落日 13 - 21


(13)
「おまえ……どういう事だよ、コレ…!」
先に口を開く事ができたのは和谷の方だった。
「どういうって、何が?」
言っている意味がわからない、というように、ヒカルは首を傾げる。
「おまえ、何、呆けてるんだよ。」
カッとして、和谷はヒカルに掴みかかろうとした。
「おいっ!」
「やめろっ!」
その手を伊角がまた押しとどめる。
「乱暴なことはするな。」
止めに入った伊角を和谷はぎろりと睨み付けた。
「てめぇには関係ねぇ。」
ぎりぎりと火花が散るほどに睨み合う二人の後ろで、その緊張を断ち切るように、くしゅん、と小さく
くしゃみする音が聞こえた。
一瞬、出遅れた。
ヒカルの身体は伊角に抱き寄せられた。
「出て行け…!」
「…何だって?」
何の権利があって、そんな事を言う、そう言い返してやろうと思ったのに、抱き寄せられたまま伊角
の胸に身体を預けているヒカルに、猛烈な怒りを感じた。
「おい、何とか言えよ、ヒカルッ!」
が、伸ばしたその手を、伊角が振り払った。
「黙れ。」
鈍く光る目に睨み据えられて、一瞬たじろぐ。
「声を荒げるな。彼が怯えているじゃないか。」
ヒカルの華奢な肩を抱きしめたまま、伊角は和谷を睨み上げて、言った。
「彼にそんな暴力をふるうような人間を、近寄らせるわけには行かない。」
そうして腕の中の少年に、柔らかな声で言い聞かせる。
「もう、心配しなくていいから。おまえは俺が守ってやる。」
その光景に、和谷は怒りに目が眩みそうになる。
「出て行け…!」


(14)
「あの……」
後ろからかけたれた声に、和谷は打たれたように振り返る。
そして女房の目から室内の光景を隠すように、戸の前に立ちはだかる。
「来るな!」
そして乱暴に彼女の腕を掴んで、そこから引き剥がすように部屋の外に出る。
「え、でも…」
「いいから…!」
そうしてまだ部屋の方を気にする女房を無理矢理引き摺るように、和谷は歩き出す。
緊張に身体を強張らせながら、伊角はヒカルを抱きしめたまま、和谷が女房をこの部屋から引き離
してくれた事に感謝していた。

必死に何か言い募る女房の声と、きつい口調で彼女を咎める和谷の声が次第に遠ざかり、彼らの
声も物音も遠くやがては聞こえなくなって、伊角はやっと深く息を吐いた。
可哀想に、と思う。
前から彼のことが好きだったのだろうか。
それとも、自分と同じように「彼」の代わりを求められて、そのまま夢中になってしまったのだろうか。
どちらにしても、自分と同じように、彼もこの少年に溺れてしまっているのだろう。自分たちが抱き合っ
ているのを目にした時の、彼の目に浮かんだ暗い炎を思うと胸が痛む。ぎりりと奥歯を噛み締めて、
自分たちを殺しそうな勢いで睨みつけていた彼の、怒りがまだこの部屋に立ち込めているようだ。
あれは自分自身の姿であったかもしれないのだ。
それでも、先程の彼の振る舞いを思うと、やはり彼には任せられない、と思う。
今の彼には、かつてのような強さはないのだ。
僅かな風にも怯えるような、この頼りない存在を守れるのは自分しかいない、と思う。
あの友人が、どれ程彼を恋うていたところで、それと、彼を守りきれるかとは別だ。
あのように乱暴な言葉で、乱暴な振る舞いで、あれでは彼を更に怯えさせるだけだ。
昔の彼とは違うのだ。今の彼は、弱く、脆く傷付きやすく、だから彼がこれ以上傷つく事の無いように
風にも晒さぬように、誰かが抱え込んで守ってやらねばならぬのだ。


