黎明 12 - 17


(12)
固く目を閉じている身体が小さく震えている。乾いた唇から何か言葉が漏れた。
「どうした、近衛。」
彼の呟きをもう一度拾おうと、口元に耳を寄せた。
「寒い…」
「寒いのか?今、掛け物を…」
「違う…」
ヒカルは近づいてきたアキラに抱き縋り、そのまま、その身体を床に引き倒した。
「な……や…めろっ…!」
抗おうとするアキラに尚も取りすがりながら、ヒカルの手はアキラの身体を探ろうとする。
「なんでだ…」
襟元の紐を解きながらヒカルは言った。
「俺が…キライか?」
ヒカルの身体を必死に押し戻し、襟元を押さえながら、アキラが返した。
「…そんな事、僕が聞きたい。僕などどうでもいいいくせに、どうして、こんな事ができるんだ。」
「だって、寒いんだ。寒いんだよ、俺。」
「寒い、寒いって、暖めてくれる人なら、誰でもいいって言うのか、君は!?」
「そうだよ!誰でもいいよ!」
ヒカルはアキラの身体に取り縋った。
「寒いんだ。寒くて、寒くて、死にそうなんだ。俺を、あっためてくれよ…」
目の前の鋭い光を放つ黒い瞳が恐ろしい。けれど、今自分を暖めてくれる人はこの人しかいない
のだから。そう思ってガチガチと歯音を立てながら、それでもヒカルはアキラに必至に取り縋った。
アキラの衣を掴む彼の手も、全身も、がたがたと震えていた。指先は本当に冷たかった。縋り付く
ヒカルの身体から、冷え冷えとした空気が伝わってくるような気がした。
実際、彼の悪寒も震えも、香を求める体の作用に過ぎないのだろうが、けれど彼が訴える寒さも
また、彼にとってはまた真実なのだとはわかっていた。
けれど訴えるその瞳はそれでもどこか虚ろで。


(13)
耐え切れずに、アキラはヒカルの身体をかき抱いた。この抱擁は彼の身体の震えを鎮めるため
だと言い訳を浮かべながら、アキラはヒカルの細い身体を抱きしめた。我が身の温もりが少しで
も彼に伝わるようにと、抱きしめる腕に力を込めた。寒い、と漏らす言葉を裏切るような熱い涙が、
その抱擁に応えるように、アキラの胸を濡らした。
抱きしめた腕の中で、ヒカルの唇がアキラの首筋から胸元へと這い、手が衣の下を這い、下半
身をさぐり始める。
その愛撫に、ヒカルの求めているものは単に温かい身体に過ぎず、賀茂明という名の一個の人
間ではない事をまたもや思い知らされて、知っていたはずの事実にそれでもアキラは絶望する。
その絶望と怒りに、アキラの身体が震えた。
「やめろ…」
アキラの身体を―身体だけを―求めるヒカルの愛撫を避け、彼の身体を引き剥がして、震える
声でアキラは言った。
「寒いというのなら、抱いてやる。暖めるだけなら、いくらだって抱きしめてやる。
でも、それだけだ。それ以上はなしだ。」
「それじゃ足んねぇんだよ!そんなんで、あったまったりできねぇよ!もっと…」
そして縋るような目で見上げて、アキラに泣きついた。
「寒いんだよ…!なんとかしてくれよ……!」
だが、縋りつくヒカルの視線から逃れるように目を逸らせたアキラに、ヒカルは怒りをぶつけた。
「それもできないんなら、俺を元の場所に戻せよ!!あっちのほうがよっぽどましだ。
奴らは、少なくともおまえみたいに尻込みしたりしないで、俺を暖めてくれたよ!
それがおまえに出来ないんなら、俺をあそこに帰せよ!!」


(14)
ヒカルの言葉を受けて、アキラの双眸が黒く燃え上がる。一瞬、その炎にヒカルはたじろいだ。
燃えるような目でヒカルを真っ直ぐに見据えたまま、アキラはヒカルに乱された着衣を乱暴に脱
ぎ捨てた。半身を起こし両手を後ろについて、怯えるようにそのまま後ずさろうとしたヒカルの肩
を捕らえ、ヒカルの身体を覆う布を剥ぎ取っていく。
そうして互いに一糸纏わぬ姿になって、アキラはヒカルの身体を抱きしめた。
アキラの身体は熱かった。体温以上に、熱く滾る激情が、火傷しそうに熱くヒカルの身体を包み
込んだ。そして次第に、彼の身体の中心で激しくその存在を主張する熱い陽物が力強くヒカル
の下腹部を刺激し始めるのを、ヒカルは感じた。
ヒカルはそれが欲しかった。欲しくて欲しくて、堪らなかった。その熱い楔を自分の中に打ち込ん
で欲しかった。外からだけでなく、内からも、自分を暖めて欲しかった。冷え切ってしまった身体
を内部から熱い熱で燃え立たせて欲しかった。
「…なあ、おまえ、」
「アキラだ。」
悲痛な響きを抑えきれずにもう一度、アキラが自分の名を告げる。
「アキラ、」
強い力で抱きしめられたまま、かすれるような声でヒカルがその名を呼んだ。
「おまえが、欲しい…」
動けるものならば、自分から彼の熱い塊を導いて内部に納めたかった。それが駄目ならせめて
その熱い塊を握り締めて、その熱を感じたかった。けれどヒカルの身体を拘束するように強く抱き
しめるアキラの腕の力がそれを許さず、ヒカルは求めているものがそこに確かにあるのを感じな
がらも、決してそれを得ることは許されなかった。だから、懇願するようにアキラに訴えた。
「おまえが、欲しいんだ。おまえの熱いそれを俺の中にくれよ…!」


