敗着─交錯─ 15 - 16


(15)
「ハア…」
建物を見上げ、ため息をついた。
(今日もいないな…)
自分が部屋を借りているビルのその部屋の窓は、今日も明かりが点いていなかった。
しばらくその場にたたずんでから、とぼとぼと来た道を引き返す。
最初の頃はわざわざ部屋まで行き、鍵を開けて中を確認していた。
それも空しくなったので止め、こうして窓の明かりを見に来ることが日課となっている。
(二人きりで話しをしたい…)
足取りは重かった。

地下鉄の入口を降りて、ホームに滑り込んできた電車に乗る。
「扉閉まりまーす、ご注意ください」
(イタッ…)
夕方のラッシュが続いていた。
満員電車にアキラはまだ慣れてはいなかった。人込みの中で自分の鞄の角が足に当たる。
以前は碁会所から自宅までは、緒方が車で頻繁に送ってくれていた。
自宅に帰る前に彼のマンションに寄って行くことも度々あった。
だけどそれももう無くなった。
緒方とは、同じ空間にいるだけでその存在すらが鬱陶しかった。

その緒方だが――。
少し気になることがあった。
最近の緒方は以前の彼とは違っている。
彼はどちらかというと夜遊び好きで、特に手合いに差し障りがなければ夜は繁華街で飲んでいた。もしくは――。
彼のマンションに通っていた頃、偶然緒方が機嫌の悪い時に居合せ、成り行きで愛車の首都高カーチェイスに同乗する羽目になった。これでもかという程吐いた。
その緒方が、以前にはあった毒気が抜けてきているように見える。
一時は緒方と関係していた自分だ。彼に夜遊びをしている気配が感じられなかった。
(――まっすぐマンションに帰っている?)
アキラはそこに引っ掛っていた。


(16)
冷蔵庫を開けて中身を眺め、しばし考えこんだ。
食料が荒されているのには慣れたが、今日は高い方のチーズが消えていた。
(中学生が好む味とも思えないが…)
酒を保管しているサイドボードの所へ歩いて行き、ガラス戸をチェックする。
光の当たる角度を変えて見て、ベタベタと指紋が付いていないかを確認した。
(ここが荒されるのも時間の問題だな…)
その中のしばらく開けていない瓶に目がとまった。
――飲みすぎは体に毒です
抑揚のない声が不意に蘇った。
照明を抑えた室内。日に焼けていない白い素肌が暗闇に浮かび上がっている。
自身の前のグラスにも並々とブランデーを満たし、浮かべた氷を気だるそうに指でクルクルと回しながら微笑む。
――少し控えて、自愛なさってください。
そう言ってクイと一口含むと、口の端から僅かに垂れた酒の雫を指でゆっくりと唇に塗り、小さく舌なめずりをする。
その蠱惑的な表情にゾクリとして息を呑んだ。
それを察したかのように少年が覆い被さってくる。
割り入れられた舌と口腔に滲んで広がるブランデーの味。指を通すサラサラとした髪の感触。
(過ぎたことだ――)
脳裏に焼き付いたシーンを振り払い、思い直して冷蔵庫の前に戻ってもう一度開けた。
「あ、」
(あいつ、捨てたな)

「先生、チーズ腐ってたから捨てといたよっ」
夕方どかどかと踏み込んできた進藤が、尋ねる前にしゃあしゃあと答えてくれた。
「あれはブルーチーズと言って、あの状態が普通なんだ」
「でもカビ生えてたよ」
最近は、この手のことで問答をするのがバカバカしくなってきたのでもう何も言わなかった。
「、――?」
足の裏にじゃりじゃりとした感触が当たるのに気がついた。
見ると放り出された進藤のリュックからのぞいた布の端に、僅かに砂が付着している。
「お前、この砂…」
「ああそれ、体操服。今日体育の時間に幅跳びの測定あったから」
テレビをリモコンでザッピングしながら悪びれもせずに返事をする。
嫌な予感がして玄関を見に行くと、無造作に脱ぎ捨てられた靴の跡には砂が散っていた。
「……」
文句を言う気力も無くして、きちんと揃えられた革靴をぼんやりと思い出した。
(アキラは…特殊な部類の中学生だったんだな…)
礼儀正しい所作と言葉遣い。寝そべってスナック菓子をつまんでいる進藤とは似ても似つかなかった。
(――こいつ、アキラとはまだ寝てるのか?)



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