(15)
それとも。
ズッと胸の底で何かが蠢くのを感じる。
あのように乱暴に、強引に、彼を抱くのか。抱いたのか。
このか弱く儚い存在を、無力さをよいことに、踏み躙ったのか。
いや、きっとそうに違いない。
嫌だと拒む声を無視して、逃げる力もない彼を強引に捉えて、その身体を引き裂いたのか。
悲しみに付け込んで彼をいいように扱ったのか。
ありえない事ではない、と伊角は思う。
彼はいつもそうだ。
抑えるべき時と所でも、己を抑えるということをしない。
素直で正直とも言えるような彼の直情さは、ある意味、彼の美点でもあり、動くよりも先にまず考え
込んでしまう自分は、時としてそれを羨んだこともあった。だが彼との事を考えると、自分の想像も
あながち誤っていないのではないかと思う。
その証に、彼は先程も、こんなにも怯えている少年に掴みかからんばかりではなかったか。
許せない。
あのように乱暴に彼の身体を扱ったのか。歯向かう力さえ持たぬこのか弱い存在を、力任せに強引
に犯したのか。
目に浮かぶようだ。
友人の優しさを信じて無邪気に儚げに笑う少年に、その笑顔に邪まな情欲を燃やされて、欲望のまま
に少年の身体を押し倒す、かつては親しかった友人の姿が。

暗い妄想に、目の底がぎらりと光った事に、伊角は気付いていない。
湧き上がる熱を、彼は怒りと解釈した。
親しい友人だと思っていた人間が、か弱く儚げな少年を強引に犯している。
怒りを滾らせながら、彼はその妄想に浸った。


(16)
彼らは親しげに会話を交わしている。
けれど、ふと会話が途絶えると、少年は目の前の友人でなく、どこか遠くを見ている。
視線を引き戻すように肩を掴んでこちらを向かせる。
視線が絡み合う。
けれど少年は目の前の友人ではなく、彼を通り越して逝ってしまった想い人の姿を探す。
自分を見ない少年に怒りがこみ上げる。
けれど、手にした肩の細さに、虚ろな大きな瞳に、儚げなその姿に、怒りと共に別の感情がひたひたと
胸に寄せてくる。それは無理矢理にでもこの目を己に向かせようという強烈な情念だ。
虚ろに中空に視線を投げやっていた少年は、突如、目の前の友人の暗い欲望に気付き、そこから逃げ
ようと身体を浮かす。その腕を掴んで引きとめると、彼の身体が横倒しに床に倒れる。
そのまま逃げようとする身体を後ろから掴まえる。
「嫌だ、やめて!」
拒む言葉など耳にも留めず、身体を押さえつけ、衣を引き裂く。
あらわにされた白い背に、ぞくりと震えを感じる。
暴れる身体をものともせず身に纏っていたものを全て剥ぎ取り、仰向けに四肢を押さえつける。
「どうして……」
彼は、信じられない、と言った目でこちらを見ている。
怯えの混じった眼差しに、情欲を煽られる。
逃がしはしない。
騙されるものか。
何も知らぬ、稚い子供のような顔をして、無力な子供が助けを求めるようなふりをして、男を誘う。
そうやって幾人の男を己の闇に引き摺りこんできたのだ。


