平安幻想異聞録-異聞-<外伝> 15 - 18


(15)
まず、まっこうから「お前は変だ」と言われた。
自分が保ってきた人付き合いが、うわべだけの自己満足にすぎないと切り捨てられた。
あげくの果てに
「おまえ、式神としかつきあってないから、そんな偉そうなんだよ」
と言われた。
それはそうかもしれない。式神は『使役する』ものなのだ。遊び相手として呼ぶに
しても、どう遊ぶのかいちいち命令しなくてはならない。
その癖が、普段の態度や言動に出ているらしく、近衛ヒカルいわく「偉そう!」と
なって、すぐに喧嘩になるのだ。
――そう、人と喧嘩なんて初めてした。
そして、自分が思っていた人との関係というものが本当に上辺だけのものである
ことを知った。
人付き合いとは、こんなにも思い通りにいかず、苛立たしいものかと、心底思い
知らされた。
それから、あの妖怪退治が終わって、お互いの肩を叩きあって喜んで、一緒に
同じことに対して怒ったり笑ったりする楽しさを知った。
近衛のいう「友達」という付き合いも悪くないと思えた。
しかし自分の場合、その思いは、すぐ次の段階の感情に直結していて、同時に
それは、初めての失恋という、アキラの人生の一大事を巻き起こした。
生まれて初めて覗き込む、自分の中のドロドロとした感情。恋着と嫉妬。
陰陽師仲間が「げに恐ろしきは、世の妖しより、人の心」と言ったわけが、
よくわかった。
今でも、ヒカルの顔を見ると、その顔にむかって心の中で「好きだ」と叫んで
いる自分に気付く時がある。


(16)
だから、近衛ヒカルの心が別の人にあると分かっても、その心の一部分にでも
自分の居場所を確保したくて、ずっと、アキラはヒカルのよい「友達」である
ように努力していた。
せめて、友達としてでも、自分は彼の特別でありたかったのである。
そして、そうだという自負があった。
なのにヒカルは、何も言ってくれないのだ。
他の誰に吐き出せない事でも、自分には言ってくれると思っていたのに。
それが、アキラの心を苛立たせる。
近衛ヒカルは最愛の人を失った。
哀しいだろうと思う。辛いだろうと思う。
だが、ヒカルは自分の前でも、口を結んで、決してそれを表に出さない。
今朝、近衛の家の前で、思わずヒカルを問い詰めそうになった。
「僕は、友人としてそんなに頼りにならない存在か?!」
と。
他の人間とは違い、自分はヒカルと佐為の表沙汰に出来ない関係も知っている。
ヒカルが座間の策略にはまって大変な事件に巻き込まれたときも、藤原佐為と
一緒に彼を救うために手を尽くした。
だからこそ、佐為がいなくなった哀しみを、近衛ヒカルと共有できるのは唯一
自分だけだと思っていた。
近衛ヒカルにとって、自分はそういう特別な存在なのだと。
辛いなら言ってくれればいいのだ。
哀しいなら、自分の前で泣いてくれればいい。
こんな時だから頼って欲しかった。
なのに、ヒカルはそうはしてくれない。
だから、自分がここにいることに気付いて欲しくて、唇を奪ってしまった。
しかし、ヒカルは押し黙ったまま、何も語ってはくれない。
初めて触れた唇の苦さだけが、今のアキラには、むやみに鮮明に思い返される
のみだった。


(17)
日課になった碁会所の掃除の手順は、すでに体が覚えてしまっていて、何も
考えなくとも手が動く。
次の日も、仕事帰りに、佐為の香りを濃く残すそこに立ち寄ったヒカルは、黙々と
ただ、板敷きの床を掃き清める。毎日そうしているせいで、ホコリさえ殆ど落ちて
はいなかったが、体を動かしている間は頭が真っ白になって、何も思い出さずに
いられた。この碁会所の持ち主がもういないことも。自分を暖めてくれた腕が失わ
れたことも。
そのうち、同じように自分の中の佐為の記憶も真っ白になってしまう日がくるの
だろうか? 忘れることが出来るのだろうか、自分に。
拭き掃除に使う水は、ひと足早く冬になってしまったようで切るように冷たく、
ヒカルの指先は真っ赤になった。
碁会所を出た後、ヒカルは昨日、顔を出しそこねた藤崎家に立ち寄った。藤崎の家では、
あかりの家族があたたかく迎えてくれた。ここではヒカルの家と同じように、世俗と
関係なく、和やかに穏やかに時間が流れている。まるで、佐為が入水した事実なんて
どこにもないかたように。佐為なんて最初からいなかったと思うほど。
ヒカルがあかりの家族に案内されて屋敷の奥へ行くと、その突き当たりの部屋の御簾が、
がばりと無造作に上げられて藤崎あかりが顔を出した。
「あ、ヒカル、来てくれたんだーーっ!」
「来てくれたんだーじゃ、ねぇだろ! おまえ、内裏勤めでちったぁ女らしくなった
 かと思ったのに、なんだよ、その御簾の上げ方! 女ってのはなー、もうちっと慎まし
 やかにだなぁ!」
「いいじゃーん、私の家だし、どうせヒカルだし」
「なんだよ、そのどうせってのは!」
「どうせは、どうせだもーん。御簾を女らしく上げてみた所で、その雅さとか優雅さ
 とかヒカルにわかんの?」
「わ、わかるさ」
「へー、じゃ、ヒカルが見本をやってみせてよ、その慎ましやかな御簾の上げ方っ
 てやつ」


(18)
「男ができるかーーっっ!」
「やっぱり口先ばっかりじゃない」
「あかり、いい加減になさい!」
ポンポンと交わされるやり取りに存在を忘れられていたあかりの母が、ぴしゃりと
自分の娘をしかった。しかし、その顔が面白そうに微笑んだままなのだから、この
幼なじみ同士のこんな会話は、昔から何度も繰り返された日常の光景であることが
わかる。
「ホントに、ヒカルさんからも言ってやってくださいね。もう少し女らしくしないと、
 通ってくる殿方にも呆れられてしまいますよ」
あかりが肩をすくめて小さく舌を出した。
そんな彼女の様子を見咎めて、また小さく叱ると、あかりの母は一礼して戻っていった。
残ったヒカルは、上げられた御簾のうちに入り腰を下ろす。
あかりが、会話を両親に聞かれないようにするためか御簾を降ろした。
「なんだ、やっぱり、あかりんとこに通うような物好きな男がいたんだ」
「追い返したけどね」
「……なんで?」
「秘密」
あかりは怒ったようにふいと横を向いてしまった。これはこの話題に先はないと、
幼なじみの勘でさとったヒカルは別の話を振る。
「おまえ、今回なんで帰ってきたの? 月一のやつとは違うだろ?」
「犬が死んだの」
「犬?」
「うん、みんなで可愛がって餌をやってた野良犬がいたんだけどね。死んじゃったの」
あかりが寂しそうな目線で床板の木目を追っていた。



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