トーヤアキラの一日 14 - 15
(14)
その日も、いつもの様に、ヒカルのその週の対局を巡って言い争いになった。それに対して
アキラ贔屓のお年寄りが口を挟んだ事がきっかけとなって、ヒカルは出て行ってしまった。
ヒカルの、北斗杯代表選手になるまでは来ない、と言う言葉以上にアキラに衝撃を与えたのは
『神の一手はオレが極めるんだ』と言うヒカルの一言だった。
小さい頃から「神の一手」を極めるために努力を惜しまず精進してきたアキラである。
棋士なら誰でもが抱く願いである事は承知していたつもりだが、ヒカルからその言葉を
聞いた時に、全身に鳥肌が立つのを感じた。何処かで、「自分を追ってくる存在」としてしか
その頃のヒカルを見ていなかったのかも知れない。そのヒカルが、自分を通り越して、
すでに「神の一手」を目指している事に、少なからずショックを受けたのだ。
自分にとってヒカルの存在は一体何なのだろうか?ヒカルにとって自分の存在は何か意味が
あるのだろうか?前に進むヒカルの目の中に自分は存在しているのだろうか?4月になったら、
また今までの様に自分の所に碁を打ちに来てくれるだろうか?
この日以降、アキラは暇があるとヒカルの事を考えている自分に気付いた。考えても仕方が
無いのに考えてしまう。出会った頃の事、中学囲碁大会で見た美しい一局の事、インターネット
カフェまで探しに行った時の事、ヒカルが『碁をやめない』と言いに来た時の事・・・・・。
ヒカルの顔を思い浮かべると、今までに感じた事の無い胸の高鳴りを抑える事が出来ない。
そして、「進藤に会いたい」・・・・と、激しく思っている自分に驚く。このもやもやした感情は
一体何だろうか?切なくて苦しくて自分の心をコントロールする事が出来ない。これは一体?
そして、ある瞬間に、それが「恋愛感情」である事にアキラは気付いた。
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───そうか、ボクは進藤の事が好きなんだ・・・・・
そう納得すると、今までのもどかしさは不思議に消え、重かった気持ちは軽くなった。
その代わりに、以前のように碁会所で会う事が出来ない寂しさがアキラを襲ってきた。
2人で碁を打つ事も、話をする事も出来ない寂しさは、これもまた今までアキラが感じた
事の無い感情で、心にポッカリと穴が開いたような虚しさと、飢餓感がないまぜになって、
ヒカルの顔を思い出しては溜息をつく毎日だった。
棋院で顔を合わせる事はあるかもしれないが、ヒカルは院生時代の仲間か、森下門下の
棋士と一緒に居ることが多いので、ゆっくり話が出来るわけではない。このまま待って
いたら4月になるまでまともに話をすることが出来ない。
アキラは、ヒカルが碁会所から怒って出て行ってしまったままになっている事も気になって
いた。北斗杯予選に出ない自分に対して悪感情を持っているかも知れない。自分が頼んで
予選を免除してもらったわけではないし、予選に出てヒカルと共に選手になれる自信は
もちろんある。むしろそうして欲しかったが、アキラの活躍と注目度はあまりに高く、
それを許さない雰囲気が囲碁界にはあるのも事実だった。
ヒカルを想って悶々とする日々であったが、気分転換も兼ねて、中国語と韓国語を習う事
にした。勉強は元々好きであったし、北斗杯のためだけではなく、先々絶対に必要になると
思ったからである。
年が明けて、久し振りに碁会所に行くと、いつものようにアキラ贔屓のお年寄りが居て、
色々話しかけてくる。笑顔で応対しながらも、ヒカルの事が話題になると、心穏やかでは
いられなかった。
───進藤に会いたい。会って自分の気持ちをもう一度確かめたい。
対局スケジュールを見ると、高段者が集まる木曜日の手合いにヒカルが出てくることが
分かった。とにかく一度ヒカルと話がしたかった。
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