平安幻想異聞録-異聞- 137 - 138


(137)
元服を終えたとはいえ、まだどこかあどけない少年武官の一人舞いに、
最初は面白がり、はやしたてていた貴族達だったが、その騒ぎは徐々におさまり、
いつの間にか会場は水を打ったように静まり返ってしまった。
公卿のひとりが、ゴクリとつばを飲み込む音が聞こえるほどに。
この検非違使の少年がかもしだす、例えようもない艶はいったいなんなのか。
縹色――薄藍に一滴、緑を足らした色の位袍の、袖崎に覗く幼い指先。揺れる
金茶の前髪近く、左耳の上辺りに刺された黄色い小菊がよく似合っている。
「婀娜」という言葉がある。
今のヒカルの様がまさにそれだった。
ヒカルがともすれば力が抜けそうになる手足をささえる、その動きの緊張感が、
不思議な色気を生み出していた。
痛む腰と重い体を、崩れないように慎重に立たせるその様子が、かえって
匂い立つような色香を感じさせる。
疲れに半分閉じられたまぶたは、いっそ、けだるげで、見るものを迷わせる力があった。

「あの、馬鹿…」
加賀は、会場の隅に弓を携えて立ちながら、おもわず舌打ちしていた。
近衛ヒカルは、今の自分が、端からどう見えているかなんて、まったく気付いて
いないに違いない。
2日ほど前に内裏で会ったとき、ほんの一時だけ、ヒカルが感じさせた、
あの奇妙な色気を思い出していた。
それが、今日は無意識に全開だ。
座間に何をされているのか、前よりやせて細くなった首が扇情的だ。わずかに
臥せられた瞳は物憂げで、その舞いが醸し出す雰囲気は、なまめかしくさえあった。
これでは、座間でなくても惑わされる。
「何がどうなっても、知らねぇぞ、おい」


(138)
楽が奏し終わって、ヒカルが中央より下がる。
空気が止まってしまったようになっていた会場に、活気が戻る。
元いた座間の後ろの場所まで戻るには、参列する貴族達の前を
横切らなければならなかった。
幾人かの公達は、何か気まずそうに、歩くヒカルから目をそらした。
(ちぇっ、悪かったな下手くそで!)
自分で望んで舞ったわけではないが、せっかくの宴を白けさせてしまったの
ではないだろうか?
自分でわかってるだけでも5箇所は間違えてる。気付かないで振りを違えてる
所なんてきっと数えきれないだろう。
菅原の前も通った。その菅原にとなりの公卿が何か耳打ちしている。
(勝手に物笑いの種にしてろよ!)
他にも、幾曲か、有志によって舞いが舞われ、宴も終わりに近づき、帝が、
上手い歌を作った者、見事な菊を持ってきた者に、褒美として禄を与えはじめる。
その録となる錦の布を肩にかけ、誇らしげに立つ若い公達を見ながら、ヒカルは
そっと座間の後ろから退出した。
検非違使は現代で言う警官、裁判官の役を担う。その、建前でも絶対公平の
立場にある検非違使が、誰かの元について公の儀式に参加するなど、ほんの
少しの例外をのぞいては禁じられている(これは検非違使庁に入ったばかりの頃は、
耳にタコができるほど聞かされた)。また、その少しの例外においても、必ず
給録の前には席を外さなくてはならないというのは、儀式書にきっちりと
明文化されたされた決まりごとだ。いくら座間でも、それを帝の前で堂々と
破ることはすまい。
そっと席を外すヒカルに座間は気付いたようだったが、呼び止めはしなかった。



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