パッチワーク 14 - 19
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2013年 アキラ(25)
軽い鬱状態から拒食症になってしまい栄養失調で入院して一ヶ月後やっと退院できた。入院している間に
国会では国際人権条約との関係で同性同士の法律上の婚姻を認める法律が成立したが、社会通念上はまだまだ
壁がある。両親には風邪をこじらせたため大事をとって入院したと言ってある。カウンセリングに週に一度
通院するのが退院の条件だった。医者の診断は「遅れてきた反抗期に父親と言い争い。直後に父親が心臓の
発作を起こしたことに罪悪感を感じ、成長を拒否しようとした。」ということらしい。僕としては
納得しがたいが退院をしたくて同意した。手合いにも先週復帰した。入院して以降会っていないヒカルの
ことが気になったがヒカルは手合いがなく来ていなかった。自分のマンションに戻るつもりだったが母に
反対され両親がいる箱根のケアマンションから東京に通うことにした。母が安心すればすぐに東京に
もどるつもりだ。父が僕とヒカルのことをどう考えているかわからないが表面上は穏やかな状態だ。
東京の僕の育った家はいま人に住んでもらっている。父の海外での対局に母が同行することが多くなり僕は
家に残っていたが家の世話が仕切れなくなったのだ。古い日本家屋は毎日手を掛けてやらなくてはならない。
手を掛けられなければ加速度的に痛んでしまう。母が家にいるときには母の毎日の手入れ以外に週に3日
業者に来てもらっていたけれど家の者が誰もいないときに他人に家に入られるのを僕が嫌がったのだ。父も
母も子どもの時から家や家族の世話をしてくれる人が家族以外にいるという生活になれていたので
そういったことに抵抗がないらしい。両親は留守がちになること、医師が常駐していることを考慮して
母方の祖母が晩年を過ごしたこの箱根のケアマンションを日本での住まいにした。僕は母が都内に持っている
賃貸マンションのうち新宿御苑脇のマンションの一室を選んだ。母は結婚するまで台所を使ったことが
無くてあのタイル張りの流しがある旧式の台所があたりまえだとおもっていた。僕もそうだ。母は箱根に、
僕も新宿御苑のマンションに住んでみて文明の利器に感動した。
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昨晩も両親は遅くまで話し合っていたようだった。
いや、正確に言うと母が父へ一方的に言い募っていた。
このマンションは世帯毎の防音はきちんとしているがそれぞれの部屋は具合が悪くなったとき家族が
すぐ気づくようにとパーティーションは天井までの高さがないので音は素通りだ。
朝食の時母が父に
「今日、森下先生がいらっしゃいますから」というと
父が驚いたように母の方を見る。
「私が来ていただくようお願いしました。」
「何故」
「私が何を言っても聞いていただけませんでしょう。ですからあなたがお話を聞いて下さる方に
お願いしました。」
森下先生はヒカルの師匠で、いや研究会に行くようになったのは院生になった後だから弟子とは
少し違うのかもしれない。研究会があるのは手合いと同じ木曜だから二人で検討したくてもできなくて
いつも夜ヒカルが僕の部屋に来た後になってしまう。そして父の同期でもある。この狭い世界で父のことを
呼び捨てにしているのは森下先生だけだ。弟子たちにも「打倒!塔矢門下」といつも気合いの入れるそうだ。
前に棋院で身分証明書の写真を撮ってもらったとき順番待ちで僕の前が既に引退されていらしたがやはり父の
同期の方だった。手合いのと同じ日だったので結構混んでいて順番を待つ間に父の若い頃のことを
いろいろ教えて下さった。親鳥の後ろについて行く雛鳥のように父がいつも森下先生の後ろについて
行っていたこと、森下先生も父のことをよく面倒を見ていたこと。「森下君が結婚したあたり
くらいからかな、塔矢君が一人でいるようになったのは」そこで順番が回ってきてしまって後の
お話は伺えなかった。
父は朝食の後、自室に籠もってしまった。
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昼前、受付より森下先生がいらしたと連絡が入った。
母に頼まれ受付まで先生をお迎えに行った。
久しぶりにお目にかかってひどくおやせになっていて驚いた。
三星火災杯の準決勝の前の晩「森下先生、胃ガン摘出手術成功」の連絡が入りヒカルが安心していたのを
思い出した。対局の後で森下先生の手術が話題になり手術のことを知らなかった父がヒカルの部屋に話を
聞きに来た。そして部屋の状態から父は僕らのことに気が付いた。その場では何も言わなかったが僕が
自分の部屋に戻ると父から部屋に来るようにとのメッセージがあった。このとき母は用事があり日本に
残っていたのは幸いだった。父は奥歯に物が挟まったような言い方で僕とヒカルのことを聞いてきた。
普段このような話し方をすることがない父だけに僕は後ろめたさを隠すために口調が荒くなってしまい、
父の話の途中で部屋を出てしまった。翌日の決勝、僕は父に完敗した。そして父は発作を起こした。
それからのことは切れ切れにしか憶えていない。気が付いたときは病院で芦原さん夫妻が病室にいてくれた。
市河さん(芦原夫人)が言うにはヒカルが僕の部屋を訪ねたら僕が倒れていて救急車を呼んでくれたらしい。
それ以来ヒカルに会っていない。そして、僕が何より驚いたのは帰国してから入院するまでの4ヶ月の間も
手合いには休まず行っていたらしいがその記憶が残っていない、勿論棋譜もだ。昨日、その棋譜を
取り寄せてみたがあまりのひどさに赤面した。どれも、辛勝と言わずにはいられないような内容だった。
