平安幻想異聞録-異聞- 113 - 116
(113)
部屋というよりは書庫だ。
「ここなら誰も来ねぇよ」
「怒られない?」
「平気だろ。座間が会議から上がってきたら教えてやるから寝とけ」
加賀が、多少ホコリのある床の上に腰を下ろす。
ヒカルも、寝る場所を探しているのか、少しキョロキョロしていたが、やがて、
加賀の後ろに横向きにペタンと座った。そのまま、加賀の背中に寄りかかる。
「おい……っ」
その辺で適当に寝っ転がるだろうと思っていた加賀は、ヒカルの体温と柔らかい頬の
感触を背中に感じてギョッとする。
「向こうにいくらでも場所あるだろうが!そっちで寝ろ!」
「加賀。オレの言うこと、多少無理でも聞いてやるって言ったじゃん」
「それとこれとは別だ!重い!暑苦しい!」
「やだー、オレここがいい。ここで寝るー」
口の中でブツブツ言いながらも加賀が黙った。
しばらくして、加賀の背中で小さくつぶやく声が聞こえる。
「加賀」
「なんだ?」
「ありがとな」
「そう思うんだったら、とっととお前の周りの問題片づけて、通常勤務に復帰しろ」
「うん…」
やがて、しんと静まりかえった薄暗い書庫の中に、スウスウと近衛ヒカルの
心地良さそうな寝息が聞こえ始めた。
じっとそれを聞きながら、加賀はヒカルと出会ったころを思い出す。
近衛ヒカルが検非違使として出仕するようにになったのは、1年半ほど前だった。
元服を終えたばかりの、まだほんの子供で、若い人間が多い検非違使でもここまで
年若いやつはなかなかいなかった。
ただでさえそうなのに、生来の童顔がさらにこの少年検非違使を幼く見せる。
おまけに、行動もふらふらふらふらと、危なっかしくて見ててイライラするのだ。
いくら幼くたって、いったん検非違使庁に入ったからには一人前の武官だ。
ここは一発ヤキをいれて、気を引き締めてやるかと、庭に引っ張り出して、木刀で
打ち合った。
そして、驚いた。
幼い顔に似合わない、剣の腕。しかも、けれん味のない、いい太刀筋だった。
聞けば、幼い頃に他界した父の代りに、祖父に物心付いたときから「おまえが
近衛の家の家長なのだから、恥ずかしくないように」と武芸に関してはみっちりと
しこまれたらしい。
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それ以来時折、近衛ヒカルと打ちあうが、検非違使仲間でも1,2を争う腕の
自分が、三本に一本は持っていかれる。
それだけではない、市中見回りなどの職務でも、加賀はヒカルと組まされる事が
多かった。検非違使は町中を見回りながら、時には町人達の言い争いや、
ケンカの仲裁もする。近衛ヒカルも、もちろん彼なりにその職務を一生懸命
こなそうとするのだが、いかんせん、あの童顔があだになる。ケンカに割って
入っていさめても、子供の言うことなど聞けるかと嘗められてしまうのだ。
だからか市中見回りでは、反対に泣く子もだまる強面で通っている加賀が、
ヒカルと組まされる。
そんな事情もあって、加賀とヒカルは検非違使の中でも、割りに一緒にいる
時間が長かった。
だが、苦にならなかった。むしろこの童顔の少年検非違使に、いろいろ教えたり、
職務の手助けをしたりするのは楽しかった。近衛ヒカルはふらふらしているように
見えても、仕事で手を抜いたことはなかったし、教えたことは一生懸命にこなした。
平たい話が、加賀はヒカルを気に入っていたのだ。
加賀は自分の背中によりかかるヒカルの方へ首を巡らせた。
視線を落とすと、投げ出された右手首が目に入った。
僅かに、何かでこすられたような、縛られたような痕がある。
それは手首を縄で縛られた罪人が、それをほどこうと暴れたときに出来る傷跡に
よく似ていた。
「おまえ、座間んとこで何されてんだよ」
思わず舌打ちがもれた。
頼って欲しいと思ったが、ヒカルがそれをよしとしないのなら無理強いは
できない。
だから、加賀は静かに、眠るヒカルに語りかける。
「早く帰ってこいよ、近衛。みんな待ってるんだぜ」
