日記 148 - 150
(148)
ヒカルの髪を弄りながら、アキラは緒方に訊ねた。
「ねえ、緒方さん…進藤はどうしてボクを避けるんですか?」
「緒方さんは、知っているんでしょう?」
背後で、陶器のぶつかる硬質な音がする。首だけで振り返ると、緒方がアキラのために
紅茶を入れてくれたところだった。
「これ、入れるか?」
緒方がブランデーの瓶を振って見せた。アキラは笑って、受け取った。
「入れすぎるなよ。前に進藤が酔っぱらってしまって…」
そこまで言って、言葉を切った。複雑な表情をしている。言いにくいことなのだろうか?
「どうなったんですか?」
アキラは先を促した。
「………キスをされた…」
「酔うと気前がよくなるんだな…」
酒には弱そうだ、しっかり見張っておいた方がいいぞ、と冗談半分に、そのくせ顔つきだけは
真面目に緒方は言った。
嫉妬するより先に、吹き出してしまった。ヒカルを起こさないようにと、声を殺して笑う。
ますます苦しい。涙を拭きながら緒方を見た。面白い情報をありがとう。でも…。
「緒方さん…」
知りたいのはそんなことじゃない。緒方は黙って紅茶を口に運ぶ。
「緒方さん!」
焦れて彼を睨み付けた。視線がぶつかる。色素の薄い瞳が硝子を連想させた。
「―――――――言えない。」
静かに、だが、キッパリと緒方は言った。
(149)
どうして?今、自分はこんなに苦しい。それなのに――――――
「お願いです……でないと…」
眠っているヒカルをチラリと流し見た。そっと手を伸ばして、ヒカルの手を軽く握る。
また逃げたりしないように、ちゃんと捕まえておかないと……。すると、アキラに応えるように
ヒカルも握り返してきた。自分にはヒカルが必要だ。ヒカルだって……。
「お願いします!ボクは…進藤が…」
「意地悪をしているわけじゃない…オレの口からは、本当に言えないんだ…」
緒方は痛ましげにアキラを見、そのままその後ろで眠っているヒカルに視線を移した。
「……緒方さん!」
「オレがキミに話したと知ったら、進藤が余計に傷つく…これ以上、進藤を傷つけたくない…」
アキラは唇を噛み締めた。
―――――緒方さんには、わからない…
ヒカルが緒方を頼りにしているという事実。
そのことに自分がどれほど嫉妬しているか…どれだけ自分が羨望しているか……
『ボクがもっと大人だったら…そうしたら…』
無理やり気持ちを押さえ付けて「わかりました」と、漸く一言だけ言った。アキラの
気持ちを察したのか、緒方は、苦笑混じりに告げた。
「進藤のオレへの態度は…まあ…アレだ…親のあとをヨチヨチついてまわるひよこみたいなもんだ…」
嫉妬をするようなものではない―――――そう言った。
(150)
アキラは、再びヒカルの脇に跪いた。片手はまだ、ヒカルの手を握ったままだ。
眠っているヒカルはとても幸せそうに見えた。汗で、髪が額に張り付いている。
髪を軽く払ったとき、ヒカルがうっすらと目を開けた。
「とうや……」
ふんわりと笑って、手を伸ばす。ヒカルの指先が頬に触れた。感触を確かめるように、
何度も撫でる。
その指の動きがぴたりと止まった。夢の続きを彷徨っていたような瞳が、徐々に光を取り戻し始めた。
「や……なんで…」
ヒカルの身体が小刻みに震える。
アキラは、握っている手に力を込めた。
「進藤…」
「いや、見るな…」
手を引こうとするヒカルを自分の方へ引き寄せる。
その途端にヒカルはけたたましい悲鳴を上げた。
「進藤!」
強く握れば、握るほどヒカルは身を捩って暴れた。
「………進藤…」
仕方なく手を離す。ヒカルは素早く手を胸の中に抱え込んだ。ソファの上で、小さく身体を
縮めて震えている。
「……見ないで…お願い…」
聞き取れないほど小さな声で、背中越しに哀願した。
こんなヒカルを見るのは辛い。でも、自分には見ているだけしか出来ないのだ。ヒカルは
自分の手を必要としていない。もっと大きな手が欲しい。
「…わかったよ…今日は帰るから…」
アキラは立ち上がって、緒方に向き直った。
「お邪魔しました。失礼します。」
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