平安幻想異聞録-異聞- 15 - 20
(15)
ヒカルは夜道を歩いていた。
引き裂かれ、土に汚れた狩衣を羽織って。
夜が明けて、誰かに見とがめられないうちに、休める場所にたどり着きたかった。
体中が痛い。
下半身がまるで自分のものでないように熱くて重い。
それでも必死に歩みを進めたのはヒカルの最後の意地のようなものだった。
* *
――殺されると思った。
男達になぶられながら、自分はこのまま死ぬに違いないと思った。
いいように扱われた秘門はすでに痛みの感覚さえ鈍くなり、
中を乱暴に擦り上げられ、思わず漏れる自分のあえぎ声を何処か遠くに
聞きながら、情けなさに胸がふさいだ。
どうせ死ぬなら、父上のように、もののふらしく、誰かを守るために
戦って死にたかった。
そう、たとえば、佐為のような人を守るために……
(佐為…)
「ああっっ……!」
瞬間、ヒカルは内壁を強く突き上げられ、
その抉るような快感と自分の嬌声に、現実に引き戻された。
無理やり頂点に突き上げられ、突き落とされる。
そんな感覚を何度も味合わされ、「やめて」という涙ながらの懇願も、
嗚咽とあえぎ声の中で言葉としての意味をなさなくなり、
途中何度も意識を手放しかけては、頬を打つ手に引き戻された。
(16)
――喉がかすれて、悲鳴さえもあげられなくなってようやく解放された。
それから、どれくらい気を失っていたのだろう……
意識を取り戻したヒカルが最初に見たのは、すでに天空を
下りはじめた下弦の月だった。ゆっくりと痛む手を動かすと、
男達に嬲られ揺すられるうちに徐々に緩んできていたのだろう、
手の戒めは楽にほどけた。足の戒めも。
じっと眺めた手足の傷に、先程まで自分の身にされていたことが蘇る。
なんで自分がこんなめに遭わなくちゃいけないんだろう。
こんな目に遭わされるぐらいだったら、いっそひとおもいに
殺してくれたほうがよかった。
見回したが、手放した自分の太刀は、座間の一派によって持ち
去られたのかどこにも見当たらなかった。
――だがそれはこの場合、幸いだったろう。もしそこに
太刀があれば、きっとヒカルはその場で自分の命を絶っていただろうから。
あたりは嘘のように静かだった。
情けなくて、悔しくて、胸の奥に込み上げてくる熱い塊をおさえるために、
ヒカルは、傷に土がすり込まれるのもかまわず、地面を抉るように握りしめた。。
* *
「う…く…」
泣いたらダメだ、泣いたらきっと自分は崩れ倒れて、そのままここから
一歩も動けなくなる。
夜明け前の人の気配のない街道を、ヒカルは必死で歩みを進める。
まるで自分の体そのものが重い荷物のようだった。
麻袋に入れた熱い泥の塊りを引きずってるみたいだ。
それが重い荷物でも泥でもないのだと分かるたったひとつの理由は、
それが「痛い」と伝えてくるからだ。
痛みをかんじるのなら、それは荷物じゃない―――自分の体だ。
そんな状態だったから、ヒカル自身も気づいていなかった。
自分が今、向かっている場所が、本来帰るべき近衛の家ではないこと、
……藤原佐為の屋敷の方向であることに。
追いつめられたヒカルが助けを求めて胸に思い描いた顔は、
母親の顔でも、自分に剣を指南してくれた祖父の顔でもなく、
やさしくて穏やかな佐為の笑顔だったのだ。
(17)
佐為は何かを叩くような小さな物音に目をさました。
気のせいだろうかと耳をこらすと、もう一度。どうやら誰かが
木戸を叩いているようだ。
こんな早朝に何か火急の用事だろうか?