そして、誰が聞いているわけでもないのに、照れ隠しに付け加えた。
「お前がいねぇと、オレの剣の練習相手になる奴がいねぇんだよ」
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パチリと小気味の良い音をさせて、碁盤の上に石を置く。
さすがに碁盤も碁石もいいものを使っている。
いい音がするのはヒカルの打ち方がうまいせいではなく、使う物の材質が良い
せいだ。
座間邸に与えられた一室で、ヒカルは一人で碁を打っていた。
あの加賀と内裏で出会った日から2日。
最初に座間と参内した日以来、佐為とは会っていない。噂にきけば、
方違えだの何だのと理由をつけて休んでいるらしい。
やはり、自分のせいなんだろうか。自分がここに来たことはそんなにも佐為を
傷付けてしまったのだろうか。
その代わりに、いやな奴とは毎晩顔を合わせている。
座間と菅原は、昨日も一昨日も、夜がふけると、ここに通ってきた。
抗う間もなく、夜着をはがれ、床の上に引き倒される。
その度にあたらしい絹の布が持ちだされ、割かれ、ヒカルは猿轡をされる。
腕を押さえつけられ、肌を嬲られ、中に押し入られて、奥の奥まで蹂躙される。
そして、ヒカルが与えられる熱に抗って声を抑えようと苦悶するのを見て喜ぶ。
それでも、と思う。
それでも大分慣れてきてしまった。
慣れれば、体の感覚と心を切り離すのは簡単だった。
熱にいぶられる自分の体、快楽に苛まされておもわずせりあがる喘ぎを
自覚しながら、どこか覚めた頭で、他の事を考え、時には座間と菅原の
やりようを観察することさえ出来る。
こんな所でも、心さえ明け渡してしまわなければ自分は自分でいられるのだ。
もちろん、ヒカルがそんなふうに、荒々しい情事(と、あれが言えるかどうかは
知らないが)に集中していないことなど、座間達にもわかっている。
だから、昨日の座間達は、事さらしつこくヒカルの体に吸い付き、体位を替え、
手管を変え、前から後ろからヒカルを責め立てた。
それでも、ヒカルがなかなか自分を手放さず、猿轡を勝れた口の奥で苦悶の声を
殺して耐えているのが気に入らず、焦れている様子がヒカルにもわかった。
(ざまぁみろだ)
だが、昏倒するように眠りに入って、ほとんどすぐに朝餉にたたき起こされたのは
さすがにしんどかったけど。でも、その後また、寝ることができた。
今日は物忌みだとかで、座間が参内を休んだのだ。
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だから、日が高く昇るまでヒカルはゆっくりと休息を取ることが出来た。
明日は、宮中で大きな行事があるせいか、その準備のために座間宛ての
文やら伝来やらが、落ち着きなく屋敷の外と内を行き来している気配が
絶えず、誰も彼もそちらの用事で忙しいのか、放って置かれたのも、ヒカルには
幸運だった。
午後になり、だいぶ疲れも取れて、ようやく起き上がったが、座間について
出仕する時以外はこの部屋を出ることを許されていないヒカルは何もすることが
なかった。
だから、侍女を呼んで、碁盤と碁石を持って来てもらったのだ。
カチャリと小さなこすれ合う音をさせて、碁笥からそれを取り上げ、パチリと
音をさせて、かの人をまねて白い石を置く。
碁を打てば思い出すのは佐為の事ばかりだ。
並べるのも、いつだったか佐為と打った一局。
ヒカルは佐為と打った棋譜は全部覚えている。
碁はそんな熱心に勉強したわけでないし、もちろんまだ佐為には一度も
勝てたことはないけれど、その覚えの良さだけは佐為に褒められた。
ヒカルは一度打った棋譜、見た棋譜は絶対に忘れない。
佐為のものならなおさらだ。
佐為との棋譜を並べているとまるで佐為と話しているようと思った。
『碁を打つことをね、手談とも言うんですよ』
出会って、ヒカルが碁を覚え始めたばかりの頃、佐為がそう言っていたのを
思い出す。
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