平安幻想異聞録-異聞- 111 - 112
(111)
昼の日の明かり下で、改めてマジマジとヒカルの顔を見つめた。
(綺麗になった)
一瞬、そう考えた自分に驚く。
思えば、こいつの顎はこんなに細かっただろうか?
少し赤くなった目元にただよう色気はどうだ。
誰がこいつをこんな風にしやがったんだ。
わけのわからない怒りにかられて、加賀はことさらヒカルを乱暴に扱った。
突き飛ばすように、廊下の角の柱の方にその体を投げ、次いで、両手を使って、
ヒカルの背を柱に押し付けるようにして、押さえ込む。
「何するんだよ!」
暴れるヒカルの体を、背にしている柱ごと抱きしめた。
ヒカルがおとなしくなった。
「何か、困ってることがあるんだったら言えよ」
「別に…」
「聞かれちゃ困るようなことなのか?」
「そういうわけじゃないけど、本当に……」
「そんな深刻そうな顔して『そういうわけじゃない』もなにもないだろ。
似合わねぇんだよ、お前に深刻な顔なんて」
「ひでぇなぁ」
ヒカルが観念したのか、体重を加賀の腕の方に預けてきた。
そうすると、加賀よりちょっと背の低いヒカルは、加賀の緋色の狩衣の襟口の
あたりに頭をあずける事になる。
先ほど加賀を慌てさせた、奇妙な色香は、かき消えるように失せていた。
今、加賀の腕の中にいるのは、加賀がいつもよく知っている、童顔で無邪気で、
そのくせ剣の腕の立つ、小生意気な少年検非違使だ。
「本当に、どうでもいい事だよ。加賀にわざわざ話すようなことじゃない」
「佐為佐為って煩いぐらい騒いでたお前が、いきなり黙って座間の警護役に
なっちまうのがどうでもいいことか? それだけじゃない、お前この何日か
検非違使庁にも顔出してないだろ? 上に聞いても、知らぬ存ぜぬ『近衛は
座間様のご意向に沿って仕事をしているのだ』の一点張り。この一件、
検非違使庁の別当程度じゃ手が出せない、もっと上の方から手が回ってんじゃ
ないのか?」
(112)
加賀が一息に言い放つ。ただし、他には聞かれないように小声で。
「三谷や、筒井も文句言ってるぜ。おまえが完全に検非違使の一般職務から
外されちまったせいで、市中見回りやら、街の掃除、穢れ払いの仕事に出来た穴を、
あいつらとオレとで埋めてるんだ。せわしなくていけねーよ。あいつらもお前に
言いたいみたいだぜ。『近衛のやつ、いったい何に巻き込まれてるんだ』ってな」
ヒカルは、うつむいた。そのヒカルの頭を、加賀が抱えるようにして引き寄せる。
「それでも、まだ、言えねぇか?」
ヒカルは検非違使の中でも仲のいい三谷や筒井のの顔を思い浮かべた。
加賀の胸にしがみつくようにして顔をうずめる。
「そうか……」
ヒカルは黙って頷いた。
宜陽殿の廊下を秋の涼風が吹き抜ける。
ヒカルの頭を抱きしめる加賀の腕に力がこもった。
あたたかい、とヒカルは思った。
「じゃあ、これだけは覚えとけ。オレはお前の味方だ。筒井も三谷もな。みんな
お前のことを心配している。だから、本当に助けが欲しいときには必ず、
オレか三谷や筒井に伝えろ。場合によっちゃ、多少の無理も聞いてやる。ひとりで
全部抱え込んで潰れるようなことにはなるなよ。お前はそんな柄じゃねぇんだから」
「加賀、じゃあさ」
「なんだ?」
「今、ひとつだけ、オレの無理聞いて」
「…言ってみな」
「寝たい。寝かせて」
「あのなーーっっ!」
怒鳴りかけて、加賀はやめた。加賀の胸元に顔を寄せているヒカルの、金茶の
前髪の間からわずかに覗くまぶたと頬に疲れの色が見える。
単にに秋の風の心地よさに眠気を誘われたのではない。疲労から来る眠気らしいと
気付かされたのだ。
腕の中のヒカルの体は、眠気のせいか普段より体温が上がっていて、まるで
ヤマネかリスのような、小動物の暖かさだ。
「来い」
ヒカルの手を引いて、加賀は少し離れた誰もいない部屋に連れ込んだ。
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