(17)
この目がいけない。
虚ろで、どこか寂しげで、庇護者を求めるような、それでいて、ひとの心の奥底に潜む暗い情欲を
呼び覚ますような眼差し。
そのような目で俺を見るな。俺を惑わすな。
「あっ、やだっ…!」
身体をうつ伏せに倒し、手近にあった紐で両の腕をまず後ろ手に縛り上げる。
それから引き裂いた衣の切れ端で彼の目を覆い、頭の後ろで縛る。
これでよい。
これで、あの眼差しが自分を惑わせる事はない。
満足げな笑みを浮かべて、捕らえた魔物の背を見下ろしながら、白い肌へ手を滑らす。
片手で胸元を弄りながらもう片方の手で幼い性を擦り上げてやると、彼は悲鳴のような泣き声を
漏らしながらも、その手に反応して未熟なそれはゆるゆると勃ち上がる。
その様子に、それ見たことか、と嘲りの笑みを浮かべながら、彼の後ろに己の欲望を押し付けて
やると、びくりと彼の身体が強張る。
「あっ…!」
両手で腰を押さえつけ強引に押し進むと、細い身体は受け入れる痛みに四肢を突っ張らせる。
奥歯を噛み締めて悲鳴を堪え、カタカタと小さく震えながら懸命に身体を支えている仔鹿のような
背をせせら笑いながら、乱暴に引き抜きかけ、次いで更に奥まで突き入れると、耐え切れずに高
い悲鳴が上がり、細い腕はもはや身体を支えることができずくず折れる。


(18)
容赦など要らぬ。
甘い顔を見せてやれば、これはまた何も知らぬげな顔をして、誰とも問わず彼を目にする男を
残らず誘惑するのだ。だからこれは正義だ。ヒトを闇に、暗い情欲に引きずり込む魔は調伏せ
ねばならぬ。
「イヤ…イヤだ……や、…あ、あぁ……っ!」
懇願する声など聞き入れず、むしろその声を楽しむように乱暴に抜き差しし、更に内部を抉る
ように動かすと、拒み続ける声は次第に愉悦を含んだものに変わり、その媚態が更に怒りを
増幅させる。前に手をやると萎えていた筈のものはまた勃ち上がり、蜜を溢している。
この淫魔め。
誰彼構わず男を咥えこみ、快楽の淵に引きずり込もうというのか。
だが俺は飲み込まれたりしない。
そのように淫らに喘いでみせても、俺は誘惑などされない。
繋がったまま強引に体勢を入れ替え仰向けに転がすと、痛みに少年が泣き叫ぶ。
萎えかけた陰茎をぎゅっと握りつぶしてやるとヒイィッと高い悲鳴が上がる。
それなのにゆっくりと抜き差しを開始すると、悲鳴はまた喘ぎ声に変わり、彼のものもまた勃ち
上がって淫らな涙を溢す。
「あ……あ、…あぁ、」
快楽に咽び泣く声が男の情欲を煽り、動きを加速させ、荒々しい動きの果てに、ついに少年の
最奥に怒りに満ちた欲望を吐き出し、同時に彼も震えながら白い精を腹の上に撒き散らす。
荒い息に胸を上下させ、半開きの赤い唇からは涎が零れている。白い身体はまだらに紅く染まり、
身体から、吐息から、男を惑わせるような甘い香りが強く薫る。麝香にも似たその香りに幻惑され
て、彼の内部で男のものがどくっと脈打ち、膨れ上がる。
身体の内部に感じる変化から身を捩って逃げようとする細い身体を逃すまいと掴まえる。
「お願い…もう、許して……」
啜り泣きながら許しを請う声は、更に嗜虐心をそそるものでしかなく、残忍な笑みが顔に浮かぶ。
手に落ちた獲物の顎を捉え、こちらを向かせる。白い布で視界を覆われた小さな顔が、怯えたよう
に頭を振る。流れ出る涙が目隠しの布を濡らしている。
顎を掴む手に更に力を込めると、彼の顔が痛みに歪み、彼は耐え切れずに小さく言葉をこぼす。
「ゆるして、伊角さん…」


(19)
はっと我に返って、伊角は頭を振った。
今、自分は何を考えていた?
耳元で心臓の音が激しく響く。背を冷たい汗が流れ落ちる。息が苦しい。
彼の声が、頭の奥でこだまする。
「許して…伊角さん……」
違う、なぜ、なぜ彼が自分に許しを請うのだ。
そんな事はない!そんな筈はない!!
違う。
あれは俺じゃない。彼をあのようにしたいなどと思った事などない。
彼を傷つけたいなどと、傷付いた彼を更に痛めつけたいなどと、思った事などない。
違う。
彼を憎んでなどいない。
愛しているんだ。守ってやりたいんだ。
俺は、彼を守りたいんだ。
彼がこれ以上傷つく事のないように、彼を脅かす全てから、守ってやりたいんだ。


