日記 130 - 132
(130)
ヒカルは小さく息を吐いた。睫毛に涙の雫が溜まっていた。
「ふぅ…う…」
「…可愛いな…お前は…」
そう言って、緒方は少し身体を揺すった。自分にしがみつくヒカルの腕に力が入った。 肩口に顔を押しつけて喘ぐヒカルを見下ろした。瞼を閉じ、微かに開かれた口からは
ハアハアと不規則な呼吸音が紡がれている。不揃いな長い睫毛、上気した頬、紅い唇から
覗くピンク色の舌が扇情的だった。細い首筋に流れる汗が、少年に相応しくない色香を
さらに
艶冶に見せた。ヒカルを抱くのは二度目だが、以前はただ無邪気で幼いだけの印象しか
なかった。アキラに抱かれて引き出されたものなのか……。胸の奥が疼いた。刺すような
焼かれるような何とも言えない痛みだった。
「せんせぇ……」
ヒカルが苦しげに呻いた。無意識のうちに、ヒカルを乱暴に揺さぶっていたらしい。
「あっ、あぁ…」
緒方の肩に置いた手を突っ張らせ、ヒカルが身体を撓らせた。
緒方はヒカルの腕を引き寄せると、自分の項に引っかけた。そのまま片手で背中を抱いて、
身体を密着させた。空いた方の腕で、ヒカルの膝をすくい上げ、尻を持つ。緒方は膝の上に
乗せたヒカルを上下に揺らした。
「ひ…あ…!」
と、断続的な悲鳴を上げながらも、ヒカルのその中心は熱く昂ぶり始めてていた。
緒方はヒカルを持ち上げては落とす。それを繰り返した。その度ヒカルは小さく呻いた。
「あっ、あっ、はぁ…せんせい…オレ…もう…」
緒方の動きが早くなり、それにあわせるようにヒカルも腰を揺すった。
「はっ、はっ、あぁ……!」
「……!」
ヒカルの身体から力が抜け、緒方にもたれ掛かった。気を失ってしまったらしい。
緒方はヒカルをそっと膝の上から下ろした。顔を覗き込む。涙の跡が頬に幾筋もついていた。
その跡を指でたどりながら、溜息を吐いた。
ヒカルは意識を手放す寸前に、小さく叫んだ。その唇が綴った言葉は、自分の名前では
なかった。
(131)
目を覚ましたとき、緒方はいなかった。ヒカルは、糊のきいた寝間着を着せられ、
タオルケットにくるまれて眠っていた。以前泊まったときもこの寝間着だった。
「……緒方先生…」
小さな声で名前を呼んだ。返事は返ってこない。ヒカルは急に不安になって、大きな声で
何度も緒方を呼んだ。
「先生…!先生!」
涙混じりの叫ぶような呼びかけに、緒方が漸く応えてくれた。
「なんだ…起きたのか?」
ドアの向こうからひょいと顔を出した緒方に、ヒカルは飛びついた。いや、飛びつこうとしたのだが、
全身がだるくてベッドの上から一歩も動けなかった。
半べそをかいているヒカルに、「ちょっと待っていろ」と言い残して、緒方はドアの向こうに
消えてしまった。ほんの五分ほどで、緒方は戻ってきたのだが、彼が戻ってくるまでの
時間を恐ろしく長く感じた。
再び現れた緒方は、手にトレイを持っていった。湯気の立ちのぼるスープの入った皿が
のっていた。サイドボードにそれを置き、緒方はヒカルをタオルケットごと抱き寄せた。
ヒカルを抱え込むようにして、皿を持つ。スープを一匙掬って、ヒカルの前に差し出した。
「……いらない…」
ヒカルは首を振った。だって、食べたくない。何も欲しくないのだ。
「オレはお前の頼みを聞いてやっただろう?お前も一つくらいオレのお願いを聞いてくれても
いいんじゃないか?」
お願い?これが?ヒカルは緒方の顔をまじまじと見つめた。
「せっかく、お前のために作ったんだ。」
まじめな顔で緒方は言った。
(132)
確かに緒方には我が儘言って迷惑ばかりかけている。これで緒方の気が済むのなら…。
ヒカルは目の前に出されたスプーンにそっと口を付けた。
―――――温かい…
温かな液体が喉を通って、ヒカルの全身を暖めてくれるようだった。それを飲み干すと、
また一匙差し出された。
緒方はヒカルの口元に何度もスープを運んだ。ヒカルはそれを受け入れた。まるで、
お腹をすかせた雛鳥に、せっせと餌を運ぶ親鳥のようだ。
「美味かったか?」
お腹が満たされ、半分眠りかけているヒカルに緒方は訊いた。ヒカルは小さく頷いた。
「そうか…レトルトでも結構美味いもんだろ?」
「…!先生が作ったんじゃないの?」
飛び起きようとしたヒカルの肩を軽く押さえて、緒方は悪戯っぽく笑った。
「もう寝ろ。」
頭を軽くポンポンと叩かれた。灯りを消して、部屋を出ていく緒方の背中に
「…お休みなさい。ありがとう。」
と、ヒカルは言った。彼は振り返って、じっとヒカルを見たが、表情はわからなかった。
その夜は、よく眠れた。あの帳面は必要なかった。身体も心もほこほこと温かくて、
気持ちよかった。
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