パッチワーク 13 - 14


(13)

そうこうしているうちにヒカルの同期という方がお見舞いに来た。暁子に興味を持たれてはやっ
かいなので子どもたちを早々に連れ出した。塔矢夫妻が今日・明日と子どもを預かってくださるの
でホテルに荷物を預けた後、マンションに向かう。

マンションでアキラの顔を見たとたん彩子はこの四日間の報告をアキラにしている。アキラが帰宅
したときのようだ。アキラも実際にヒカルにあったせいか昨日までのピリピリしか感じが無くなっ
ている。

このまま穏やかに日々が過ぎていって欲しい。だが子どもたちがもう少し大きくなれば私たちの関
係を疑問に思うであろう。自分たちの欲望のまま走った結果が子どもたちだ。子どもたち、特に暁
子にはリスクを背負わせ過ぎている。どう答えるべきか私たちはもう考えはじめなくてはならなく
なっているのかもしれない。

パッチワーク 2026.05 あかり 了


(14)
2013年 アキラ(25)

 軽い鬱状態から拒食症になってしまい栄養失調で入院して一ヶ月後やっと退院できた。入院している間に
国会では国際人権条約との関係で同性同士の法律上の婚姻を認める法律が成立したが、社会通念上はまだまだ
壁がある。両親には風邪をこじらせたため大事をとって入院したと言ってある。カウンセリングに週に一度
通院するのが退院の条件だった。医者の診断は「遅れてきた反抗期に父親と言い争い。直後に父親が心臓の
発作を起こしたことに罪悪感を感じ、成長を拒否しようとした。」ということらしい。僕としては
納得しがたいが退院をしたくて同意した。手合いにも先週復帰した。入院して以降会っていないヒカルの
ことが気になったがヒカルは手合いがなく来ていなかった。自分のマンションに戻るつもりだったが母に
反対され両親がいる箱根のケアマンションから東京に通うことにした。母が安心すればすぐに東京に
もどるつもりだ。父が僕とヒカルのことをどう考えているかわからないが表面上は穏やかな状態だ。

 東京の僕の育った家はいま人に住んでもらっている。父の海外での対局に母が同行することが多くなり僕は
家に残っていたが家の世話が仕切れなくなったのだ。古い日本家屋は毎日手を掛けてやらなくてはならない。
手を掛けられなければ加速度的に痛んでしまう。母が家にいるときには母の毎日の手入れ以外に週に3日
業者に来てもらっていたけれど家の者が誰もいないときに他人に家に入られるのを僕が嫌がったのだ。父も
母も子どもの時から家や家族の世話をしてくれる人が家族以外にいるという生活になれていたので
そういったことに抵抗がないらしい。両親は留守がちになること、医師が常駐していることを考慮して
母方の祖母が晩年を過ごしたこの箱根のケアマンションを日本での住まいにした。僕は母が都内に持っている
賃貸マンションのうち新宿御苑脇のマンションの一室を選んだ。母は結婚するまで台所を使ったことが
無くてあのタイル張りの流しがある旧式の台所があたりまえだとおもっていた。僕もそうだ。母は箱根に、
僕も新宿御苑のマンションに住んでみて文明の利器に感動した。



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