(15)
「駄目だ。」
けれどヒカルの耳に届いたのは、その熱い身体から発せられたのだとは信じられないほどの
冷ややかな声だった。
それでもあきらめきれずに、ヒカルは僅かに自由の残された下肢でアキラの熱を刺激するよ
うに動かすと、それは頭上から発せられた冷たい声を裏切るように熱く震え、その質量を増し、
熱い涙を零した。

なぜだ。俺はおまえが欲しくて堪らないのに、おまえだって、そんなに熱くなっているくせに、
どうして俺を拒むんだ。どうして俺の求めるその熱を、俺にくれようとしないんだ。俺が一番に
欲しいのはそれなのに。おまえのそれだって、俺を欲しがって泣いてるじゃないか。熱く力強く、
俺を求めているじゃないか。それなのに、それなのにどうして。

望むものがすぐそこにあるのに、それが与えられないのが、それを奪い取ることも出来ないの
が悔しくて、背に回した手で、彼の背中に爪を立てた。その痛みに、アキラが小さな声を漏らし
た。その声は、先ほどの拒否の声とは別物のように熱く、ヒカルの耳に届いた。その熱がもっと
もっと欲しくて、ヒカルは更に爪を立てた。悔しさともどかしさのあまりヒカルの目からこぼれ落
ちた熱い涙がアキラの裸の胸を濡らした。それに応えるように、アキラの腕に力がこめられた。
更にアキラの下肢はヒカルの動きを封じ込めるように、ヒカルの下半身をも押さえ込み、抱きし
める腕の強さはますます力強く、ヒカルは息をすることさえ、困難なほどだった。
出口を封ぜられた熱が二人の身体を煽り、ぴったりと強く抱き合っている身体は、全身が熱く
燃えていた。アキラから発せられる熱い火は触れ合っている部分からじわじわとヒカルを侵食
し、その火が自分の皮膚に、身体に、頭の芯にまで熱く燃え移った事を、ヒカルは感じていた。
ヒカルはいつしか寒さを忘れていた。忘れていたことにさえ、気付かなかった。


(16)
やがて眠りについた彼に衣を着せ掛け、彼の身体を覆うように掛け物をかけ、アキラはそっと
室内を出た。それから火をおこした火鉢を持って戻り、部屋の隅に置いてから、眠っているヒカ
ルの顔を覗き込んだ。
手を伸ばして涙の跡の残る頬に触れようとしたが、突然、弾かれたように手を引き、身体の内か
らわきあがる熱を振り払うように、アキラは夜の闇に彷徨い出た。

どうしたら彼を救えるのだろう。いや、どうする事が彼を救う事になるのだろう。
いや、自分が彼を救おうと考える事自体が、傲慢な事なのではないか。

振り返りながら、アキラはこの先の道の困難さを思った。
あのように熱く激しく求められて、これからも拒み通す自信など無かった。拒むどころか、自分
の身体は、彼以上に熱く激しく、彼を求めていた。その事を彼も知っていたから、その欺瞞に気
付いて、彼は自分を責めた。
欺瞞だ。
彼のためだなんて。
それでも彼を抱くことをしないのは、なぜなのだろう。
身体だけでなく、自分という人間を、欲して欲しいから?
熱を求めるのでなく、自分自身を求めて欲しいから?
そんな自分の強欲さに、自分が抱えている、ヒカルの抱える闇に劣らぬ程の暗い闇に、アキラ
は絶望的な気分になった。
こんな闇を抱えている自分が、彼を救おうなんて、とんでもない思い上がりなのかもしれない。


(17)
ならばいっそ、救おうなどという大それた望みなど放棄して、共に闇に堕ちてしまうのもいいか
も知れない。そんな甘い誘惑に一瞬、飲み込まれそうになりながら、けれども、思いとどまる。
堕ちたところで、彼の闇と自分の闇とは異なるのだ。
同じ闇に堕ちられるのなら、厭うものなど何もない。いっそ、それこそが望ましい。けれど彼の
闇の中にいるのは自分ではなく逝ってしまったあの人で、闇の中にあってさえ、彼は変わらず
同じ人を見つめ続けている。
それが、それこそが耐え難いから、自分は彼を闇から引きずり出そうとしているのだろうか。
結局、彼を救うなどと言う事は大義名分や言い訳に過ぎないのかもしれない。
ただ、闇の中に失った人だけを見つめる彼に耐えられないから。
だからこうやって無理矢理に彼を闇から引き摺り出そうとしているのかもしれない。
彼のためではなく、単に自分のために。
彼に生きていて欲しいと思うのは、元のような、その名の通りの明るい日の光のような彼に戻っ
て欲しいと思うのは、何よりもそういった彼を愛する自分のためで。



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