平安幻想異聞録-異聞- 131 - 132
(131)
遠く囀る秋鳴きのホオジロの声に、ヒカルは目を覚ました。
目を覚ました時、ヒカルは自分が今、どこにいるのかわからなかった。
ホオジロの声に、キチキチとモズの高鳴きが混ざる。
そういえば、もうそろそろ、庭の木に毎年巣を掛けているモズの夫婦が山へと
帰っていってしまう頃だ。来年も来てくれるだろうか?
ぼんやりとそんなことを考える。
(あぁ、もう起きて剣の鍛練しないと、またじいちゃんの雷が落ちるよ)
なんだか頭が痛い。
起き上がろうとして、体の重さに気付いた。体を支えた腕の力が萎えて、
もう一度床に寝転がってしまう。
天井を見上げて、初めてそこが自分の家ではないことに気付いた。
近衛の家のそれより、遥かに高く見事につくられている天井。
(あれ?ここ何処だっけ?)
頭を整理するために腕を持ち上げて目にかかる前髪をかき上げようとして、
視界に入ったその腕に点々と残る、赤い花びらのような吸われた痕。
座間達の支配の痕を目の当たりにして、急激に、今自分がどこにいるか、
昨夜何があったのか思い出した。
そして、自分が座間達を前に、欲望に取りつかれるまま、何を口走り、どんな
痴態を演じたかも、全部。
昨夜の熱が、まだ体の奥底に残って、じんじんと不満を訴えている。
それだけで、自分が盛られた薬がどれだけ強烈な効き目のものだったか判る。
今だって、自分は誰かにこの肌に触れられたら、喜んで身を投げ出してしまいそうだ。
やられた、と思った。
「畜生……!」
ヒカルが、気を取り直し、なんとかもう一度起き上がろうと、体を返した時、
御簾が上がって、いつもの侍女が入ってきた。それと同時にふわりと部屋の中に漂う
さわやかな菊の香り。
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侍女の肩越しに庭を見ると、庭一杯に菊の花が並べられ、それぞれの花に
かぶせてあった朝露を含んだ綿帽子を、女房達が次々と取っていっている。
この日の朝に、菊の花びらに降りた露を飲むと、不老長寿を得るという言い習わしがあるからだ。
そう、今日は九月九日。菊の節句――内裏では帝を迎えて菊の花を愛でる『重陽の節会』が
行われるのだ。
ヒカル付きの侍女が、まだ起き上がることのできないヒカルに近づいて、手にしていた
着物を差し出した。
それは、普段ヒカルが身に付けている狩衣ではなく、縹色した検非違使志の位袍。
「お着替えを」
ヒカルは、思わず侍女の顔を見返した。
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