黎明 14 - 18
(14)
ヒカルの言葉を受けて、アキラの双眸が黒く燃え上がる。一瞬、その炎にヒカルはたじろいだ。
燃えるような目でヒカルを真っ直ぐに見据えたまま、アキラはヒカルに乱された着衣を乱暴に脱
ぎ捨てた。半身を起こし両手を後ろについて、怯えるようにそのまま後ずさろうとしたヒカルの肩
を捕らえ、ヒカルの身体を覆う布を剥ぎ取っていく。
そうして互いに一糸纏わぬ姿になって、アキラはヒカルの身体を抱きしめた。
アキラの身体は熱かった。体温以上に、熱く滾る激情が、火傷しそうに熱くヒカルの身体を包み
込んだ。そして次第に、彼の身体の中心で激しくその存在を主張する熱い陽物が力強くヒカル
の下腹部を刺激し始めるのを、ヒカルは感じた。
ヒカルはそれが欲しかった。欲しくて欲しくて、堪らなかった。その熱い楔を自分の中に打ち込ん
で欲しかった。外からだけでなく、内からも、自分を暖めて欲しかった。冷え切ってしまった身体
を内部から熱い熱で燃え立たせて欲しかった。
「…なあ、おまえ、」
「アキラだ。」
悲痛な響きを抑えきれずにもう一度、アキラが自分の名を告げる。
「アキラ、」
強い力で抱きしめられたまま、かすれるような声でヒカルがその名を呼んだ。
「おまえが、欲しい…」
動けるものならば、自分から彼の熱い塊を導いて内部に納めたかった。それが駄目ならせめて
その熱い塊を握り締めて、その熱を感じたかった。けれどヒカルの身体を拘束するように強く抱き
しめるアキラの腕の力がそれを許さず、ヒカルは求めているものがそこに確かにあるのを感じな
がらも、決してそれを得ることは許されなかった。だから、懇願するようにアキラに訴えた。
「おまえが、欲しいんだ。おまえの熱いそれを俺の中にくれよ…!」
(15)
「駄目だ。」
けれどヒカルの耳に届いたのは、その熱い身体から発せられたのだとは信じられないほどの
冷ややかな声だった。
それでもあきらめきれずに、ヒカルは僅かに自由の残された下肢でアキラの熱を刺激するよ
うに動かすと、それは頭上から発せられた冷たい声を裏切るように熱く震え、その質量を増し、
熱い涙を零した。
なぜだ。俺はおまえが欲しくて堪らないのに、おまえだって、そんなに熱くなっているくせに、
どうして俺を拒むんだ。どうして俺の求めるその熱を、俺にくれようとしないんだ。俺が一番に
欲しいのはそれなのに。おまえのそれだって、俺を欲しがって泣いてるじゃないか。熱く力強く、
俺を求めているじゃないか。それなのに、それなのにどうして。
望むものがすぐそこにあるのに、それが与えられないのが、それを奪い取ることも出来ないの
が悔しくて、背に回した手で、彼の背中に爪を立てた。その痛みに、アキラが小さな声を漏らし
た。その声は、先ほどの拒否の声とは別物のように熱く、ヒカルの耳に届いた。その熱がもっと
もっと欲しくて、ヒカルは更に爪を立てた。悔しさともどかしさのあまりヒカルの目からこぼれ落
ちた熱い涙がアキラの裸の胸を濡らした。それに応えるように、アキラの腕に力がこめられた。
更にアキラの下肢はヒカルの動きを封じ込めるように、ヒカルの下半身をも押さえ込み、抱きし
める腕の強さはますます力強く、ヒカルは息をすることさえ、困難なほどだった。
出口を封ぜられた熱が二人の身体を煽り、ぴったりと強く抱き合っている身体は、全身が熱く
燃えていた。アキラから発せられる熱い火は触れ合っている部分からじわじわとヒカルを侵食
し、その火が自分の皮膚に、身体に、頭の芯にまで熱く燃え移った事を、ヒカルは感じていた。
ヒカルはいつしか寒さを忘れていた。忘れていたことにさえ、気付かなかった。
(16)
やがて眠りについた彼に衣を着せ掛け、彼の身体を覆うように掛け物をかけ、アキラはそっと
室内を出た。それから火をおこした火鉢を持って戻り、部屋の隅に置いてから、眠っているヒカ
ルの顔を覗き込んだ。
手を伸ばして涙の跡の残る頬に触れようとしたが、突然、弾かれたように手を引き、身体の内か
らわきあがる熱を振り払うように、アキラは夜の闇に彷徨い出た。
どうしたら彼を救えるのだろう。いや、どうする事が彼を救う事になるのだろう。
いや、自分が彼を救おうと考える事自体が、傲慢な事なのではないか。
振り返りながら、アキラはこの先の道の困難さを思った。
あのように熱く激しく求められて、これからも拒み通す自信など無かった。拒むどころか、自分
の身体は、彼以上に熱く激しく、彼を求めていた。その事を彼も知っていたから、その欺瞞に気
付いて、彼は自分を責めた。
欺瞞だ。
彼のためだなんて。
それでも彼を抱くことをしないのは、なぜなのだろう。
身体だけでなく、自分という人間を、欲して欲しいから?
