Linkage 117 - 118
(117)
「持ってきたぞ。今度は1週間分だ」
そそくさと碁石を片付けるアキラに小声で語りかけると、緒方はスーツのポケットから
小さな包みを取り出す。
「ありがとう、緒方さん」
僅かに微笑んで制服のポケットに包みをしまうと、アキラは碁石を片付ける手を止め、
緒方の顔をじっと見据えた。
「これ、幾らするんですか?タダで貰うのは……」
「ハハ、冗談はよしてくれよ、アキラ君。大した額じゃないんだから、変に気を遣わなくていい。
なくなったら、また昨夜のように連絡してくれ。次回以降も1週間分ずつ渡すからな」
「でも……」
「いいんだよ。金のことは今後一切口出し無用だ。いいな?……さて、オレもこれから指導碁だ。
予約が入っているからな」
緒方は言い終わるや立ち上がり、席を離れた。
反論のタイミングを逸したアキラは仕方なく溜息をつくと、中断していた碁石の片付けを再開する。
その瞬間、背後から緒方が音もなく近寄り、身を屈めてアキラの耳元に唇を寄せた。
「おっと、動かないでくれよ。後ろのお客さんに怪しまれるからな」
小声で囁いて、アキラの白い項を撫で上げた。
緒方はぴくっと背筋を震わせるアキラの敏感な反応ぶりに満足げに薄く笑うと、唇でアキラの耳朶を啄む。
「そういう悩ましい表情をされると弱いんでね」
そう言い様、啄んでいた耳朶をペロッと舐め、緒方は身を起こした。
全身を電流が駆け巡るような感覚に、アキラは思わず身を捩る。
そんなアキラの肩をポンポンと叩くと、緒方は何事もなかったかのように穏やかに笑いながらアキラの
背中越しに語りかけた。
「じゃあな、アキラ君」
一瞬の狼狽の後、アキラが椅子から立ち上がって振り向くと、既に緒方は受付近くの席で指導碁の
予約客と雑談を交わしていた。
アキラの視線に気付いているであろう緒方は、まるでアキラを無視するように何食わぬ顔で客と
談笑している。
アキラは悔しさに唇を噛み締めると、渋々腰を下ろした。
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普段盤上に集中しているときは周囲の雑音など決して耳に入らないアキラだったが、
今は背中越しに聞こえてくる緒方と客との他愛もない会話が嫌でも気になってしまう。
緒方の舌が触れた耳朶は熱を帯びていた。
(緒方さん、どうしてあんなことを……)
訳もなく碁笥の中に手を突っ込むと、碁石を掬っては落とし、アキラは深い溜息をついた。
──緒方さんもこれから指導碁ですかァ?
ふと、緒方の席からそう遠くない所でやはり指導碁をしていた芦原の声が耳に入る。
アキラは思わず手の中の碁石をギュッと握り締めると、耳をそばだてた。
──ああ。芦原、終わったらメシでも一緒に食うか?
──いいですよ〜!それならアキラも誘いましょうか?
──アキラ君は自宅で食べるだろうし、オレとオマエの2人でいいんじゃないか?
──そうですね。じゃあ、終わったら声かけてくださいよ。
──わかった。
緒方と芦原の、それはごく他愛もない会話だった。
気さくに言葉を交わす2人は、この会話をアキラが聴いているとは思ってもいなかっただろう。
事実、母親が自宅で夕食を用意して帰りを待っているのだから、アキラは碁会所から
真っ直ぐ自宅へ帰るつもりでいた。
緒方はそのことをよく理解していて芦原にアキラを誘う必要はないと言っただけだろう。
アキラとしては、緒方の発言に他意はないと信じたかった。
それでも、アキラの視線をわざと無視する先刻の緒方の態度を思うと、アキラは緒方に対して
どこか疑心暗鬼にならざるを得ない。
(……緒方さん……)
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