい太刀を持ってたって、利き腕が使えなきゃ、武士なんてただの
役立たずなんだ。いくさ場でも、どこでも、それだけは死守しろよ』
そう、加賀に教えられていたからだ。
一方、ヒカルを逃がさないために、その怪我をしている方の手首をわざと掴んだ加賀は、
思いもよらぬことに動揺してた。
(おいおい、こいつの手首、こんなに細かったっけ?)
先に放った加賀の言葉に、何か気付いたように目を見開いているヒカルに、
思わず問い掛けていた。
「おい、お前、ちゃんと物食ってんだろうーな?」
「…食ってるさ!」
だが、その言葉の前のヒカルの一瞬の動揺を、加賀は見逃さなかった。
「よーーし、じゃあ、朝餉に何食ったか言ってみな!」
「う……」
ヒカルが言葉に詰まる。実は、今朝の朝餉は半分ほど口にしただけだった。
口にした分にしたって、疲れと寝不足で頭がぼんやりしていて、味も、何を
食べたかもよく覚えていないのだ。
そのヒカルの手首を加賀は掴んだまま、部屋の外に、庭に面した廊下へと
引っ張り出す。
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