(20)
目を落とすと、ヒカルが掛け布にくるまってすうすうと寝息を立てている。
震える手を伸ばしてそっと髪を梳くと、
「んん……」
と、小さな声を漏らして、布をきゅっと握り締めて横向きに丸くなった。頑是無い無垢な幼子の
ようなその仕草に、胸が痛む。
絶対に違う。あのような夢に、白昼夢に、何の意味もない。あれは俺の願望などではない。
俺はおまえを傷つけたりしない。絶対にそんな事はしない。
おまえは俺が守るから、守ってやるから、だから。
彼の顔を見つめているうちに、ぽたりとしずくが一粒、彼の頬に落ちた。
慌てて覗き込んでいた顔を離し、目元を拭う。
そして、ぶるりと肌寒さに身を震わせた。
夜闇が迫っている。秋の夜はそろそろ薄ら寒い。火桶に火をもらってこようと伊角が部屋を出よう
とした時、足が何かを蹴転がした。
「あ……」
それは和谷の持ってきた手籠だった。
布からこぼれたかけらを拾い上げて、薄闇の中で目元に近づけ、くん、と匂いをかぐ。
糖蜜の塊――いや、これは違う。
六角の格子のそのかけらを口に含むと、しゃり、と口の中でこぼれ、馥郁たる花の香りと蜜の味
が口内に広がった。
甘い。この珍しい糖菓子をどのような苦労をして手に入れ、そしてどのような弾む気持ちでここに
持ってきたのか。彼の気持ちが手にとるようにわかる気がした。
そして彼が何を目にして、そして去って行ったのか。
彼の心を思うと、まるで己の事のように胸が痛む。
けれど。
それでも譲れない事はある。
譲りはしない。


(21)
そっと元通りに籠に詰め直し、先程のように蹴倒される事のないように、部屋の隅に置かれた御台
の上に籠ごと置く。
明日になって彼が目覚めたら食べさせてやろう。きっと喜ぶだろう。「甘い」「美味しい」といって笑っ
てくれるだろう。
そして自分も今度は何か彼を喜ばせるようなものを持ってこよう。
あどけない寝顔に思わず頬が緩む。こんなに愛しいものがいただろうか。こんなに誰かを愛しいと
思った事があっただろうか。彼の顔を見つめ、そっと髪をなでていると、眠っているはずの彼の手が
伸びて自分の手を捕らえる。
どうした、と呼びかけようとすると、彼がぼんやりと目を開けてこちらを見た。
その視線が何かを探すように宙を彷徨う。虚ろな眼差しに胸がきりきりと痛むのを感じる。衝動の
ままに彼の身体を抱き寄せると、ああ、と、彼が胸の中で小さな息を漏らす。彼の目からこぼれる
涙が胸を濡らす。ぎゅっと細い身体を抱きしめてやると、震える身体は小さく誰かの名を呼ぶ。
目をきつくつぶり、奥歯を噛み締めながら、それでも彼を抱く腕に力を込めた。
いいんだ。それでもいい。たとえ今は他の男の名を呼んでいようとも。
そう、彼はもういないのだから。彼がこの少年を守ってやる事はもうできないのだから。
だから。
だから、と、伊角は自分に言い聞かせるように言う。
「何も、おまえは何も思い煩らう事はない。俺が守ってやる。
誰にも、おまえを傷つけさせたりしない。
おまえを守れるのは俺だ。俺だけだ。だから、」
だから、他の男になどその身体を預けるな。
他の男におまえを抱かせるな。
おまえは俺のものだ。俺だけのものだ。



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