誘惑 第三部 15 - 18
(15)
ヒカルの身体を、体温を、確かめるように抱きしめながら、アキラが言った。
「…ずっと、キミに触れたかった。
会いたくて、会いたくて、会えない時もずっとキミの事ばかり考えてた。
だからさっき、キミの家で、キミを見て、」
そこまで言うと言葉を切って、もう一度ヒカルにキスした。
「キミのお母さんがそこにいるのに、キミを抱きしめて、キスしたくて、たまらなかった。」
「オレもだ。」
「キミがボクの事を怒ってるだろうと思って、もうボクを嫌いになったかもしれないと思って、恐くて、
でも、それでもキミが欲しくて、キミに触れたくて、どうしようもなかった。でも…」
「そうすれば良かったんだ。そうしたらすぐにわかったのに。
こうして抱き合えば、すぐにわかる事だったのに。」
「…さすがに、キミのお母さんの目の前では出来ないよ。ボクにも自制心ってもんがある。」
アキラが小さく笑いながら、言った。
「自制心なんてクソ食らえ。」
ヒカルが小さく吐き捨てるように言った。
「どうせ、いつかはバレるんだ。それが今日か、明日か、明後日か、ずっと先か、
それだけの違いだ。」
「進藤…」
「だって、オレはおまえ以外なんて考えられない。おまえが好きだ。ずっと好きだ。
誰よりも、いつまでも、ずっとずっと、おまえが好きだ。
オレの一番大事な気持ちだ。それを人にどうこうなんて言わせない。」
そう言って、もう一度唇を重ね合わせた。
(16)
唇だけじゃ、足りない。
抱き合っているだけじゃ、足りない。
もっと深く、もっと近くに、触れ合いたい。もう一度、塔矢の全部を知りたい。知り尽くしたい。
ヒカルの手がアキラの身体を探る。
「待って…、待って、進藤、」
「塔矢、」
「ここじゃ、駄目だ。」
「イヤだ。待てない。」
「駄目だ、進藤…!」
ヒカルの手を拒もうとするアキラを、抗議を込めて見つめた。
どうして。どうしてここでやめるなんて出来るんだ。今すぐにおまえが欲しいのに。
けれど、アキラはヒカルを見つめながら言う。
「こんなとこじゃイヤだ。こんなとこで、人目を盗んで、声を殺して抱き合うのなんてイヤだ。
誰か来ないかとか、見つかったらどうしようとか、そんな事考えながら抱き合うのなんてイヤだ。
もっと、もっともっと、キミと一つになって、余計な事なんか気にしないで、他の事なんか忘れるくらい
抱き合いたい。だから、」
アキラがヒカルの両肩を掴んで、真っ直ぐに見つめて請う。
「進藤、ボクの部屋へ。もう一度。」
(17)
もどかしげに震えるアキラの手から鍵が滑り落ちる。金属音を立てて転がり落ちた鍵をヒカルが追う。
そっと拾い上げたその鍵を、ヒカルは不思議なものでも見るように見つめた。
「進藤…?」
「…いい?」
何が?と問う前に、ヒカルが拾い上げた鍵を鍵穴に差し込み、何の苦もなく吸い込まれた鍵を回す。
かちり、と鍵の外れる音がした。
ドアノブを回し戸を開け、乱暴に靴を脱いで部屋に上がる。ヒカルはそのまま真っ直ぐに奥へ向かった。
戸惑いながらアキラがその後を追う。
「進藤…!」
アキラが後ろからヒカルを抱きしめた。
背中にアキラの体温を感じながら、ヒカルはしばらくぶりのこの部屋を見回し、そして天上を見上げる。
仰のいて閉じた目の端から涙が流れ落ちた。
「ごめん、塔矢、ごめん…」
そう言いながらヒカルは身体に回された腕を乱暴に解き、向き直ってアキラを強く抱きしめた。
こんな部屋におまえを一人にしておいて。もう会わないなんて言っちゃって、会いにくるななんて言っ
ちゃって、ごめん。ごめん、塔矢。
「しんどう…」
耳にかかる息が熱い。摺り寄せた頬で涙が混ざり合う。唇を合わせると、涙の味がする。
(18)
もう、言葉なんて要らない。
ヒカルの手がアキラのスーツの上着を腕から落とし、ネクタイを解き、ワイシャツのボタンを外していく。
その間に、アキラの手がヒカルのTシャツをたくし上げ、頭から引き抜こうとする。
ベルトの金具を外しジッパーを下ろすと、アキラの着ていたスラックスがそのまま床に落ちる。ヒカルの
ジーンズは足に絡まる。アキラはヒカルを抱き寄せてベッドに倒れこみながら、ヒカルの下着に手をかけ
てジーンズごと引き下ろすと、ヒカルの手がアキラの下着を下ろしながら片足に残ったジーンズと下着
を蹴り飛ばした。
そうして全てを脱ぎ去った二人は、隔てるものが何もなくなった素肌の感触を確かめるように抱き合う。
が、ヒカルは、その抱きしめた身体の細さにショックを受けた。
服を着ていた時よりもはっきりとわかるアキラの身体は、腕に残る記憶よりも、全部が一回りずつ小さい
ような気がした。
肩の薄さが、手にあたるゴツゴツした骨の感触が、痛々しかった。
少し力を入れたらそのままぽっきり折れてしまうんじゃないかと思うくらいだった。
ヒカルは振り切るようにアキラの肩を掴んで身体を引き離した。
「ダメだ。今日はやめよう。」
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