熱を求めるのでなく、自分自身を求めて欲しいから?
そんな自分の強欲さに、自分が抱えている、ヒカルの抱える闇に劣らぬ程の暗い闇に、アキラ
は絶望的な気分になった。
こんな闇を抱えている自分が、彼を救おうなんて、とんでもない思い上がりなのかもしれない。
(17)
ならばいっそ、救おうなどという大それた望みなど放棄して、共に闇に堕ちてしまうのもいいか
も知れない。そんな甘い誘惑に一瞬、飲み込まれそうになりながら、けれども、思いとどまる。
堕ちたところで、彼の闇と自分の闇とは異なるのだ。
同じ闇に堕ちられるのなら、厭うものなど何もない。いっそ、それこそが望ましい。けれど彼の
闇の中にいるのは自分ではなく逝ってしまったあの人で、闇の中にあってさえ、彼は変わらず
同じ人を見つめ続けている。
それが、それこそが耐え難いから、自分は彼を闇から引きずり出そうとしているのだろうか。
結局、彼を救うなどと言う事は大義名分や言い訳に過ぎないのかもしれない。
ただ、闇の中に失った人だけを見つめる彼に耐えられないから。
だからこうやって無理矢理に彼を闇から引き摺り出そうとしているのかもしれない。
彼のためではなく、単に自分のために。
彼に生きていて欲しいと思うのは、元のような、その名の通りの明るい日の光のような彼に戻っ
て欲しいと思うのは、何よりもそういった彼を愛する自分のためで。
(18)
天を見上げ、降るような星々を仰ぎ見る。夕刻には低い空に細く光っていた月は既に沈み、そこ
には見えない。
天を見上げながら、宮中にその才を名高く知られたこの歳若い陰陽師は、天に見える幾千万の
光を、その現象と理(ことわり)とを思った。天にある日も月も星も、みな整然として乱れなく、定め
られた刻に定められた通りに昇り、また、沈んでいく。それらを計り、数え、天の動きから地の動
きを図ることも、彼の才の一つであった。
人々の目には異常とも見える月の赤さも、妖しく強く光りはじめた星も、長く尾を引くほうき星も、
日中に太陽が削られゆき昼日中に都が闇に包まれる事でさえ、全ては天の理の内で、不思議
な事など何一つなく、そうあるべき理由の元に正しい結果としてそう見えるのだということを、彼は
知っていた。ただ、何も知らぬ人にはその過程は見えないから、突然あらわれる現象にある時は
怖れ惑い、ある時は吉兆を見るだけなのだ。
天地(あめつち)の理はゆるぎなく秩序立てられ、その幾何学模様は整然と美しく、流れゆく万象
は彼の目には手に取るように明瞭で、それを見る彼を魅了した。
けれどそれでは、美しく優しかったあの人が自ら命を絶たねばならなかった事も、天の理なのか。
あらかじめ定められた秩序の内なのか。
そんな事はない、と、否定したい気持ちとは裏腹に、それもが正しく秩序であることを認めざるを
得ない自分がいる。それすらも定められた条理の内で、正当な因果として、なるべくしてそうなっ
たのだと言う事は、才長けた陰陽師である彼には否定できない事であった。
世界を司る真理は唯一絶対の真理で、ただそれを見るひとが、ただ一つの真理のうちにそれぞ
れ異なる真実を見るに過ぎないのだ。
それらを深く知った上で、陰陽師は自らの無力を嘆く。陰陽道などと言うものは、所詮、ひとの生
き死ににも、苦しみにも、悲しみにも、何の力にもならぬのだと。
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