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(13)
タクシーが目的地に着いた時、ヒカルは浅い呼吸を繰り返しながらぐったりとしていた。
アキラは呼び掛けにも応じないのを見て、一瞬だけ病院に行こうか迷ったが、
結局それはやめておく。
アキラはタクシーの運転手に手伝ってもらいながらヒカルを背負った。
もともとヒカルが細身な方だというのは分かっていたが、余りの肉付きの薄さに少し驚く。
意識の無い相手は、全身の筋肉が弛緩している分、起きている人間よりもかなり重い。
それでもアキラが無事自宅の客間にヒカルを寝かせる事が出来たのは、
多分思っていた以上に彼が軽かったからだろう(勿論全く苦戦しなかった訳ではないが)。
敷布団を引いて、そこにヒカルをそっと横たえると、ヒカルが微かに呻いた。
「進藤? 苦しいのか?」
返事はやはり無く、聞こえてくるのは荒い息だけだった。
良く見ると身体が微かに震えている。
汗を吸った衣服が冷たくなっているのだと気付いたアキラは一瞬躊躇った後に、
ヒカルの衣服を脱がせた。
下着以外を全て取り払い、熱い湯で絞ったタオルで身体を丹念に拭う。
そして客人用の浴衣を着せて、少し暑いかとも思ったが、羽毛布団を掛けた。
その一連の作業が終わるまで、アキラの胸中は酷く複雑だった。
今も、頬を上気させて荒い息を吐くヒカルを見ていると落ち着かない気分になる。
氷枕を作ろうと思い立ち、そこから離れたのは決してそれだけが理由ではなかった。
(14)
その日の午前中、アキラは彼の父親の経営する碁会所に居た。
そこにたまたま居合わせた芦原に、アキラはここ数日腹に溜め込んでいた悩みを打ち明けた。
普段なら父親辺りに相談していたかも知れないが、両親ともども海外にいるのでは仕方がない。
それにいつだったかアキラは芦原を友達だと言ったが、
人生においてはまぎれもなく頼りになる先輩だと思っていた。
だから、自分の悩みにもきっとなんらかの形でヒントをくれるだろうと思ったのだ。
話始め真面目に聞いていた芦原は、暫くすると腕を組んで椅子に深く凭れ掛かった。
話が中盤に差し掛かった頃には足を組み、時々何かを堪えるように口元を押さえ下を向いた。
堪えなければならない何かは、なんとなく想像出来た。
というのも俯いている芦原の両肩が不自然に震えていたからである。
そしてそろそろ話が終わろうとする頃には、彼は既に隠そうともせず
奇妙な笑みを顔に張り付かせていた。
それは、アキラの神経をなんとなく苛立たせた。
「何がそんなにおかしいんですか?」
一向にそのにやけた笑いを引っ込めない芦原に、腹に据えかねたアキラが
それでも怒りを押し殺した声で問いかけると、芦原は堪らないように噴き出した。
「あ、はは、あははははっっ、アキラらしー。自覚ないんだ、オマエって」
屈託無く笑う芦原に一瞬毒気を抜かれたが、もう一度きっと睨むと芦原は
「あ−悪い、悪かったよ、ごめんな」といって目尻に浮かぶ涙を手で拭った。
「だって、誰が聞いたって今の話、のろけられてるんだと勘違いするぞ?」
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