それにしても、自分も、元々眠りはあまり深くないほうとはいえ、
よくあの小さな物音に気づいたものだと妙に感心しながら、
簡単に着替えて、門へと急ぐ。
もう一度、門をゆるく叩く音がしたので
「はいはい、こんな朝も明けやらぬうちになんのご用ですか?」
と、独り言のようにつぶやきながら、カンヌキを外して門を開けると、
そこに座り込んでいたのは護衛役の近衛ヒカルだった。
自分で呼びだしたくせに、まるで佐為が出てきたのが意外とでもいうように、
大きな目をさらに大きく見開いて佐為の顔を見上げている。
だが、そんなことより佐為が驚いたのは、そのヒカルのいでたちだ。
引き裂かれた狩衣、あちこちが血と土にまみれ、月明かりでよくみれば、
ヒカル自身の顔や手足にも無数の切り傷、擦り傷が……
「どうしたんです、ヒカル!その格好は…!!」
(18)
あぁ、どうしよう…。自分のうちに帰るつもりが、佐為のうちにきちゃったよ。
そんな事を考えて藤原家の門をぼう然と見上げながら、
それでもヒカルの手は最後の力を振り絞って、木戸を叩いた。
でも、その音は、自分が期待したよりも小さく弱々しく、
到底まだ寝ているだろう佐為が気づいてくれるようなしろものではなかった。
だから目の前で木戸が開いて、佐為がその美しい顔を見せたとき、
ヒカルは本当にびっくりして、そして安心したのだ。
「どうしたんです、ヒカル!その格好は…!!」
そのたおやかでいて凛とした声がひどく懐しい気がした。
一瞬にして、体中から力が抜ける。
意識して体から切り離していた痛みの感覚が戻ってきて、
体中が痛いと悲鳴を上げはじめる。
(よかった、もう泣いてもいいんだ。泣いても……)
そう思ったとたん、熱い塊が喉の奥から込み上げてきて、
もうヒカルには、それを止めることが出来なかった。
「うわぁぁぁぁぁ…!」
突然、自分ににしがみつき、擦れる喉を振り絞るようにして
大声で泣き始めたヒカルに、佐為は一瞬戸惑った顔をしたが、
すぐにその腕をヒカルの背中に回し、やさしく抱きしめた。
ヒカルは、佐為の白い狩衣が土と血で汚れるのもかまわず、
その頬を佐為の胸に押し付けて、思う様泣いた。
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(いったい、誰がこのような無体なことを……)
自分の腕の中で泣きながら、気を失うように眠って
しまったヒカルを抱きかかえて寝所に戻った佐為は、
用意したぬるま湯で襤褸のような有り様のヒカルの体を丁寧に清めながら
その傷を検分するうち、すぐにこの少年検非違使が
この夜どんな目に合わされたかを、真実に近い形で理解した。
傷だらけの体。特に血と精液にまみれた下腹部から内股にかけては、
そこにどんな行為がなされたか、露骨なまでに物語っていた。
左太ももの内側にも、大きくて長い奇妙な形の切り傷がある。
(あまり、思い込みだけで人を疑いたくはありませんが…)
ただの夜盗ごときが、ヒカルをこんな様にすることができるとは思えない。
こう見えてヒカルの剣の腕は確かなのだ。
佐為は眠り伏すヒカルの横に座りながら、思わずその心当たりの
人物の顔を思い浮かべて、中空をにらみ据えた。
夜明けとともにヒカルが高熱を発したので、医術師を呼び、
熱冷ましと化膿止めを処方してもらう。
帰りしな、その医術師に金をにぎらせて口を封じておくのも忘れなかった。
犯人がわからない今はまだ、事をおおやけにしたくない。
帰らない若主人を心配しているであろう近衛の家にも使いを出し、
ヒカルは少し具合が悪いようだからこちらの家で休ませる旨を言い伝えさせる。
夕方には、どこでその話を聞きつけたのか賀茂アキラが
見舞いにやって来た。
昏々と眠り続けるヒカルの顔に残る擦り傷を見て、
「近衛は腹痛で臥せっていると聞いてきたのですが、
どうやら真実は少し違うようですね」
と、つぶやいた。
「そうですね。賀茂殿とヒカルも浅からぬ縁。
あなたには真実を知る権利があるやもしれません」
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佐為は自分が知ったこと、ヒカルの体の具合から察したことを、
包み隠さずアキラに話して聞かせた。
「重ねて言いますが、この話は、まだ私の推測でしかありません。
ヒカルの目が覚めて事情をきけないことにはなんとも…」
「わかりました。こちらでも座間一派の昨晩の動向には、
気づかれないよう、さぐりを入れてみましょう」
そう返したアキラの声音は一見落ち着いているようだったが、
その中に激しい怒りが押し殺されているのを佐為は感じ取っていた。
アキラは佐為に見送られる帰り際、木戸のところで振り返って
「佐為殿、この家にはかすかですが呪の匂いがします。十分お気をつけ下さい」
と、不思議なことをいった。
ヒカルの意識が戻ったのは、その日の夜、子の刻も近くなってからだった。
相変わらず熱が下がらず、肌を紅潮させているヒカルを、
佐為はじっと枕元で見守っていた。
自分が見ていたからといって、ヒカルの熱が下がるわけでもなかったが。
明り取りの窓の隙間から僅かに洩れる月明かりに照らされた、
幼い輪郭の顔を眺めていると、
そのヒカルのまぶたがゆっくりと開いた。
ひとつ瞬きして、佐為の姿を認めると、擦れた小さな声で
「水」
とつぶやいた。
慌てて浅い器に水を入れて持ってくる。
佐為が持ってきたそれをすべて飲み干すと、ヒカルはまた
スウっと眠りの世界に入ってしまった。
それでも一刻前にくらべると大分よくなった顔色に安心し、
佐為が自分の寝所にもどろうと起ち上がろうとすると、
何か着物の裾を引っ張るものがある。
見れば、いつの間にかヒカルの手が、佐為の着物の裾を握りしめていた。
佐為は小さく苦笑して、もう一度座り直すと、そっと、
そのヒカルのまろみを帯びた手の上に自分の手を重ねた。
結局、朝までそのまま、佐為はずっとヒカルの寝顔を眺めていた。
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