落日 13 - 14
(13)
「おまえ……どういう事だよ、コレ…!」
先に口を開く事ができたのは和谷の方だった。
「どういうって、何が?」
言っている意味がわからない、というように、ヒカルは首を傾げる。
「おまえ、何、呆けてるんだよ。」
カッとして、和谷はヒカルに掴みかかろうとした。
「おいっ!」
「やめろっ!」
その手を伊角がまた押しとどめる。
「乱暴なことはするな。」
止めに入った伊角を和谷はぎろりと睨み付けた。
「てめぇには関係ねぇ。」
ぎりぎりと火花が散るほどに睨み合う二人の後ろで、その緊張を断ち切るように、くしゅん、と小さく
くしゃみする音が聞こえた。
一瞬、出遅れた。
ヒカルの身体は伊角に抱き寄せられた。
「出て行け…!」
「…何だって?」
何の権利があって、そんな事を言う、そう言い返してやろうと思ったのに、抱き寄せられたまま伊角
の胸に身体を預けているヒカルに、猛烈な怒りを感じた。
「おい、何とか言えよ、ヒカルッ!」
が、伸ばしたその手を、伊角が振り払った。
「黙れ。」
鈍く光る目に睨み据えられて、一瞬たじろぐ。
「声を荒げるな。彼が怯えているじゃないか。」
ヒカルの華奢な肩を抱きしめたまま、伊角は和谷を睨み上げて、言った。
「彼にそんな暴力をふるうような人間を、近寄らせるわけには行かない。」
そうして腕の中の少年に、柔らかな声で言い聞かせる。
「もう、心配しなくていいから。おまえは俺が守ってやる。」
その光景に、和谷は怒りに目が眩みそうになる。
「出て行け…!」
(14)
「あの……」
後ろからかけたれた声に、和谷は打たれたように振り返る。
そして女房の目から室内の光景を隠すように、戸の前に立ちはだかる。
「来るな!」
そして乱暴に彼女の腕を掴んで、そこから引き剥がすように部屋の外に出る。
「え、でも…」
「いいから…!」
そうしてまだ部屋の方を気にする女房を無理矢理引き摺るように、和谷は歩き出す。
緊張に身体を強張らせながら、伊角はヒカルを抱きしめたまま、和谷が女房をこの部屋から引き離
してくれた事に感謝していた。
必死に何か言い募る女房の声と、きつい口調で彼女を咎める和谷の声が次第に遠ざかり、彼らの
声も物音も遠くやがては聞こえなくなって、伊角はやっと深く息を吐いた。
可哀想に、と思う。
前から彼のことが好きだったのだろうか。
それとも、自分と同じように「彼」の代わりを求められて、そのまま夢中になってしまったのだろうか。
どちらにしても、自分と同じように、彼もこの少年に溺れてしまっているのだろう。自分たちが抱き合っ
ているのを目にした時の、彼の目に浮かんだ暗い炎を思うと胸が痛む。ぎりりと奥歯を噛み締めて、
自分たちを殺しそうな勢いで睨みつけていた彼の、怒りがまだこの部屋に立ち込めているようだ。
あれは自分自身の姿であったかもしれないのだ。
それでも、先程の彼の振る舞いを思うと、やはり彼には任せられない、と思う。
今の彼には、かつてのような強さはないのだ。
僅かな風にも怯えるような、この頼りない存在を守れるのは自分しかいない、と思う。
あの友人が、どれ程彼を恋うていたところで、それと、彼を守りきれるかとは別だ。
あのように乱暴な言葉で、乱暴な振る舞いで、あれでは彼を更に怯えさせるだけだ。
昔の彼とは違うのだ。今の彼は、弱く、脆く傷付きやすく、だから彼がこれ以上傷つく事の無いように
風にも晒さぬように、誰かが抱え込んで守ってやらねばならぬのだ。
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