平安幻想異聞録-異聞- 157 - 158
(157)
その笑いをかみ殺すヒカルの表情に伊角は目ざとく気付いたらしい。
「何がおかしいんだ?」
「なんでもない。伊角さんは伊角さんだなぁと思ってさ」
「なんか、気になる言い方だな。馬鹿にしてるのか?」
そう言いながら伊角もまた笑って、ヒカルの頬に手をやり、その熱さに
驚いて手を引いた。
「近衛、具合悪いんじゃないのか?」
「ああ……。うん。俺もそうとう趣味の悪い薬、飲まされてるから……」
「薬?」
「うん。いいよ、とにかく、伊角さんに会えて良かったよ」
「うん。俺も近衛に会えてよかったよ。元気そうで…は、ちょっとないみたい
だけどな」
伊角の手が、ヒカルの頭をくしゃくしゃとなでた。
「あぁ、そうだ。肝心の用事を済ませないとな」
「用事?」
「会いに来たといっても、ただ顔を合わせに来たわけじゃない。俺は今日、
佐為殿と賀茂の使いとしてお前の元によこされたんだよ」
ヒカルは、ハッとしたように伊角の顔を見返した。
(158)
直衣の下に辛子色の単衣を着込んでいた伊角は、その単衣の袖口の縫い目を、
糸切り歯を使って切ってほどく。その部分だけ、布が二重になっていた。
そして、その布の間から取りだされたのは、一枚の紙の札。墨で何か
文字が書いてある。その文字をどこかで見たことがあると少し考えて、
思い当たった。ヒカルの太ももに刻み混まれた、あの「印」の形に似ているのだ。
「伊角さん、これ?」
「賀茂からの伝言だ。これを敷物の下とか調度品の後ろとか、とにかく座間邸の
人間に見つからないところに隠しておいて欲しいそうだ。なんでも……」
手の中のそれをヒカルに渡しながら、伊角は声を低く小さくした。
「この札があれば、賀茂の式神は座間邸に張られた結界を抜けることが
できるのだと、式神を使って近衛と連絡を取ることができるのだと言っていた」
ヒカルは伊角の顔を凝視しながら、言われたことの意味を反芻した。
式神が、結界を抜けられる?
賀茂や佐為と連絡が取れる?
思ってもみなかった伊角の差し入れに、ヒカルは胸が詰まって何の言葉も
返せない。
大きな瞳で、穴があくほど自分を見つめているヒカルに苦笑しながら、
伊角が続けた。
「だが、これを座間邸の結界の中にいるお前に手渡すの、まずは人でなければ
ならなかった。佐為殿や賀茂が、座間にお前との面会を申し込んだ所で、
慇懃無礼に断られるのがオチだろう? だから俺に白羽の矢があたったのさ。
近衛や佐為殿にはいろいろ借りもあるしね」
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