平安幻想異聞録-異聞- 159 - 160
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ヒカルは、なぜ伊角がここに来たのかわかった。賀茂アキラがなぜ、
これの役目を伊角に託したのか。
伊角は良家の生まれだ。勉学武術もよくし、次世代の若手の出世頭として、
内裏にその勢力を広げる有力貴族達に、自分たちの派閥にこそ引き入れようと、
手ぐすね引いて狙われるるほどの人物だった。
その伊角が、半年程前、ある事件に巻き込まれた。それには、縁あってヒカルも
おおいに関わることになり…というよりこの事件において、ヒカルが伊角の
面倒見役と言っても過言ではなかったのだが、伊角はこの事件以降、変わった。
それまで、彼がどこの派閥にも与しなかったのは、その生まれながらともいえ
る優柔不断のせいであり、それゆえ、かの御仁はどこのお人の足元に下るのかと、
各派閥の貴族らがその動向に一喜一憂ていたものだったが、半年前のその桜の
季節以降、伊角はどっちともつかないその態度をすっぱりと切り捨てた。
だからといって、誰かの派閥についたというわけでもなく、大貴族達を驚かし
たのは、彼が積極的に「無派閥」であることを自分の意思として表し始めた
ことであった。
権力の為の政治ではなく、民の為、真に国を治めるための政治を。
貴族達が自分の名を飾り立てるための官位ではなく、真に国を平らかにする者に
与えられる名としての官位を。
一部の貴族達の神経を逆撫でしかねないその態度に、伊角の両親も驚いて彼を
いさめたというが、あの温和で知られる伊角が、その両親と三日も口論した揚げ句、
その態度を曲げなかったというのだから、決意の程が知れる。
そして、その伊角のまっすぐな態度は、昔ながらの公卿達に眉をひそめられる一方、
親や親族の血肉を削るような権力闘争を見て育った若い公達たちの、圧倒的な支持を
集めた。伊角の周りにはいつの間にか、彼の意思に賛同し、若者らしい理想に
燃える若年の貴族達が集まり、皮肉にもそれは「無派閥」を唱える伊角を中心に
「伊角派」と呼ばれる一大派閥を形成してしまったのである。
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「伊角派」の中には、門脇、和谷といった有力貴族の子弟、また勉学に
秀でた者も多く、内裏の覇権を狙う大貴族達にとっては、ぜひともよしみを
結んでおきたい、注目の新興勢力であった。
ましてや、このところ藤原行洋一派に圧され気味の座間としては、伊角派の
力は喉から手が出るほど欲しいものに違いない。
だから、賀茂アキラはこの「使い」に伊角を選んだのだ。
他の貴族ならいざ知らず、座間は絶対に伊角の申し出を断らない。
それどころか、ヒカルの身柄を差し出すくらいのことで、この若い公達と縁が
出来る(しかも運よくすれば弱みを握ることにもなる)のならば、二つ返事で
了承したに違いない。
ただ、その伊角に使いを頼んだであろう賀茂も、さすがに自分がここで、
そうして引きあわされた有力貴族相手にどんな接待をさせられているかなど、
想像外ではあるだろうけど。
そして、もうひとつ言うなら、伊角がここまで健全な思考の持ち主であることは、
座間には予想外だったのだ。
ヒカルは少しおかしくなった。座間にも思い通りにならないことはある。
「伊角さん、座間…様になんて言って、俺に会わせてもらったんだよ。その時
本当に、あいつに何も、交換条件のひとつも出されなかった?」
「実を言うとな、明日の評決の際に、座間殿の提案を支持する意見を出して
欲しいと言われた。今後ともよろしくみたいな事もな」
「やっぱり…。で、伊角さんはどう答えたの?」
「今夜の首尾しだいです…と」
どうとでも取れる上手い答え方だった。
「で、どうするんだよ」
「どうもしないさ、明日の議事では俺が思った通りのこと、国のためにいいと
思う意見を奏上するだけさ」
「座間の奴、悔しがるだろうなぁ」
「これでも俺は、内裏の貴族らしく、ずるく立ち回ることを覚えたんだよ」
伊角は人の悪い笑顔を作って見せた。ただ、それは本当に「作って見せた」と
いった感じで、ぜんぜん堂にいってなかったけれど。
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