平安幻想異聞録-異聞- 117 - 118


(117)
その通りだと思った。
佐為の石の運びの一つ一つに、その人となりがうかがえる。
ヒカルは、そうやって、佐為の石の運びを眺めるのも好きだったが、
碁を打っている佐為自身を眺めるのも、とても好きだった。
怖いけど、綺麗だった。その一局が難しいものであればあるほど、あたりの空気が、
キリキリとしぼり上げられた弓弦のように緊張して、痛いように張りつめる。
そのくせ、それは透明な玻璃細工のように繊細で、壊れやすい感じがするのだ。
そんな時は、佐為の近くにいるヒカルも、その空気を壊さないように、息をひそめて
おとなしくする。そっと、うかがうようにして、佐為の横顔を眺める。盤上を
切りつけるようにヒタと見つめる、厳しい視線。でも、そんな時の佐為の瞳が
ヒカルはとても好きだった。
佐為が、碁盤の上にその一手を置く、手の形、その白さまでが、まるで目の前に
佐為がいるかのように思い出される。
ふいに、体が熱くなった。昨日の晩もこれ以上は無理と思うほど、責め上げられた
のに、佐為のことを考えただけで、こんなにも、体の中心が熱を持つ。
佐為に抱きしめられたいな、と思った。
あの白い狩衣の胸に顔をうずめて、胸が透けるように心地の良い、あの菊の香の
かおりの中に埋もれられたら、どんなに心地いいだろう。
その時、廊下と部屋をしきる御簾が上げられて、座間が部屋に入ってきた。


(118)
御簾が上げられるのと同時に、赤銅色の西日が差し込んだ。
秋の陽が、すでに山すそ近くまで下っている気配。
もうそんな時間かとヒカルは思った。
座間が碁盤の向こう側に座る。
「佐為殿との一局か?」
「………」
ヒカルは答えない。だが、盤面から目線をはずし、わずかに座間を見上げた
動作に明るい色の前髪が揺れて、夕陽を照り返し、金色に光った。
座間は碁盤の向こうから腕をのばし、手にした扇で、ついとそのヒカルの
細い顎をすくい上げる。ヒカルは黙ってされるがままになった。
「ふん、その澄ました顔。だんだん、奴に面ざしが似てきおって。かわいげの
 ないことよ」
座間がいう『奴』というのが佐為の事だというのはわかったが、
自分と佐為の顔が似ているなどとは一度も思ったことのないヒカルは、
座間の言葉に内心戸惑った。
どちらかというと、外見は正反対じゃないだろうか? 自分と佐為は。
ヒカルの心の中に起った、そんな小さなさざ波には気付かず、座間が言い放つ。
「鳴かぬ鳥にも、もう飽いたわ」
口の片端だけをあげて、顔の半分で座間が笑う。
落日がその顔の半分を染めて、血に濡れているようにも見えた。
「今宵は今まで四日分、たっぷりと啼いてもらうでのう。他の事など
 考えられぬ程にしてやろうぞ」
ヒカルの顎の下から、するりと扇の感触が無くなる。
座間は立ち上がると、振り返りもせずに部屋を出ていった。
ヒカルは、再び降ろされ、部屋と外界を遮断した御簾を、じっと睨みつけた。



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