平安幻想異聞録-異聞-<水恋鳥> 16


(16)
佐為は馬に水をやり、そのあと自分の荷物をほどいた。
中から碁盤を取りだす。
自宅でいつも使っているようなよい木を使った立派なものではないが、低いながらも
ちゃんと足がついている。
ヒカルが目を覚ましたらきっと「こんなところまで来て碁かよ!」と呆れるだろうと
想像しつつも、佐為はそれを持って庵に戻った。


鳥の鳴き声を枕にヒカルは相変わらず寝ている。ただ寒いのか、掛けられた着物の
下で体をまるめていたので、佐為は自分の白い狩衣を脱いで、更に上からかけてやった。
単衣だけになって、部屋の隅に碁盤を起き、碁笥の蓋を静かにあける。
それだけで、庵の中の空気が何かピンと張りつめる気がする。
相手はいないから、頭の中にある過去の棋譜を盤上に並べる。
(本当はヒカルが相手をしてくれると嬉しいのだけれど……)
ヒカルは強い打ち手では決してないけれど、佐為はヒカルと打つのが好きだった。
碁の一手にはその人となりが現れる。
ヒカルの打つ手は、実に彼らしく伸びやかで素直なのだ。打っていて気持ちがいい。
(ただ、素直すぎて先の手が簡単に読めてしまうのが難点なのですけれど)
そんな事を考えてしばらく石を並べていると、庵の中の静寂を声が破った。
「こんなところまで来て、碁かよ」
床に寝転がり、上に三枚の着物を羽織ったまま、ヒカルがこちらを呆れた顔で
見ている。
「一緒に打ちませんか?」
笑って返せば、ヒカルの顔にもすぐに笑顔が乗った。
「しょうがねーなぁ」
掠れてはいたが、持ち前の明るい声音で答えて、立ち上がる。
だが、息を飲むような悲鳴があがって、佐為は盤上にむけていた目を慌てて
ヒカルにやった。
着物を羽織ったまま立ち上がったヒカルの足元に、ポトポトと落ちる白い物がある。
先ほど佐為がヒカルの中に放った精が、ヒカルが立ち上がった為に溢れて落ちて
来てしまったのだ。



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