だから、ヒカルは僕をもうライバルだとは思わなくなったのだろうか。僕が彼に興味を持ったきっかけは
彼の碁であり謎めいた強さだった。でも惹かれたのは彼の明るさであり、無邪気さだった。だから彼と
碁のどちらかを選べと言われたら僕は彼を選んでしまうだろう。だが、彼にとって僕はまず碁のライバルで
あって、だから僕を好きなんだという。だから僕は彼に選ばれ続けるために碁を続けなくては行けない、
彼にライバルだと思われ続けなくてはならない。
森下先生にヒカルの様子を訊きたい。
でも、森下先生はひどく緊張された様子で話しかけられなかった。
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部屋に戻り玄関のドアを開けると母が待っていた。
母は何かを言おうとしたが森下先生の様子を見るとショックを受けたのがわかった。
「明ちゃん、ひさしぶりだね。」
「行洋は部屋におりますのでご案内します。」
母の言葉が震えている。
僕は台所へ行き、お茶を入れると父の部屋へ運んだ。途中居間で母とすれ違った。
居間へ戻ると母が自分と僕のお茶を入れてくれていた。
ぼくは疲れを感じ少し横になることにし、お茶を持ち自室へ下がった。
母は窓から見える箱根の緑をぼんやりと見ていた。
隣の父の部屋からは二人の会話が漏れてくる。
「行洋、また中国に戻るのか。」
「明子に何を頼まれたんですか。」
ゾッとするほど冷たい声であった。
「また倒れたらどうするんだ。」
「もし、私が死んだとしても。あなたの望み通りでしょう。」
「私は最後まで碁を打っていたい。何を心配しているんですか。」
こんな父の声を聞くのは初めてだ。感情を殺したようなこんな声を。
「行洋」
「あのとき、私は碁ではなくあなたを選びたかった。」
「でも、あなたは私に選ばせてもくれなかった。」
「俺は」
「あなたが私より私の碁を選んだんですよ。」
「なのに、今度は私の碁より私を心配するんですか。」
父の声はまるで泣いているようにも聞こえた。
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「最後に二人だけであったときあなたは私の碁が好きだと言ってくれた。」
「あなたとつながっているのは碁だけだから、私は碁が捨てられなかった。」
「いつも私は待っていた。でもあなたはリーグに上がる一戦になると凡ミスを重ね負けてしまう。
まるで、リーグ入りを、私を拒むように。」
「私はリーグであなたを待つのをやめた。あの時あなたが私に会いに来てくれてうれしかった。
でも、あなたが来たのは私が碁を捨てていないのを確認するためだった。」
「二人でいるところを鈴木さんに見られた後、あなたは私に心配するなと言いながら会ってはくれず、
でも頻繁に鈴木さんにあっていた。わたしは鈴木さんにあなたを取られると思っていた。そして
あなたは佐藤さんの妹と結婚して、私を捨てた。」
「鈴木さんが心配していたのは佐藤さんのことだ。自分の奥さんの弟だから。」
「佐藤さんがおまえに執着して当時の俺の隣の部屋を借りておまえが俺の部屋に来ると部屋の様子を
録音するように興信所に頼んでいた、おまえの尾行も。」
「テープや写真を棋院に送って、俺とおまえを除名させて。」
「そして、おまえに近づいて心中しようとしていた。自分以外の者がおまえのそばにいるのが許せない。
そういって」
「鈴木さんがそれを知って説得してくれた。だが、佐藤さんは条件を出してきた。」
「俺がおまえから離れること。それを確実にするために自分の妹と結婚すること。」
「妻は何も知らない。」
父が声を上げて泣いている。
それを慰めている森下先生の声。
「いいか、俺に会いたかったらいつでも呼び出せばいいんだ。」
いつの間にか寝てしまったらしい、森下先生の帰られる気配で目が覚めた。
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森下先生がお帰りになるとき母が変なことを言い出した。
「森下のおにいちゃま、明子はちゃんと約束を守ったでしょ。」
「だからまた強羅公園に連れていってね。」
「ああそうだね、今度は鮭と塩昆布のおにぎりを持っていこうね」
父が合点がいかないような表情をしている。
森下先生が帰られたあと父が母に尋ねた。
「さっきのは一体」
「昔、昔の初恋の人との約束ですのよ。あら、ご存じなかったんですか。」
「姉が亡くなって私が寂しがっているからって森下先生が強羅公園連れていって下さったことがあるのを
憶えてらっしゃいます?私がまだ小学生で、あの時は森下先生がお弁当を用意して下さったけれど梅干しの
おにぎりだけで、私が鮭と塩昆布がいいってわがまま言って。あのとき、私一人で冒険に出かけて、園内を
一巡りして戻ってきたらあなたと森下先生が木の陰で抱き合ってキスしているのが見えましたわ。」
「そのあとでしたわね。あなたから森下先生がご結婚なさるからもう会えないと伺ったのは。森下先生は
私の初恋の人ですから、もう会えないなんていやですもの私は森下先生のお部屋に伺ったんです」
「そうしたら、森下先生に頼まれたんです。自分はあなたのそばにいることができなくなったから
あなたを守って欲しい。どうしてもだめなときは自分を呼んで欲しいって。私の出した交換条件が
もう一度強羅公園へ連れていって欲しい でしたのよ。」
「先生がまだ憶えてくださっているとは思いませんでしたわ。」
「いえ、森下先生にはあなたとのことは何であってもとても大事なことだったから
憶えていらしたんでしょうね。」
そして母は父にお茶を入れた。
父と母が昨日までとは違ってとても穏やかであることに僕は驚いていた。
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