失着点・境界編 13 - 14
(13)
思わずヒカルの足が止まった。アキラと、その男と続いて同じタクシーに
乗るとヒカルの視界から消えていった。和谷も立ち止まり、
走り去るタクシーとそれを見つめるヒカルをジッと見ていた。
和谷のアパートに着く迄も、着いてからもヒカルは無言だった。
和谷もあえてそんなヒカルに何か話し掛けようとはしなかった。
「ニギるぜ。」
二人の間の碁盤の上で和谷が碁石の音を響かせた時、ようやくヒカルは
我に返った。
「あ、ああ。」
呼吸を整え、ヒカルは気を取り直して和谷との対局に専念しようと思った。
アキラにとって大事な仕事の事かもしれない。自分が嫌だと思った相手と
アキラが行動を共にしたからと言って、いちいちショックを受けていたら、
それこそアキラにバカにされる。
ただ、何かあのツーショットには何故か胸の奥がひどくざわついた。
「あいつ、男と寝てるらしいぜ。」
最初、ヒカルは和谷が何の話をしているのか分からなかった。序盤を
どういくか考えている頭の端がようやく和谷の言葉の意味をとらえ、
ヒカルは石を持つ手を止めた。
「…何言ってんの?和谷…。」
「そういう噂があるって聞いたんだよ。塔矢アキラは囲碁界やその他の
業界のお偉いサン方のお気に入りで、何人かは特に本気で入れ込んでいて、
塔矢はそのへんの扱いも心得ているって…。棋士の中にも奴と関係したのが
いるってさ。」
「…あいつはそんなヤツじゃないよ。」
ヒカルの石を持つ指先が色を失い、カタカタと震えた。
(14)
強すぎる戦績と孤高を保つ態度がくだらない噂を呼ぶ事もあるのだろう。
笑って受け流せば済む話だ。だが、『棋士の中にも奴と関係したのがいる』
というところにヒカルはひどく動揺した。
アキラと初めて関係を持ってから、それまでもそうであったが、彼のアパート
や囲碁を打つ時以外却って逆に特にアキラと接点を持たなくなった。
今日のように彼の部屋以外の場所でああいう事をしたのも初めてだった。
初めて碁会所で唇を重ねた事の他には。
自分達のことは誰にも知られていないはずだ。
だが冷静に和谷に詳しく噂の中身を確かめる事は出来そうになかった。
「…和谷らしくないよ。そんな話持ち出すなんて…。見損なったよ。」
青白い顔でヒカルはそう言うと立ち上がり、部屋を出ようとした。
「だったらオレを殴ればいい。まったく根もハも無い噂だと言うならな。悪い
事は言わない。あいつに関わるのはよせ。あいつはオレ達とは違うんだ。」
和谷も立ち上がり、真剣な目でそう言って来る。ヒカルは一瞬言葉に詰まる。
「…はは、どうしたんだよ、和谷。お前何かゴカイして…」
突然和谷は強引にヒカルの背中を押し出すようにして洗面台の方に連れて
行くと襟元をはだけさせた。
「な、なにするんだよ!」
「じゃあ、これは何なんだよ!」
和谷に羽交い締めにされるようにして、顎を上向きに持ち上げられる。
洗面台の鏡の中のヒカルの首元にアキラの刻印が映し出された。
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