日記 126 - 130


(126)
 「………先生…寒い…」
躊躇いがちに触れる緒方の首に、ヒカルが縋り付いた。
「寒い…凍えそうなんだ…」
最初、緒方は、言葉の意味を計りかねた。エアコンの表示は、二十七度を指している。
決して、寒すぎる室温ではない。
 「寒い」と訴えるヒカルは、緒方の腕の中で、瞳に涙を滲ませて震えている。だが、
その肌は熱く、うっすらと汗で覆われていた。
「寒いよ…」
ヒカルは何度も繰り返した。緒方を掻き抱く腕に力を込めて、涙で濡れた頬を厚い胸に
すりつけてきた。
緒方を自分の方へ引き寄せようと、ヒカルは必死だったが、その効果はほとんどなかった。
 細い腕でしがみつくヒカルを潰さないように、片手で自分を支えながら、華奢な身体に
重なった。開いた方の手で柔らかい前髪を梳いてやると、ヒカルの震えは漸く止まった。
「ふぅ…うぅ……」
「…まだ寒いか?」
ヒカルは、返事をする代わりに緒方をジッと見つめた。濡れた睫毛が微かに震えていた。


(127)
 寒いのは身体じゃない。身体のあちこちに穴が穿たれたように、そこから風が入り込んで
ヒカルを凍えさせるのだ。数日前までは、本当にヒカルは幸せだった。夏の暑さも、強い
日差しも、何もかもがヒカルを楽しませた。
今は寒い。本当の冬よりも寒いと思った。身近に感じる人肌の温かさを離したくはなかった。
緒方の指や唇は、アキラを思い出させる。二人は、以前は恋人同士だった。だから似て
いるのかもしれない。目を閉じていると、今自分を抱いているのは本当はアキラなのでは
ないかという錯覚さえおきてくる。
「ん…あぁ…」
声が漏れる。思わずアキラの名を呼びそうになって、慌てて歯を食いしばった。
 ヒカルの胸に唇を寄せていた緒方が顔を上げた。
「…辛いんじゃないのか?」
声を堪えるヒカルを気遣う。我慢していると思っているようだ。確かに怖くないと言ったら
ウソになる。でも…。
 ヒカルは必死で首を振った。
「や…やだ…やめないで…」
大きな手が、ヒカルの額に置かれた。前髪を払いあげ、愛おしむように口付けされた。
「好きだよ…」
緒方が囁いた。


(128)
 ヒカルは、緒方の背中に腕を回した。緒方がどういう意図でその言葉を言ったのかはわからない。
慰めてくれようとしたのか、たわいない睦言なのか、それとも本気の告白なのか。
「うれしい…もっと言って…オレを好きだって…」
たくさん言って欲しい。その言葉で、体中を満たしてすきま風が入らないようにして欲しい。
「好きだ。お前が可愛い。」

―――――好きだよ。進藤。
アキラの声が重なった。二人で抱き合った後、いつもアキラはヒカルにそう囁く。
―――――オレも大好き。
その度、ヒカルも愛の言葉を返した。
 
「……オレも好き…」
同じ言葉をヒカルは、今、緒方のために口にした。少し胸が痛い。
「大好き…」
涙が零れた。


(129)
 緒方の腕が、ヒカルの腰を抱え上げた。ヒカルのか細い足の間に自分を割り込ませ、
慎重に身体を進める。ヒカルは、少し怖じ気づいた。無意識に身体を捩らせ、逞しい腕から
逃れようとする。緒方はそれを許してくれなかった。
「あ、あ、ああぁ、や、やだ…!やっぱり…怖い…!」
ヒカルは泣きながら、身体を仰け反らせた。緒方はその薄い胸に、唇を落としながら、
ゆっくりと中に押し入ってきた。
「やだぁ…!許して…先生…ああ…!」
自分を完全に埋め込むまで、緒方は無言だった。華奢な腰を押さえ付け、すすり泣くヒカルを
離そうとしなかった。
「う、う、うぅ……」
「……お前が望んだんだろう?」
緒方は汗で張り付いたヒカルの前髪を掻き上げて、そのまま頭を撫でた。緒方の言葉に
ヒカルは小さくいやいやをするように、首を振った。彼の言うように、自分で望んだことなのに、
行為を続ける緒方を恨めしく思った。
「だって……」
と、小さくしゃくり上げた。ヒカルが頼めば、緒方は途中で止めてくれるだろうという
甘い考えが頭のどこかにあった。
 緒方は、ヒカルを抱き上げた。繋がったまま膝の上に乗せられて、ヒカルは「ひ…!」と息を詰めた。緒方の肩に顔を擦り付け、痛みに耐えた。
「い…痛…痛い…」
あやすように軽く背中を叩かれた。髪を梳いた指が、首筋を滑り、背骨に沿って撫でた。


(130)
 ヒカルは小さく息を吐いた。睫毛に涙の雫が溜まっていた。
「ふぅ…う…」
「…可愛いな…お前は…」
そう言って、緒方は少し身体を揺すった。自分にしがみつくヒカルの腕に力が入った。  肩口に顔を押しつけて喘ぐヒカルを見下ろした。瞼を閉じ、微かに開かれた口からは
ハアハアと不規則な呼吸音が紡がれている。不揃いな長い睫毛、上気した頬、紅い唇から
覗くピンク色の舌が扇情的だった。細い首筋に流れる汗が、少年に相応しくない色香を
さらに
艶冶に見せた。ヒカルを抱くのは二度目だが、以前はただ無邪気で幼いだけの印象しか
なかった。アキラに抱かれて引き出されたものなのか……。胸の奥が疼いた。刺すような
焼かれるような何とも言えない痛みだった。
 「せんせぇ……」
ヒカルが苦しげに呻いた。無意識のうちに、ヒカルを乱暴に揺さぶっていたらしい。
「あっ、あぁ…」
緒方の肩に置いた手を突っ張らせ、ヒカルが身体を撓らせた。
緒方はヒカルの腕を引き寄せると、自分の項に引っかけた。そのまま片手で背中を抱いて、
身体を密着させた。空いた方の腕で、ヒカルの膝をすくい上げ、尻を持つ。緒方は膝の上に
乗せたヒカルを上下に揺らした。
「ひ…あ…!」
と、断続的な悲鳴を上げながらも、ヒカルのその中心は熱く昂ぶり始めてていた。
 緒方はヒカルを持ち上げては落とす。それを繰り返した。その度ヒカルは小さく呻いた。
「あっ、あっ、はぁ…せんせい…オレ…もう…」
緒方の動きが早くなり、それにあわせるようにヒカルも腰を揺すった。
「はっ、はっ、あぁ……!」

 「……!」
ヒカルの身体から力が抜け、緒方にもたれ掛かった。気を失ってしまったらしい。
 緒方はヒカルをそっと膝の上から下ろした。顔を覗き込む。涙の跡が頬に幾筋もついていた。
その跡を指でたどりながら、溜息を吐いた。
 ヒカルは意識を手放す寸前に、小さく叫んだ。その唇が綴った言葉は、自分の名前では
なかった。



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