裏階段 アキラ編 13 - 14
(13)
あの時、全ての指でオレの人さし指を包んだ小さな手が育ってここにある。
長くしなやかな細い指でテーブルの上でオレの手を捕らえている。
こちらからは振りほどこうとはしないことを、彼は知っている。
上品なベージュ色に統一されたホテルの室内は静かだった。
遠くで微かにサイレンが鳴る音がして、遠ざかっていく。
カーテンを開けて見下ろせばホテルの周囲の公園の闇の向こうに宝石箱をひっくり返したような
色とりどりのネオンの絨毯が広がっている。
このホテルで食事をしようと連絡をとってから直ぐに予約を入れたわけだ。
それもダブルの部屋を。未成年者のくせにチェックインはどうしたものだったのか。
可愛げがあるんだかないんだか表情に戸惑うところだが結果的に苦笑した。
「何が可笑しいんですか?」
背後からそう呼び掛けられたと同時に腕が回されて背中にアキラが顔を伏せて来る。
「やけに積極的だな。」
そう言いながらもアキラの頭の位置が随分高くなったと感じる。
ここ一年でアキラはずいぶん背が伸びた。
あの三谷という少年を抱いた後のせいか彼と比べると骨格も随分しっかりした様に見える。
「…まずいな。」
そう呟きながらそれでもまだ見下ろす位置にあるアキラの顔を眺めて彼の顎を手で捕らえる。
するとこちらが顔を寄せるより先にアキラが両手を伸ばしてこちらの首を抱き寄せ、
火が着いたような激しさで唇を合わせて来た。
(14)
勘が鋭い子供だった。
「先生」が地方に対局で出かけるために数日家を空ける事も多く、そういう時に限ってアキラは
よく高熱を出した。もちろんだからと言って引き止められるものでも出先から呼び戻せるものでもない。
赤い頬でぼんやりと宙を見つめるアキラを抱きかかえた明子夫人を乗せて小児科の病院まで
車を飛ばすのはオレの役割だった。
だが次第に盤面に置かれる石の音に父親の存在を感じ、自分が置かれた環境を敏感に肌で
学んでいったのだろう。そのうち熱を出す回数は減っていった。
と同時に、両親の他にいつも自分の身近に居る者の存在を認識していった。
特に優しく接したつもりもなく極めて事務的にできる範囲で主人が居ない間の家を
守っただけのつもりだ。
ある時裏の軒下に燕が巣作りをし、早い段階でふんを受ける板を巣の下に取り付ける事を
明子夫人に頼まれた。倉から道具を持って来ると既にアキラが自分の背丈と
同じ程ある足場を庭先から引きずって来て待っていた。
頭を撫でてやると嬉しそうに笑い、オレが上に登って作業する間アキラはじっと見ていた。
自分も共にこの家を守っているんだ、と言いたげに。
たいした仕事でもないのに明子夫人がお茶を煎れて持って来てくれたので
縁側に腰掛けてひと休みした。
お盆にはちゃんとアキラの分もあり、アキラは満足そうにオレの隣に腰掛けてお茶を啜った。
父親を尊敬し父親の仕事を理解する一方で、父親から得たいものを代わりに与えてくれる者を
彼が欲しがっているのは容易に想像出来た。
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